陳元贇(ちんげんぴん Chingenpin)
1587年—1671年(寛文11年)
江戸時代初期に中国・明の動乱を避けるため渡来して帰化した文人です。
寛文4年に尾張藩主 徳川義直に拝謁しているといいます。
伝承によると、日本に柔術を伝えた人物であり
書画や作陶にも秀でた多才な人でありました。
また、陶芸に関しては瀬戸の陶土を用いて作陶し
それに呉須で染付をして貫入ある透明釉の器を焼きました。
それが「元贇焼」と呼ばれ
のちの御深井焼になっていくのだといいます。
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さて、この陶磁器は瓢箪形のおそらくは花瓶です。
前後2面に「竹」と「ロウ梅」が描かれています。
しかし、この作品は実際に陳元贇が焼いた元贇焼であるかどうか
確証はありません。
あくまで「伝・陳元贇」です。
この作品が陳元贇の元贇焼であるとする根拠は
・底の露胎になっている土が瀬戸の物である。
・器体に長い貫入が沢山入っている。
・ロウ梅=唐梅が描写されている。
という前所有者の判断に寄っています。
ロウ梅図の拡大です。
ロウ梅とは中国原産の落葉低木で、可愛らしい黄色い花が咲きます。
漢字で書くと蝋梅、蠟梅、臘梅などとなり
唐の国からやってきたことで「唐梅(からうめ)」とも表現されます。
実際の写真はこのような感じです。
中国出身の作者 陳元贇が中国を懐かしみロウ梅を描いたのではないかと
このロウ梅図が元贇焼のひとつの根拠となっているようです。
竹図の拡大です。
竹は日本にもある植物ですが
ロウ梅と合わせることで中国感が増します。
また、この画像でもわかる通り
2つ目の根拠である、器体に長い貫入が入っているのが見られます。
高台です。
3つ目の根拠「底の露胎になっている土が瀬戸の物」とのこと。
他の元贇焼の高台画像などと比較しても
非常によく似ているのは事実です。
しかし現物を見比べない限りはっきりとした判断は出来かねますが。
縁の一部が欠けてしまっているのは残念なところ。
ひと言コメント
この作品自体には高台にも器体にも銘などはなく
また箱も無いため、箱書きや由来書きといったものも存在しません。
なので、実際この作品が陳元贇の手によるものなのかどうかは
はっきりいってわかりません。
しかし、全体的なフォルムや染付の絵柄は美しく
一部の欠けが残念ですが、良い美術品である事に違いはありません。