般若心経 羯諦羯諦 波の音 | じゅんのブログ

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般若心経について、思うことを書いています。

般若心経の内容

瞑想中に自分という存在がほどけていき、宇宙はひとつのエネルギーでできている、ということを知覚した観自在菩薩さま。

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弟子のシャーリプトラに、宇宙は神の意図でできている。エネルギーというただ一つの糸でこの宇宙は織りなされていることを説明する。
この宇宙では、物が生まれたり消えたり、増えたり減ったりするように見えるが、ひとつのエネルギーが形を変えているだけである。
            
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すべてはひとつのエネルギーからできているので「私」というものは存在しない。目も耳も口も、それらで感じることも幻想で、本来は無いものである。

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無限に続くこの唯一のエネルギー、その神の視点からみれば、自身についてわからないこと、知らないことがあるはずも無く、永遠であるから老いや死も当然存在しない。

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この宇宙には自分(唯一のエネルギー)しか存在しない。すべてが自分であるから、知るべきことも得るべきものも無い。完全に完結した存在である。

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菩薩と呼ばれる人たちはみなこの事実にたどり着き、私たちが心の奥で恐れている自分の存在の不確かさについて悩む必要がなくなり、安心して生きられるようになる。それは、過去に菩薩として存在していた人、またこれからそう呼ばれるようになる人も同様である。

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「これから教えるマントラには、その普遍の安心へと導く高度な知恵が込められているのだから、あなた方はそれを唱えればよいと知りなさい」と説明する観自在菩薩さま。

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ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソウギャーテー、ボジソワカの真言が授けられる

観自在菩薩さまが伝えたかったこと(本人風に)

こんにちは。観自在菩薩です。
ごきげんいかがですか? わたしは元気ですよ。

般若心経、聞いてくれてありがとう。マントラ気に入ってもらえたでしょうか。

 

意味わかんない?そうですよね・・・まあ言葉足らずですからね。無理もないと思います。

 

でも、このお経の目的はみなさんの心を軽くすることなのです。それはお年寄りでも、小さいお子様でも、誰でもです。もちろんあなたも。

 

本当は「私」などというものは無いと言っちゃいましたけど、混乱させるためではありません。言い方がね。難しかったですよね。何言いたいんだ!っていうね・・・。

 

目が無い、鼻が無い、口が無い。無い無い言って、のっぺらぼうか!みたいなね・・・。そんな声が聞こえてきますけど、あれ違うんですよね・・・。無いことを強調したのには訳があります。

 

・・・本当は存在しないのに、こうして私たちは実感として生きています。本当は神さまひとりしかいないはずなのに、あなたが!私が!みんなが!こうして生きているんです。本当は存在しないのに、こうして生きている!それを逆説的に感じて欲しいのです。

 

それは何のためなのか。・・・それは神さまのかわりに私たちが、この素晴らしい世界を体験するためなのです。

 

なにも知らない赤ん坊として生まれ、時代の空気を吸い込みながら、時に苦しみ、時に悲しみながらも成長し、それぞれが持って生まれた宝物を磨いて、輝かせて・・・そして次の世代を導き、やがて去っていく。その永遠の繰り返しを、楽しむために生きているのです。・・・素晴らしくないですか。

 

神さまは大きすぎますから・・・だからちょうどいいサイズの私たちが必要ですね。・・・本当に私たちひとりひとりに必要性があって、みなここにいます。

 

ここにいる!たしかに生きてる!私たちは存在している!私たちは必要!!神さまは私たちを愛してる!!私たちLOVE!!!私たちも神さまLOVE!!!
はい、みんなも言って~!

 

ヤバくないですか。この地球。しらないこと、わからないこと、そしてそれを知ること。苦しみ、悲しみ、辛い、キツイ・・・からのラッキー!そして大成功!幸せ!!ハッピー!やったあ!・・・からの地獄・・・!なんてね♡まさにジェットコースターですよね。楽しいでしょ?

 

要は、それをわかっていて楽しめる人になってください、ということです。
人生を、自分の存在を示すためにお金や権力で飾らないでください。
みんな必要があってここにいます。あなたが息をしている。それがもうあなたの存在の証明です。別にSNSでバズらなくてもいいんですよ。

自己を承認してもらうために人生を使うのはもったいないのです。
人に迷惑をかけなければ、好きに生きていいんです。
それが一番伝えたいことなんです。

 

あなたが好きなことをして!・・・わたしは神さまがこう言っているように感じます。愛されようとする旅は終わりです。愛されてここにいるのだから、あなたはやりたいことをやればいい。まだできてない人は小さいことからね。・・・きっとできますよ。誰かへの遠慮を少しづつ手放していってください。あなたの人生はあなたが主人公です。

 

じゃ、みんなでギャーテー、ギャーテー、言っとく?(イエー!)

わたしはこのマントラに、波の音を込めました。
ザザーン、ザザーン、っていうあの波の音ね。

 

終わりのないこの永遠の繰り返しの人生だから。

 

生まれては消える。でもずっと存在し続ける私たちだから。

 

何度生まれ変わっても、あなたにあなたを好きでいてほしいから。

 

くじけそうなときは唱えてみてください。

 

ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソウギャーテー、ボジソワカ

 

般若心経を役に立てたい

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


観自在菩薩さまの悟りには、程遠いわたしですが、想像のままに書き進めました。


わたしが目指しているのは「実際に役に立つ般若心経の翻訳」になっていることです。


ネットで調べたり、書店で本を読んでも、わかったようなわからないような・・・で済まされてしまいがちな、そんな翻訳があまりに多く残念でなりません。


マントラにいたっては「行こう行こう、彼岸に行こう、みんなで行こう」というのが代表的な翻訳になっています。


それはそれでいいですが、わたしは腑に落ちませんでした。


ここまで来て、そんなスローガンで終わりなの?と思ったものです。

 

若いころ、人生をどう生きたらよいかもわからず、生まれた意味もわからず、ただつらくて海を見に行くことがありました。
その繰り返す波を見ていると、苦しいながらも少し癒されて、また日常へと戻ることができました。

 

わたしは般若心経に出会ってから、ギャーテー、ギャーテーの意味をずっと探していましたが、ある日ふと気が付いたのです。

 

「これは波の音だ」と

 

そうです。あの日見ていた海のように、ザザーン、ザザーン、と寄せては返す、その波の音を模したものだ。わたしにはそう思えました。

昔の人も、つらい時、迷ったとき、海を見ていたのではないでしょうか。

 

その波の音を聞きながら、迷い多き人生を、うまくいかない人生を、悟れない自分を、しばし許すことができたのではないでしょうか。そしてまた、日常にもどることができたのではないでしょうか。

 

ギャーテー、ギャーテーのあのマントラを唱えるとき、つらいことも悲しいことも、あの波が流していってくれる・・・。ざらついた心を洗い流してくれる・・・。本当はそのような効果があったのではないかと思います。

 

それだけではなく、やがて心は悟りを得て、海へと帰ります。
神というエネルギーひとつの、この宇宙という海に帰ります。


「ああ、自分は神の子で、すべてはひとつなんだ、でも自分の存在は消えず認められているからここにいるんだ」

 

・・・そのようなことに気が付きます。このマントラは、そこへ至る指標でもあり、ガイドの役目もになっていると思います。

 

ギャーテー、ギャーテー、と唱えながら、私たちはずっと、自分が帰る海を探していたのではないでしょうか。

 

わたしはそう思います。