日頃考えてるどうでもいいことを書きます。
今回はSとMについて。
まず常識から言って、
S=攻め
M=受け
というのが一般的でしょうか。
時折それぞれの傾向が激しい人に対してドを加えて、
ドS、ドMと言ったりします。
身体的にSやMな人は僕の手に余りますので、ここでは精神的な意味でのSとMを考えていきたいと思います。
ある人は
S=サービス
M=満足
と例えていましたが、どうでしょうか。
Sは求められることを求めているのであって、自発的にサービスをする訳ではないと思います。あるいはMが意図的にSに優位な状況を提供することで、Sは満足感を得られるはず。内在的な理由からサービスを提供するというのであれば、間違いなくMです。
逆にMもS主導するなんらかの状況に「巻き込まれる」ことで、自分の存在がSのためにあると確認できて安心感を覚えるものと思われます。同時にSもMに必要とされることをコントロールすることで、自分の存在が確認できます。
こういった意味で、SとMの構図を全体としてとらえると、SもMも「必要とされたい」と考えていることから、根本的に行くと、
S≒M
という構図も考えられます。
ということはSとMとの違いは「必要とされる」ためのアプローチの仕方の問題であると思われます。
一般的にSは自分が必要とされる状況を構造的に作っておき、Mはその状況に巻き込まれる中で自分の力を発揮しようと努めようとします。
でもSは自分が必要とされるべき場所にいるにもかかわらず、必要とされない場合悩みを抱えたりします。同様にMもSが求めるものが曖昧な場合、自分の力を発揮できず苛立ったりすることもあるかもしれません。
日本社会の構図と似てる?
誰もがSとMの性質を持ちながら、多くの人が自分に与えられた状況にあった役割を探し、その都度構築していきます。こういった経験ありませんか?
例え冗談であれ、SかMかという話は日本人の国民性をとてもよくあらわしてるなと思うわけです。
先日こちらのオランダ人と仕事の話をした時、
「日本人は勤勉だから、もし仕事が早く終わって帰宅したら、なんでこんなに早く帰ってきたのと言われるんじゃない? もし俺が仕事早く終わったら、奥さんは手放しで喜ぶと思うけどなー」
日本人サイドからしたら「そんなことない!!」と思うかもしれませんが、これは一考を要す発言やなと思ったもんで、今日の日記に至っている訳です。
まとめます。
日本人はカテゴライズしたいという国民性を持ってます。
SもMも他人から必要とされる自分の立場を鑑みて、「自分はSだ/Mだ」と自分をカテゴライズすることで、自分のイメージを確立し、周囲のイメージに沿いたいと考える傾向が強いと言えます。
これは日本人が自分の役割を見つけて、なるべくその役にハマろうと努力するからです。そのため多くの人は、他人には自分の期待通りに動いてほしい、自分は他人の期待通りに動きたいという感情がほかの国より強いと思うのです。これは空気を読める/読めないといった感覚や流行り/時代遅れといった感覚に代表されます。
もちろんこれを否定するつもりはないし、俺もできるだけそうありたいなと思っています。
でも彼の発言を受けて、社会人として求められる形になろうとするのではなく、会社を通して自分が求める人生の、人間の形を作っていきたいと思いました。自分の人生のために会社が必要であって、その会社をよりいいものにすることが自分の人生をよくすることにつながる、という順で考えるようにします。
日本人としての自分をしっかりキープしながら、空気に流されない自分の意思を持っていたいと。
SかMか、会社か人生か、とか自分を分けていくんじゃなくて、その配分をコントールして大切なものを犠牲にしない生き方をしていきたいなと。
行動に移した結果が変わらないにしろ、その行動に至るまでの思考の順番を変えることで、長い目で見たとき将来の結果が変わってくるはずやしね。
努力しましたが、また一貫性に欠ける文章になってしまいました。
文を書くのは難しいなー