なぜ、あなたは目の前のことに集中できないのか? | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

昨日は、生き方、働き方について書きました。で、今日もその続きみたいな感じになるのですが、


今ってすごく自由度が高いというか、色んなことができる時代です。私のように就職しない人間だっているし、それでも本を書けてしまったりするし、本当に夢が広がる世界だと思います。


ただ、実はそんなに「自由」というのは生易しいものではなくて、自由が広がることで「迷う」ということが生まれます。


何でもできる気がするがゆえに、「もっと良いものがあるのではないか?」と思ってしまう。


そうすると、今目の前のことが急激に魅力的でなく思えてくるもの。


これは、何にでも言えることです。


例えば、大学に入っても、今の大学の悪い点ばかりを見て「あの大学の方が良かったんじゃないか」と考える。


現実ではなく空想上でその大学の良い点ばかりを見る。逆に、今の大学については悪い点ばかりを見る。


一概にこの心の働きが悪いものとは言えないかもしれませんが、ただ、そうしているばかりだと大事なものを失ってしまうことだってあるでしょう。


今ある人間関係を大事にせず、まだ見ぬ人間関係ばかりを追い求めるのも、自由度が高いがゆえに「もっといい人がいるのでは」なんてことを考えるから。


受験で言えば、受験勉強は苦しいことだって当然あります。


ただ、そこに学歴が全てではない時代がやってきた。


そうすると、「受験勉強からの自由」が生まれたわけですから、そこから逃避することだってできるようになったわけです。


受験しかなかった時代は、受験勉強をするしかなかった。しかし、今はそうではない。


そうではないがゆえに、心が揺れる。


「こんな苦しいことをしないで、もっと楽に生きられるかも?」


という思いが頭に浮かぶ。しかし、実は他にしたいことは別にない。他に目的があって勉強をやめたいわけじゃない。


つまり、ただ今目の前の現実から逃げるために、「自由を利用した」に過ぎなかったりする。


もちろん、受験勉強をやめて、自分がしたかったことに進むのは良いことだと思ってます。ただ、受験生時代の私で言えば、実際には自分が何をやるかなんて分かっていなかったし、その時点の自分には選択肢があまりにも少なすぎた。


だから、大学に進むという選択をして、結果的に辞めることにはなったけれど、そのときのベストの選択をしたと思っています。


大学にいることで、社会的保証を得つつ、様々な可能性を残しつつ、自分のやりたいことに突き進んでいけたのは良かったと思っています。


話変わって、


何でも自由にやっていい時代になって、人々はいくつかの課題に直面しました。


・目の前の困難から逃げやすくなった


・何かを続けることが困難になり、「他があるから」と考えて転々とするがゆえに実力がつかない


・いつでも「もっといいものがあるのでは」という考えが浮かび、目の前にあるものに価値を見出しにくくなった


・「可能性を残しておきたい」と考え、何かを選択することが難しくなり、何もできないままズルズルいってしまう


などです。


で、私が今なぜそのことについて書いているかというと、もし上記の状態になっていたとしたら、


まず大事なのは、自分がその状態に陥っているということを知ることだからです。


以前の記事で、「私は教えるために書いているのではなく、気づいてもらうために書いている」と書きました。


気づくこと。自分がどういう状態であるか知ること。


そのことによって、私たちは最善の選択をすることができる、と思っています。


自分の状態に気づかず、自分を見失ったままでは、その見失った自分による選択になってしまう。


それは得てして、自分の望まない結果を生んだりするものなのです。


自分と向き合い、自分を知り、自分が望む結果を得られる選択をする。


それが、大事なのだと思ってます。


昨日は、ブログ書いて、映画を1本観て、本を2冊読んで、小説も少し読んで、そこから仕事のアイデアを考え、アギーレジャパンを応援してました。人には会わず、カフェに行ったくらい。ただ、自分としては充実した一日。


人によって、何をもって「充実」とするかは違います。自分にとって充実とは何なのか。何が自分にとっての善なのか。それを自分の心に聞きながら自分で考えること。そして、そこを目指すことが大事ですね。