おはようございます
今朝のロードワークは、どうしても気分が乗らないために、休みます
午後まで行く気分になるのを待つこととします
昨日は通院とデイケアの日でした
先生に、自分がこんなに弱っちいと思っていなかった、と愚痴ると、
弱っちいさあ、
と、否定ではなく、同じ目線に立ってお話し下さり、救われました
そう、状況は劇的には変わらないもの
自己の信念への覚悟と感謝と思いやりを、精神の支柱とできれば、きっと粘り強く生きることができる
昨日は辻仁成さんの『愛のあとにくるもの』を読みました
日本人と韓国人のラブストーリーです
全編に渡って、心地好い疾走感があり、ふたりの想いが国境、他者、時間を複雑に、残酷に、無情に交錯して、同じものを通じてそれを解いていくもの
一気に読みました
また手元に置いておきたい、素敵な本に出会えました
以下、記憶に止めておきたいシーンを書き写します(P,203)
「公園の池の辺を紅の思い出とともに走った。木漏れ日の中を、彼女の記憶を追いかけるように全速力で走り抜けてみる。
情けないことに、ぼくは一周もしないうちに息があがり、脇腹に激痛を覚えた。それでもぼくは走りつづけた。紅はどのような気持ちで走っていたのだろう。彼女の気持ちに近づくにはあの日の紅と重なって走るしかなかった。
不思議なことに、脇腹が痛めば痛むほど、心の方は楽になっていった。肉体が苦しめば苦しむほどに、魂は浮上した。
二周目は、一歩足を踏み出すごとに、もう駄目だ、と弱音が飛び出した。思うように呼吸ができず、肺はひいひい唸りをあげる始末。脇腹どころではなく、身体中に痛みが伝播していった。
ところが三周目になると、その肉体的な苦痛に身体が順応をしはじめ、逆に、苦しければ苦しいほどに、精神が癒されていくという奇妙な現象が起きた。
苦しくて足元しか見ることのできないぼくの視界の中に、逞しくも地面を踏みしめる自分の足を発見した。
ぼくの足は力強く地面を踏みしめ、そして蹴り上げていた。ぼくは足元だけを見つづけた。徐々に邪念が去り、迷いが遠ざかった。呼吸が、足を踏み出すのに合わせ、リズミカルになっていった。
井の頭公園の土を踏みしめる自分の足を見ながら、ぼくは心がますます浮上していくのを知った。肉体が苦しめば苦しむほどに、その苦しさを跳ね返そうと精神が伸びをしているのが分かった。
負けるものか、とぼくは自分に言い聞かせた。すると四周目には、朧げに、ぼくに寄り添って走る紅の姿が見えるようになる。幻の紅は汗を拭いながら、ぼくにぴたりと寄り添っていた。彼女の横顔はまっすぐに正面を見つめていた。その凛々しい目元、逞しい鼻先、力強い顎先が、ぼくを引っ張った。
紅は日本で暮らす孤独と戦いながら毎日こうやって走っていたに違いない。なのにぼくは走りつづける彼女に気を止めることができなかった。そのことでぼくは恥じ入った。
彼女は異国で生きる寂しさを、走ることで紛らわし、さらにはバネにしていたのに違いなかった。
そのことに気がついた時から、ぼくも走りつづけることになる。『韓国の友人、日本の友人』を書きつづけながら、ぼくは走った。
紅の、あの時の気持ちに近づき、彼女をもっと理解するために、ぼくは雪の日も雨の日も走りつづけたのだった。」
昨日は、最後に普段なら受け流せていた、患者の心無い言葉を真正面から受けてしまい、強い口調で反論してしまいました
すみません、と謝られ、帰り道は大人気ない自分の態度に、苦い嫌悪感でいっぱいになりました
一昨日の息子
奥さんが夕食に、息子が幼稚園の芋掘りで手にしてきた、大きな薩摩芋の天麩羅を作ってくれました
とっても甘く、美味しくいただきました
息子は、一番大きな天麩羅にかじりついて、徐に額にそれを掲げました
「だてまさむね」
確かに、息子に一口かじられた薩摩芋さんは、伊達政宗の甲冑と同じく、三日月の形をしていました
よく覚えているなあと、息子ながら、感心してしまいした
純平
