僕には変なクセがある。

町を歩いている時、電車に乗っている時、飲食店でご飯を食べている時、喫茶店やカフェで打ち合わせしている時。つまり自宅や職場など以外の外出中のいかなる時であろうと、

面白いことはおきないか?面白い人間はいないか?という「面白いこと」を探す癖がある。




例えば電車に乗ると、とりあえずぐるっとおかしな人はいないか確認する。

そしておかしな人がいたとしよう。
その場合はその人の「変人度」を自分なりに図って、自分に害の無いギリギリのところまで近づいてその人を観察するのだ。



よくあるパターンとしては、よっぱらいなどで、今にも寝そうな状態でつり革に捕まっている人がいたらその人を観察するのだ。

そしてがっくんがっくんしているのを見ながら、

「あー。あの人、完全につり革から手が離れてがっくんしないかなー」

とただただ見守る。


一度そのつり革から手を離してしまって、がっくんしたひとが今までに見たことのないようなおかしな動きで社内でぶっ倒れたのをみた。

あれは素晴らしかった。ただただ目を奪われた。もう一度あれを見てみたいのだ。(笑)




他にも電車内でヤバイ感じに熟睡している人も一定の距離感で観察をする。

一度凄く面白かったパターンで、熟睡していてズルズルと床まで下がってしまい。床に座り込み、後に、寝転んで寝てしまった、しまいにはベルトを外してパンツ丸出しで寝だしたよっぱらいのおじさんを見た。

その面白い状況になっていく「さま」の一部始終を僕は見続けた。

そんな時僕はココロの中で「もっと面白い状況になれ!!」とひたすら念じているのだ。

「更にパンツを脱いでしまえ\(^o^)/!!」

と切に祈ったがそこまでの展開には至らなかった(笑)




それは電車内以外でも「月曜から夜更かし」をみてればわかると思うが、渋谷の町はおかしな人にことかかない。

日本でも有数の刺激的な面白い街が渋谷なことも。僕がこの渋谷という町が好きな理由なのかもしれない。




そんな面白いことを常に探しているからなのか、僕は人に話しをするときも話の中身や、会話のキャッチボール時の中身の「面白さ」にたいして人が思うよりはるかに気を配っている。

それが人からはどう思われているかは分からないが、会話にオチや笑いを入れることはしっかり意識している。

笑いがなくとも。人が、「なるほど」と発見や共感という、自分と話すことに「意味」を感じてもらえるように内容や話す言葉や、話す量の相手との割合。そして間(ま)などを自然に考えてしまう。

つまらない話をするくらいなら、自分は黙って相手に話す分量を多くさせつつ、少ない言葉で意味のある「実」のある言葉をはきたい。と、そう思うのだ。

とにかく。つまらない話を長々する人に僕は絶対になりたくないのだ。





いや。違う。「つまらない話を長々とする人」では無く、「つまらない話を長々とする男」には絶対なりたくないのだ。

女の人は別にいいと思う。

女性が男性に話すことに関しては、つまらなくても世間ではそれは許されると思う。

女性はよく喋る生き物だ。よく言う話だが女性の話に頼まれても居ないのに、結論を出す必要は無い。男はそれをただただ聞いてあげるべきなのだ。

もちろん個人的には女性も話が面白い人のほうが良いとは思っているけど、関わる全ての女性にそれを望むのは、酷な話である。

別に話のオチがなかったり、オチが弱かったりしてもどうとも思わない。

あ。お年寄りもセーフかな。

お年寄りは人と話をしたがるし、特に自分の話をしたがる。
お年寄りは寿命が近づいているからなのか?とにかく寂しいという気持ちが強くなるようで、話を聞いてあげることは敬いのひとつであり、それはしょうがないことだ。



ただ、若い男~中年の男でそれはどうかと思うのだ。

が、しかし、

世間の男性が飲み屋などで、大声で聞こえてくる内容が、まー面白くない人が多い。

色々な美容室に髪を切りに行っても、男性美容師の話の展開のしかたのつまらなさもよく感じる。
美容師はエンターテイナーだ。技術はもちろんだがお話でも相手を楽しませられなければ僕はダメだと思う。

それにお店でスタッフとお客さんが話している時でも、カフェでカップルが話している時でも話がふと聞こえてきてしまった時に、その話の展開だったらこう切り返せば笑い取れるのに。。。。とか、もっと話が面白い方向に広がるのに。。。そんな事を思うことが非常に多い。




