みなさん。
ホメオスタシス理論てしっていますか?
しりませんよね。普通。
ホモセクシャル理論ではありませんよ。
ホメオスタシス
です。
ホメオスタシス理論というのは、ウィキペディアで見てみるとこのように掲載されている。
「生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。」
といったこれがホメオスタシス理論だ。
非常に口に出すと言いづらい、「ホメオスタシス」。。。
さーみなさんも一度口に出してみてください。
しつこいですね。失礼。
このホメオスタシス理論(もう言いません。)ていうのを僕は初めて知った時にある言葉が頭によぎった。
そして世の中のあらゆる事象というのは、森羅万象というか何か規則性のっとっているのだなーと思うのだ。
その規則とはある方向に偏ったりしないで、結果調度よい形に落ち着くということだ。
そのよぎった言葉とういのは「神の見えざる手」という理論だ。
この神の見えざる手と言うのは聞いたことがある人もい多いであろう。
この言葉をすご~く簡単、単純に説明すると
例えばあるモノの価格。
例えばなんてことのない普通の食パン1斤。
この食パン。1個千円で売ったところで、全然売れない。
そこで今度は1円にしてみた。
そうしたら爆発的に売れるでしょう。すると在庫はなくなるし儲からない。
ということで、ちょうど真ん中の500円にしてみた。
そうしたら程よく売れて、利益も出て、在庫もちょうどよい感じになった。
と、いったようなことである。
最終的にあらゆることは、様々な紆余曲折をえながらちょうどいい落とし所におさまる。
そして残るべきものはそのちょうどいい価値のところで収まり、残るのである。
と、長めの前ふりだが
僕の職種の美容師及び美容室にもいま似たような事が起きている。
最近いくつか目にした有名美容師の方が、もっと美容師をカッコいい仕事、楽しい仕事と知ってもらいたいとか。
若い美容師さんが夢も希望も無くやめていってしまうとか。
某求人サイトの人が美容学生が減っているから美容学生を増やすためにあれこれしているとか、
そんな話を聞いて違和感を覚えた。
なぜなら、美容師は多すぎるからコレ以上増えることはないと僕は思うのだ。
でもなぜ?現状どこのサロンも人がたりないのに?
それは簡単なことで店が多すぎるからだ。
しかも個人店から会社がやっているような大きいお店が2,30年前に比べてたくさん増えている昨今は、単純に美容室全体の席数が増えている。
その中でサロンは増えているのだから人が足りないに決まっている。
そんな今この美容業界の状況ではおもいっきり「神の見えざる手」が働いているのだと、僕は思っている。
その神の見えざる手はなにをしているのか?
多すぎる席数をぶっ壊す。つまりサロン数がこれから減っていくのだ。
そして美容師数と店舗数はおそらくこれから30年~50年をえてちょうどいい落とし所に落ち着くのである。いまほど大量には必要ないのである。
あらゆる事は上昇期と停滞期から衰退期になり、安定期におちつく。
なので衰退期を歩んでいる今は、全員で共存共栄なんて無理だ。
お客さんもスタッフも含め、あるところが潤えば、あるところが枯れていく。
そういった状況だ。
僕はその神の見えざる手に逆行していこうとは思わないし、どうにか出来るものではないと思っている。
それを受け入れた上で出来ることは、自分の周りは生き残れるように頭をフル回転させ立ち向かうのだ。
小学生の時に三国志を読んで諸葛孔明が「天下三分の計」等と言って劉備へ「蜀」を自分たちの領地として先々の戦いに備えようという考えを説いた時、これの何がすごいのだろうと思ったけれど、大人になりその凄さがよくわかった。
先々を考え、時勢や周りの敵の先々も予測し、その中で生き残る為の活路を大局的に見極め何年もかけてきたるべき時に備える。
いやはやひじょーに簡単ではない。でもしっかり考えなければいけない。
ともかく人間には変えられることと、変えられない事がある。
大きな時勢の流れと言うのは変えられるものではない。
その流れとは、、、、
店舗数のこと、美容師数のこと?
お客様からいただく料金的なこと?
美容師の社会的地位や価値みたいなもの?
美容師という仕事自体のこと?
