あるとき、いつものようにカフェでブログを書いていたときのこと。
あれは、梅田だったかな。
目の前の席に、一人のおっさん。
おっさんは、こちらを見て座っていて、若干気まずい配置。
そのおっさんは、お世辞にもカッコイイとは言えない。
背も低く、姿勢も悪い。
髪も適当で、服もダサい。
見るからに「おっさん」であって、ダンディさもジェントルさもなく、
間違っても「LEON」は読んでいないだろうということが想像できる。
コーヒーは、ズズズっ!!と必要以上の音を立てて、飲む。
私は若干のイラ立ちを感じながらも、
冷静を装って、その日もMacに向かい続ける。
しかし。
外見上はあまり「カッコイイ」と言えないのだが、
その「おっさん」から放たれる雰囲気には、どことなく、存在感があった。
私は、こういう目に見えない「存在感」のようなものには、敏感だ。
その存在感はどこから来るのか、私は頭の端で考えていた。
すると、
「あーー、すません!!」
おっさんらしい口調で、おっさんが声を発する。声は若干でかめだ。
「はーい!」
女店員が来る。
おっさんを見て、若干女店員の表情が曇る。
しかし、
おっさんはその表情の変化は気にせず、注文をする。
そして、注文後、軽い雑談を重ねる。
その様子を見ていて、私は「ほう」と少し驚いた。
おっさんは、堂々としている。
おそらく、女店員が、自分の容姿や格好といった外見で自分をマイナスに評価していることには、気づいている。
でも、おっさんは気にしない。
その女店員は、イマドキの女の子。
おっさんの左に位置している若い男が、チラチラと二人のやり取りを気にしているところを見ると、
その女店員に若干気があるのかもしれない。
そうやって少し状況を観察していると、ある変化が起きていた。
それは、店員の表情。
明らかに、最初とは違う顔をしている。
楽しそうだ。
しかし、おっさんはその女店員との会話に執着することもなく、ある程度のところで会話を切り上げた。
最初の私の見解は、間違っていた。
このおっさんは、ダンディだ。
その後、隣にいた若い男が、
「すいません」と声を発する。
この男は見た目もイイ。服装も最新のオシャレを勉強しているかのような服を来ている。
見た目を見れば、さっきのおっさんよりもポイントははるかに高いだろう。
しかし、
「すいません」と発せられた声には、若干の媚びを感じた。
イイ人と思われたいのだろう。
さっきの女店員が来る。
その若い男は、必要以上に丁寧に「はい、はい」などと言って注文する。
しかし、
「その丁寧さは、相手のことを考えた丁寧さではないだろう?」
そう、私は彼に言いたくなった。
彼は、自己肯定できていない。
自分に、自信がない。
見てくれは、おっさんよりもはるかに良い。
生まれもって持っているものは、おっさんを遥かに凌駕している。
しかし、彼の態度を見ていると、
着飾ったその服装が、自分の自信のなさをごまかすためのものに見えてくる。
着飾った服装は、彼に本当の自信は与えていないようだ。
その男の自信のなさを、女店員も感じたのか、
女店員は事務的に「仕事」を終え、立ち去る。
若い男の表情は、冴えない。
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この「おっさん」(失礼ですが)から学ぶことは多くて、
結局、おっさんは自己肯定できていて、若い男は自己肯定ができていません。
で、今回は「人間関係」ですが、例えばこういうところにも、その人の在り方は如実に表れるということ。
今は自分のプログラムで、この「自己肯定」についても徹底的に扱ってます。
結果、実際に、彼氏ができた、彼女ができた、好きな子の連絡先をゲットした、なんて人も出て来ていますね。
それは「結果的」にそうなってしまうんです。
別にそれを目的としなくても、本当に自己肯定できてくると、そうなってしまう。
自分が自分を認めると、ホント、生きることは相当楽で、楽しいものになり、
多くの「結果」が勝手に手に入るようになりますね。
では、今日はこのへんで。
今回は、人間関係系でしたが、
こういったことを学んでいくと、どんどん人生が「おもろー!!!!」なものになっていくということを知っていただけると嬉しいです。
昨日、多くの人に「未来の自分をつくる勉強法」の感想を直接聞きました。
ありがたいことに、内容を絶賛していただけることが多いです。
マジ、嬉しいです。マジ。
まだお読みでない方は、大抵の書店で売っているのでよろしくっす。
では。