昨日も食事にいったのだが、行った時間が遅かったからか、隣の席のグループはもう出来上がっていて食べ終わっていてちびちび飲んでいる状況だった。

そしてそのテーブルはサラリーマン&OLの3人組。話してる口ぶりから

・先輩サラリーマン
・中堅サラリーマン
・後輩OL

の同じ会社の同僚の3人組であろうとすぐに分かった。

そしてその先輩リーマンの話しの音量が、飲食店という社会の公共の場で話す声の音量を超えていた。まー酒のせいもあるんだろう。そして話し方が若干キムタクのものまね入っていて、知性の欠片もない話口調だ。

その声量と話し方から自分の話を周りに聞かせてやりたいとこいつは持っているのか?というのような勢いだ。

そんな状況下で隣りに座ってしまった僕は、それからひたすら彼の話を耳が拾ってしまうのであった。




そしてその話の内容がまーひどい。

ただただひたすら、自分の目に写ったこと、体験したことの説明だ。

つまり事象(体感したできごと)とあと少しのくだらない自慢も織り交ぜて、ただただ目の前の人に説明するのだ。



そしてオドロキなのはその話を聞いている、中堅リーマンも同じ感じなのだ。

自分の話の順番。。。。ただただ事象を語る。

もちろんそこの後輩OLもだ。

あんたがたはじーちゃんばーちゃんか!と内心思った。





そんな内容だから聞かされているほうの返す言葉はほぼ、「へぇ~」とたまに相槌で聞かれたことの復唱だ。「~なんですか」「~なんですね」


そんな状況でも話は1時間近く続いているのだ。

もはや感心してしまった。

が、そもそもいろんな人のほとんどの耳に入ってくる会話はこのパターンが多い。




そこできづいたことがある。

この人達は自分が話をする事がただただ気持ちいんだ。

もちろんお酒がはいっているからそうだっただけなのかもしれない。

が、この話を相手がどう思っているか?面白い話をブチかましてやろう!などというのはどうでもいいわけで、自分の話のなんとなくな順番が来ると、ただただ頭に浮かんだ事象をその話の終わりまで喋り続ける。その話の時間もながかったり、みじかかったり。

話すときには相手に何かを残そう、自分の考えを理解してもらおう、逆に聞くことで、この会話で何かを得よう。なんて気はさらさらないのだ。

目的は人を前にして、時間、空間に自分の言葉で吐いて埋めることが目的なのだ。

と、偉そうに言っているが、会話というコミュニケーションはそんなもので普通なのかもな。

人は話を聞くよりも、話をする方が圧倒的に気持ちいいことだし。。。。
特に相手側がつまらない話ほど人は話をしたくなる生き物らしいのだ。

自慢とか成功体験とか。

人は基本エゴの塊で自分に気持ちいいことだけしたい生き物だから。
まーそれが「普通」なのだろう。





もちろんこんなにハードル上げといて僕が人と話をする中で、相手が面白いか否かや、話に「実」があると感じて貰えているかどうかは僕にはわからない。

実際はつまらない話ばかりしているのではないかと、今この瞬間も不安である。

ができるかぎり、自分が話をする側になった時は自己満足な相手を無視した、自慰行為的な話の内容や展開ではなく、ちゃんと相手も楽しめて、相手にとって有意義な時間でありつつ、こちらも話が気持よくできるような感じで常に会話をしていきたい。

と、そう思っているのだ。






そんなこともあり、

最初の話にもどるが、僕は常に面白いことがないか?面白い人は居ないか?実になることはないか?
などと常に周りを探しているのだ。

しかもそんな風に考えて生きていると、毎日の景色というのは実は面白いことばかりなのだ。

ある人から見たら何の変哲もない毎日も、ある人には面白いことだらけの毎日なのかもしれないな。。。。なんて思ったのであった。



さーさー。今日は「人志松本のすべらない話」だ。

僕も更なる会話力を学ぶために録画した「すべらない話」をみて、トップクラスの芸人さんから「話芸」を学ばなくては。



と、いうことで僕の、すべらない話

「村上、修学旅行のバスの中で◯◯◯◯◯◯◯の話」

はまた別の機会に。。。。。。(^o^)


お疲れ様でした!