そんなものは全て消費者や時代が勝手に決めるのだから、僕は多くのお客さんが望むべきところに収まるものだと思っている。なんつったて金を払うのはお客様だ。
ところで、話はそれるが、
良く自分の仕事の社会的地位をあげたい!とか声高らかに叫ぶ人がいるが僕はそんなことは全く考えない。
そんなものは言い方が悪いが俗物根性のようなものだと僕は思っている。
だってそんな事なんの意味があるのだろう?
美容師としての僕が考えることはただひとつ。自分の技術、接客、サービスで
「お客さんをキレイにして喜ばせる事。」
それ以外になにがあるのか?
お客さんに自分をアーティストだなんて思って欲しいとか、クリエイターだと思ってほしいとか、先生と思ってほしいとかそんなことは、今は全く思わない。
ましてや社会的地位の高い人だなんていうことや、すごく価値の有る人だなんておもってほしくなんかない。
ただの「人」。美容室の「なんかデッかいおじさん」で結構だ。
価値のある人間が作ったヘアスタイルは価値のあるものなのか?
中には俗物的なお客はそういう人もいるだろが、少なくともそのヘアスタイルを見た他人は誰が髪を切ったのかなんて言うのはどうでもいいことで、そのヘアスタイルがいいのか?わるいのか?それだけだ。
誰がそのヘアスタイルを作ったのかなんて言うのはさして問題では無いのだ。
地位や名誉や役職なんていうのはただの「立場」でその「人」ではない。が、他人はその「立場」で「人」を扱ってくる。
そこを忘れて自分がイケているなんて思っていたらジジィ、ババァになり「立場」がなくなった時に、周りを見ると誰も居なかったりするのだ。
なので僕はただの「人」として自分は魅力的にでありたいと思うのだ。
本質は髪を切りたくて美容師になったのであればその本質は忘れないで欲しい。
髪を切りたくて、お客さんによろこでん欲しくて美容師になったのが、どこかで、
ただ目立ちたくて、かっこつけたくて、周りにすごいと思われたくて、が目的になっていないでであろうか????
そんな目的にはかっこ悪し。人のココロには響かない。
まー。。。
とは、言ってもその俗物根性だとしても、世のため人のために少しでもためになっていればをすることは悪いことではないと思う。
なにもしない奴よりは遥かにマシである。
と、長々とよくわからない凄く冷めたような事を書いてしまった気がする。
が、僕はお仕事上スーパーリアリストでクレバーあるべきだと思っているのでそこはご理解をいただきたい。
僕は経営者では元京セラ&KDDIでJALの再建をされた稲盛さんが好きだ。
もはや経営者というか言っていることが「僧」や「仙人」のような域に達して「達観」している感じがするから凄く好きなのだ。
その稲盛さんが何か意思決定や、行動をするときに、常に自問自答を繰り返し続け、そこで間違いなければその意思決定は必ず正しい道に進み上手くいったのだと言う。
その自問自答を繰り返した事が2つあるとのこと。
・世のため人のためになるべきことなのか?
・これは自分の自己顕示欲やエゴを満たすために自分はするのではないか?
との2つである。
特に
・これは自分の自己顕示欲やエゴを満たすために自分はするのではないか?
こっち。
特に立場をもった人間というのはこちらのトラップに多く引っかるようで、
多くの意思決定が自分の自己顕示欲やエゴを満たすためにしてしまうようなのである。
そして、自分の内面にそのようなものがある行動は正しい行動でない場合が多く、人の心に響かず、結果うまくいかないのであるとのことだ。
ちなみにまだまだ邪念だらけの僕はこの自問自答すると、自分の自己顕示欲やエゴを満たすためのものだというジャッジが、良く下されることはここだけの話にしていただきたい。。。
が、事実その自問自答を通過したうえでの意思決定や行動は、良い結果に結びつくことが多いのも又、事実なのだ。
ともかく。。
何が言いたいのかというと、
「僕は自己顕示やエゴはなく、そして現実を直視し、冷静な意思決定を皆様にご提供いたしますよ!」
との、いやらしい自己アピールのブログに着地してしまった。
まだまだわたしも「俗物」ですな。。。。。
しつれいしますた。
ホメオスタシス理論てしっていますか?
