覆水盆に返らず | POLO9 Archi'b'log Powered by Ameba

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犯罪の動機としてニュースでよく出る言葉。

「むしゃくしゃしてやった」


「何をゆーとんねん」と思ってましたが、

最近は身の回りでいろんな事が起きて

なんか気持ちだけはわかるかなって感じです。


人類が他の動物にはない「理性」を持ちはじめたのはいつ頃なのだろう。

理性を持つまでは、本能のままに生きてきたのだろうか?

長い年月をかけて現在の「秩序」というものができたと思うが、

そのときどきで「決断」があり、「なんとなくそうなった」とは考えにくい。


エレベータにそれぞれ見知らぬ3人が閉じ込められ、

外部と連絡がとれず、空腹になったとき、

2人は食料の持ち合わせがない。

1人はたまたまスーパーで買ったバナナが2本あるとする。

バナナを持ってる人をA、その他をB、Cとしよう。

Aは自分の持ち物であるから、助けが来るまで全てを少しずつ食べてもよいし、

BやCに分けることもできる。

Aの立場は一番人間性が問われる。

かっこいいのは、BとCに1本ずつ与えることだが、

そんな神のような人はなかなかいないだろう。

自分なら、1本は自分用。残りの1本をBとCで分けるように勧めると思う。


コップの水があふれそうなとき。

器を変えるか。

水の量を減らすか。

もっと別の方法はあるのか。


停電の時間にでも目を閉じ考えてみよう。