音が大事
般若心経のマントラ
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
についてですが、翻訳などを探していると
「音が大事だから、ただ唱えればよい。訳す必要はない」
ということをよく目にします。
わたしは「音が大事なら、サンスクリット語と日本語でも違うし、各国違う発音じゃないか」などと考えていました。
「なぜ、本やネットで誰もそこにツッコまないのか?」と思ったものです。嫌な見方をすれば、それなら全然悟ってない和尚さんでも言えるじゃないか、と。
子供にわからないことを聞かれて「子供はそんなこと知らんでいい」という親と同じじゃないか、と思っていました。
翻訳などを見ても「なぜ、ただ唱えればいいか」の説明がなかったので、自分で調べたりもしました。
そうしているうちに、ただ唱えるだけで効果があった人の話なども目にします。
それで「え?やっぱり唱えるだけでいいの?意味とかなくていいの?」と迷い始めます。
でも、たしかに般若心経は、唱えているとリズミカルで、韻も踏んでて心地よいのです。
みんなのために
般若心経は大乗仏教の教えです。
広く、たくさんの人々の救済を目標としています。
わたしは、そうであるなら「般若心経」は一部の偉いお坊さんや修行者にしかわからないものであってはならないと思いました。
いろんな学説があって、それも正しいのかもしれないけれど、般若心経が仏教を深く深く極めた人にしかわからないものだったら、大乗の精神とはちょっと違うと思ったのです。
まあ、正直に言うと仏教の教えの解説本を読んでも、難解すぎて最後まで見ようという気になれなかっただけですが・・・。
でも、これだけ2000年も前から愛され、今だにファンを獲得しつづけている般若心経には、やはり何か人を惹きつける真実が隠されている。何かあるよねと、ずっと思っていました。
ヒットチャート1位の曲
わたしがたどり着いたのは「般若心経」は宇宙の普遍的な真実を含んだ経典であると同時に、世界最初のメガヒット曲だったのでは?という答えです。
教え自体は、宇宙の真理を説明しているのですが、やはり難解だと思います。
「すべては物質であると同時にエネルギーである」といった内容で「この世界は、実はひとつのエネルギーでできている」ということを説明していきます。
非常にシンプルな宇宙の構造の説明です。
結果「だから、私たちはこの世界のさまざまな現象に翻弄されるけれども、最終的には大丈夫だからね!」というようなことを言っていると思いますが、修行の結果そういう境地にたどり着いて体験したわけではないので、やはり私たちはいつも不安です。
それでも「般若心経」のどこかに真理を感じとっていたのだと思います。
リズムと韻を踏む効果もあって、意味がわからなくても普及したのではないでしょうか。
まさにプロデューサー(菩薩さま?)が仕組んだ、みんなを助ける意図をもって作られたお経が、「この歌なんかいい!」「色即是空ヤバイ」「無老死亦無老死尽めっちゃふけぇ(深い)」「好きすぎて滅!(関係ない)」というような驚きと興味をもって広まったと考えます。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」の意味
ほかの記事でも言っていますが、あらためて言うと
わたしはこれは「波の音」の音写だと思います。
「ザザーン、ザザーン」と打ち寄せる波の音は、誰の心にもあるものだと思います。それぞれの海の景色があると思います。
時に「シュー、ザザーン」と引き波を巻き込んで、大きな波の音になっていく様子をこのマントラに感じるのです。
そうであるならば、各国でマントラの音が違っても、思い浮かべるものがあの「波の音」であれば、そのイメージは人類にとって共通であり普遍的であり、真理の教えの普遍性とも一致するものだと考えます。
ただ唱えればよい
だから「ただ唱えればよい」のだと思います。
お年寄りでも、子供でも、唱えることはできます。意味がわからなくても唱えられます。だからみんなのためのお経なのです。
口の中から、体にもに響きわたり、その間不安から離れることができます。
心配事や悩みでいっぱいの心も、その響きとともにしばし忘れ、ひと時のあいだでも、わたしたちは自分の心と一緒に、この瞬間にいることができます。
人はみんな、意外と「心ここにあらず」です。日常生活のストレスや不安はリアルさをもって感じられ、身動きが取れないような気持ちになります。でも心はいろんな不安のイメージをいくつも行ったり来たりしています。
でも、それでいいんです。そういう仕組みが人生なのだし、そこで生きていくしかありません。
ただ、ひととき「羯諦 羯諦・・・」のマントラとともに、本当は自由で安らかな自分と、この瞬間一緒にいて、それぞれの心にある海岸線の波の音を聞いてください。ただ、唱えて、体に響かせてください。
マントラは何のため?
車でいうニュートラルの状態に、心を持っていくことのためだと思います。
駆動力が伝わらず、何も「力」がかかっていない状態です。
心にもそんな状態が必要です。
いつでも「力」がかかり過ぎなんです。
「目も口も耳もない」「視覚も味覚も聴覚も本当は存在しない」
「だから余計なことに心を煩わせることはない」
と般若心経では言っていますが、無理ですよね。人間だし。
そこでできたのがマントラだと思います。
「まあ、不安になるなって言って、理屈をいろいろ言って、仕組みをいろいろ説明したところで人はやはり不安だよね・・・。」
菩薩さまは、そういうことはもうわかっていたのではないでしょうか。
だから、一瞬でもこころが真空状態になるように、一瞬でも不安から離れられるように、と考え出されたのがマントラだとわたしは思います。
やりたいことをやっていい
般若心経で「この世界はひとつのエネルギーからできている」
というシンプルな構造の説明がありました。
だから「本当は不安に思うことなんてないんだよ」
そういうことも教わりました。
そして、それでも不安は尽きないだろうから、このお守りを持っていきなさい、と「羯諦 羯諦・・・」のマントラも渡されました。
それで、ここに生まれて私たちがなすべきことは何でしょうか。
神さまに何を期待されているのでしょうか。
それは、人に迷惑をかけることでなければ
「やりたいことをやっていい。好きなように生きていい」
そういうことだと思います。
わたしは、自分の親の期待を神にも投影し
「神の期待にこたえるような人間でなければいけない」
そのように思っていました。
わたしは精一杯背伸びして進学校に入り、受験を乗り越え、大学まで行きましたが、1年も経たずにポキッと心が折れてやめてしまいました。
それから、親元を離れ、自分はどうしたらよいか探しながら生きてきましたが、やはり何か見えないプレッシャーのようなものを抱えて、かってに成功しなければならない。でなければ、神にも捨てられるかもしれない、と考えるようになり、そうでない自分は価値もないと心のそこでは思っていました。
結局夢も叶わず、自分に自信もないままでしたが、つい最近40代も後半になってから、もういいか、と自分も周りも許せるようになりました。
今は、楽しく生きてると思います。
自転車に乗ったり、絵を描いたり、ピアノを弾いたり、娘と釣りや登山も行きます。世間的な成功はしていませんが、家庭という帰る場所があり、それがとてもありがたいことだ、と思います。
悩みや迷いが消えたわけではありません。
30年近くも悟りに悩み、そして悟りのほうを捨てたのです。そして自由になりました。悩んだり迷ったりしながらも以前より自由な気がします。
もしまだ、何かに悩んでいる人がいたら
「少なくとも、好きなことを何かしてください」
そう伝えたいです。
ずっとスマホでSNS見ている人にもそう伝えたいんです!
でも言えないのでブログに書いてます・・・。
あなたが笑うとき、神さまも笑っていると思います。
あなたが泣くとき、神さまも泣いていると思います。
どちらもたぶん大切ですが、できるなら笑顔多めがいいですね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。