しりませんよね。普通。
ホモセクシャル理論ではありませんよ。
ホメオスタシス
です。
ホメオスタシス理論というのは、ウィキペディアで見てみるとこのように掲載されている。
「生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。」
といったこれがホメオスタシス理論だ。
非常に口に出すと言いづらい、「ホメオスタシス」。。。
さーみなさんも一度口に出してみてください。
しつこいですね。失礼。
このホメオスタシス理論(もう言いません。)ていうのを僕は初めて知った時にある言葉が頭によぎった。
そして世の中のあらゆる事象というのは、森羅万象というか何か規則性のっとっているのだなーと思うのだ。
その規則とはある方向に偏ったりしないで、結果調度よい形に落ち着くということだ。
そのよぎった言葉とういのは「神の見えざる手」という理論だ。
この神の見えざる手と言うのは聞いたことがある人もい多いであろう。
この言葉をすご~く簡単、単純に説明すると
例えばあるモノの価格。
例えばなんてことのない普通の食パン1斤。
この食パン。1個千円で売ったところで、全然売れない。
そこで今度は1円にしてみた。
そうしたら爆発的に売れるでしょう。すると在庫はなくなるし儲からない。
ということで、ちょうど真ん中の500円にしてみた。
そうしたら程よく売れて、利益も出て、在庫もちょうどよい感じになった。
と、いったようなことである。
最終的にあらゆることは、様々な紆余曲折をえながらちょうどいい落とし所におさまる。
そして残るべきものはそのちょうどいい価値のところで収まり、残るのである。
と、長めの前ふりだが
僕の職種の美容師及び美容室にもいま似たような事が起きている。
最近いくつか目にした有名美容師の方が、もっと美容師をカッコいい仕事、楽しい仕事と知ってもらいたいとか。
若い美容師さんが夢も希望も無くやめていってしまうとか。
某求人サイトの人が美容学生が減っているから美容学生を増やすためにあれこれしているとか、
そんな話を聞いて違和感を覚えた。
なぜなら、美容師は多すぎるからコレ以上増えることはないと僕は思うのだ。
でもなぜ?現状どこのサロンも人がたりないのに?
それは簡単なことで店が多すぎるからだ。
しかも個人店から会社がやっているような大きいお店が2,30年前に比べてたくさん増えている昨今は、単純に美容室全体の席数が増えている。
その中でサロンは増えているのだから人が足りないに決まっている。
そんな今この美容業界の状況ではおもいっきり「神の見えざる手」が働いているのだと、僕は思っている。
その神の見えざる手はなにをしているのか?
多すぎる席数をぶっ壊す。つまりサロン数がこれから減っていくのだ。
そして美容師数と店舗数はおそらくこれから30年~50年をえてちょうどいい落とし所に落ち着くのである。いまほど大量には必要ないのである。
あらゆる事は上昇期と停滞期から衰退期になり、安定期におちつく。
なので衰退期を歩んでいる今は、全員で共存共栄なんて無理だ。
お客さんもスタッフも含め、あるところが潤えば、あるところが枯れていく。
そういった状況だ。
僕はその神の見えざる手に逆行していこうとは思わないし、どうにか出来るものではないと思っている。
それを受け入れた上で出来ることは、自分の周りは生き残れるように頭をフル回転させ立ち向かうのだ。
小学生の時に三国志を読んで諸葛孔明が「天下三分の計」等と言って劉備へ「蜀」を自分たちの領地として先々の戦いに備えようという考えを説いた時、これの何がすごいのだろうと思ったけれど、大人になりその凄さがよくわかった。
先々を考え、時勢や周りの敵の先々も予測し、その中で生き残る為の活路を大局的に見極め何年もかけてきたるべき時に備える。
いやはやひじょーに簡単ではない。でもしっかり考えなければいけない。
ともかく人間には変えられることと、変えられない事がある。
大きな時勢の流れと言うのは変えられるものではない。
その流れとは、、、、
店舗数のこと、美容師数のこと?
お客様からいただく料金的なこと?
美容師の社会的地位や価値みたいなもの?
美容師という仕事自体のこと?
