人生を変えたい。現実を変えたい。
そういうときに必要なのは、自分と向き合い、変化させるべきことを変化させること。
今と同じ考え方、行動では、今と同じ現実がやってくる。
だから、何かを変えないといけないのだけど、それは自分を弱さや見たくない部分を向き合うことなしには、できません。
認めたくなかったことを、認めないと前には進めないもの。
しかし、人はとにかく自分を正当化したい生き物。
正当化するとは、自分と向き合うことから逃げるということです。
自分と向き合うことから逃げたとき、人は何をするかというと、「問題を周囲のせいにする」ということを始めます。
これは、よく言うことですね。
自分ではなく、誰かや何か、環境、など「外的」なもののせいにする。
そうしておけば、自分を変える必要はないし、自分と向き合って、何を変化させる必要があるのかと考える必要がなくなるからです。
これは、私も含め、誰もが持っているもの。
そして、あまりにも自己正当化が進むと、今この文章を読んでいる最中にも、自己正当化が始まります。
「俺は、自己正当化などしていない」という正当化です。
この状態は結構末期なので、この状態になるとなかなかキツいです。
こうなると、何を言ったところで「お前が悪い」「俺が正しい」という考えになってしまいます。
自分と向き合い、自分を振り返ることができない。
なぜ、自分と向き合い、自分を振り返ることができないかというと、
無意味でちっぽけなプライドに執着しているから。
余計なプライドにがんじがらめになっているからです。
そのプライドは、自分を守るためのプライド。
プライドが高いのは、それだけ自分の中身に自信がないから。
自分自身に自信がないから、いつも突っ張っていないといけなくなるのです。
バカにされたくない、自分はダメだと思いたくない、自分の弱さを認めたくない、
自分をすごい奴と思っていたい、今のダメな状況は自分のせいだと思いたくない…
そういったプライドが邪魔をして、とにかく自分の弱さと向き合うことができない。
そして、自分と向き合えない分を、相手のせいにします。
もし、この記事に反応した場合。
イラッとした場合。
何らかのネガティブな感情が生まれた場合。
なぜそうなるかというと、図星だからです。
実は薄々分かっているけれど認めたくないことを、言われてしまったからです。
このことに気づいている人は、イライラしたりはしません。
「そうだよね」と思うだけです。
イラッとするということは、図星なのです。
イラッとした場合、そこで二通りに分かれます。
素直にそんな自分を認め、向き合うようになるか
認めたら「負け」だと思って、反発心を強くして、まだ他責を続けるか
この二通り。
そこで、人生が変わります。
これまでと同じ現実が続くか、自分の望む現実をつくりあげるか。
それは、自分と向き合えるかどうかにかかっているんですね。