<…前回から の続き>
オトループの
「交換日記」
初めて聴いた時はかなりの衝撃を受けた。
ィャむしろ曲を歌う前のMCで既に
若干泣かされていたかもしれない。
「死別した母が闘病中に父とつけていた交換日記」
が舞台となるその曲は昔、
「diary」(ダイアリー)というタイトルで、
一見したら恋愛の歌ともとれるような
ふわっとした歌詞だったらしい。。
その歌詞を読んだ時乗P。
内容を聞かれ説明する纐纈。
そこで言われた
「君が今まで持ってきたどの歌詞よりも、今の話が感動したよ」
という言葉がきっかけで
その歌詞は生まれ変わり、
今の「交換日記」になったらしい。
纐纈にとってこの出来事は
「よっしゃ、ダメ出しされて直したら曲メッチャよくなったわ」
という事では勿論ない。
10歳という、
人間が形成されるのによほど重要だったであろう時期に
母親という大きな存在を失い、
心のどこかに空いた穴をふさげないまま生きてきた彼。
そりゃそうだ。
母親失って空いた穴ふさげるようなものなど
この世にあるだろうか。
しかし母は、その肉体が滅びても
この世に遺した「想い」によって
運命の歯車を動かした。
「母の、子への想い」が時乗Pの心を動かした。
子は母の想いにこたえるように想いを馳せながら
歌詞を書き直した。
そうして生まれ変わった「交換日記」という歌はその後
数えきれない程の人の心を、運命の歯車を
動かす事になる。
「交換日記」を軸に
時乗プロデュースのもとレコーディングが始まり、
2012年、オトループ初の全国流通盤となるミニアルバムが完成する。
その名は
「ヒト・リ・バースデイ」
その発売を控えた頃
オトループは「WAS」というバンドと初共演し、
当時そのバンドのメンバーだった、
やたらカッコよくて性格もいいという男に出会う。
それが僕だ。
この日、
纐纈悠輔
吹原賢吾
小鹿淳
この3人が初めて集まった。
後にバンドメンバーになり一緒に全国を駆け巡り
スーパー銭湯で寝過ごしてバスに乗り損ねる事など
当時は勿論想像だにしていない。
纐纈母の後押しはまだまだ止まらない。
時乗Pがその日ライブ会場に居たという事がまた運命的だった。
オトループからしたら
「ぇ、WASも時乗さんの事知ってんの?」という感じだったが
僕らにとっては、とても運命的な、衝撃の再会だった。
(その4、その5を参照)
その再会をさせてくれたオトループというバンドにも
「縁」を感じた。
一度対バンしたっきり二度と会わなかったバンドも数えきれない程居るが
オトループとはこの日を境に急激に距離が縮まり
「ヒト・リ・バースデイ」のリリースツアーFINALでも共演、
その後も何度も共演する事になる。
箇条書きのような文章になってしまうので
まだまだ書けないエピソードもありますが、
こうして過去を思い出せば出す程
運命を感じる。
これが運命じゃないなら
奇跡としか言いようがない。
纐纈母の愛に手繰り寄せられるように
「交換日記」という曲から始まった4年間。
「ヒト・リ・バースデイ」
「オトノベル」
「カタリベシンパシー」
「カメレオンは何も言わない」
という4作品を生み出してきた
奇跡の4年間を全て見せる
奇跡の1日。
今日2016年2月7日
代官山UNITワンマン。
14時間後にはステージに立っている。
オトループに出会ってくれた全ての人、犬、猫、魚たちに
ありがとうを言いに行きます。
…完
■纐纈悠輔自身による「交換日記」に関するBLOG記事
■「交換日記」から2016.02.07につながる想い 【動画】
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■代官山UNITへの行き方 https://t.co/Mig8cdzxCe