そんなものは全て消費者や時代が勝手に決めるのだから、僕は多くのお客さんが望むべきところに収まるものだと思っている。なんつったて金を払うのはお客様だ。
ところで、話はそれるが、
良く自分の仕事の社会的地位をあげたい!とか声高らかに叫ぶ人がいるが僕はそんなことは全く考えない。
そんなものは言い方が悪いが俗物根性のようなものだと僕は思っている。
だってそんな事なんの意味があるのだろう?
美容師としての僕が考えることはただひとつ。自分の技術、接客、サービスで
「お客さんをキレイにして喜ばせる事。」
それ以外になにがあるのか?
お客さんに自分をアーティストだなんて思って欲しいとか、クリエイターだと思ってほしいとか、先生と思ってほしいとかそんなことは、今は全く思わない。
ましてや社会的地位の高い人だなんていうことや、すごく価値の有る人だなんておもってほしくなんかない。
ただの「人」。美容室の「なんかデッかいおじさん」で結構だ。
価値のある人間が作ったヘアスタイルは価値のあるものなのか?
中には俗物的なお客はそういう人もいるだろが、少なくともそのヘアスタイルを見た他人は誰が髪を切ったのかなんて言うのはどうでもいいことで、そのヘアスタイルがいいのか?わるいのか?それだけだ。
誰がそのヘアスタイルを作ったのかなんて言うのはさして問題では無いのだ。
地位や名誉や役職なんていうのはただの「立場」でその「人」ではない。が、他人はその「立場」で「人」を扱ってくる。
そこを忘れて自分がイケているなんて思っていたらジジィ、ババァになり「立場」がなくなった時に、周りを見ると誰も居なかったりするのだ。
なので僕はただの「人」として自分は魅力的にでありたいと思うのだ。
本質は髪を切りたくて美容師になったのであればその本質は忘れないで欲しい。
髪を切りたくて、お客さんによろこでん欲しくて美容師になったのが、どこかで、
ただ目立ちたくて、かっこつけたくて、周りにすごいと思われたくて、が目的になっていないでであろうか????
そんな目的にはかっこ悪し。人のココロには響かない。
まー。。。
とは、言ってもその俗物根性だとしても、世のため人のために少しでもためになっていればをすることは悪いことではないと思う。
なにもしない奴よりは遥かにマシである。
と、長々とよくわからない凄く冷めたような事を書いてしまった気がする。
が、僕はお仕事上スーパーリアリストでクレバーあるべきだと思っているのでそこはご理解をいただきたい。
僕は経営者では元京セラ&KDDIでJALの再建をされた稲盛さんが好きだ。
もはや経営者というか言っていることが「僧」や「仙人」のような域に達して「達観」している感じがするから凄く好きなのだ。
その稲盛さんが何か意思決定や、行動をするときに、常に自問自答を繰り返し続け、そこで間違いなければその意思決定は必ず正しい道に進み上手くいったのだと言う。
その自問自答を繰り返した事が2つあるとのこと。
・世のため人のためになるべきことなのか?
・これは自分の自己顕示欲やエゴを満たすために自分はするのではないか?
との2つである。
特に
・これは自分の自己顕示欲やエゴを満たすために自分はするのではないか?
こっち。
特に立場をもった人間というのはこちらのトラップに多く引っかるようで、
多くの意思決定が自分の自己顕示欲やエゴを満たすためにしてしまうようなのである。
そして、自分の内面にそのようなものがある行動は正しい行動でない場合が多く、人の心に響かず、結果うまくいかないのであるとのことだ。
ちなみにまだまだ邪念だらけの僕はこの自問自答すると、自分の自己顕示欲やエゴを満たすためのものだというジャッジが、良く下されることはここだけの話にしていただきたい。。。
が、事実その自問自答を通過したうえでの意思決定や行動は、良い結果に結びつくことが多いのも又、事実なのだ。
ともかく。。
何が言いたいのかというと、
「僕は自己顕示やエゴはなく、そして現実を直視し、冷静な意思決定を皆様にご提供いたしますよ!」
との、いやらしい自己アピールのブログに着地してしまった。
まだまだわたしも「俗物」ですな。。。。。
しつれいしますた。