最近、特に若い人たちからの温かい言葉に心を動かされます。何よりもの贈り物に思えます。

二つ、嬉しいことがありました。

 

一つは友人の15歳になる娘さんが「私と一緒に過ごす時間が心地良い」と言ってくれたこと。二つ目は次男の15年以上になる親友が温かい言葉を掛けてくれたこと。この青年は法律分野でまだ修行中なのですが、例えば次男に電話(家の電話に)をかけて来て、我々が出ると必ず、十代だったころから、初めに我々の近況を聴いてくれます。我が家に遊びに来ても帰る時は必ず我々を探して、挨拶をして自分の家へ帰ります。こういう礼儀正しい子はえこひいきになってしまうかもですが、やはり可愛いです。

 

ワッツアップの彼からの心のこもったメッセージにウルウルしてしまったのですが、私は我が家のバラの写真を送りました。色んな出会いを与えてくれた次男に感謝しています。長男も娘も彼らの親友たちは私とも年齢を超えて親しいです。

 

 

人はそれぞれ、子供のいる人もいれば、いない人もいます。我々の年齢でも欲しくてできなかった人、欲しくなかった人、色々です。

 

自分の人生を思うと子供に恵まれ、子供を除いた自分の人生はありえません。けれど、人生を終わる時はどちらにしても一人であることはよく理解しているつもりです。子供たちにいくら情熱をかけても、一生を共にできる人はほんの数えることができるくらいだと思います。私も日本を遠く離れて、両親の元から去ってしまいました。このことに関してはいつまでも後悔は残っています。

 

ある友人は子供は望んで作らなかったそうで、懐具合の良い婚歴のある男性と結婚の後、世界中を二人で旅行できる身分になっています。旅行しなければならないので動物は飼えないといつも、いつまでも身軽な人でいます。

 

ある友人は動物をたくさん引き取り、その世話に明け暮れています。恵まれない動物たちは弱かったり、年齢の高い子もいて、お金がかかりやすく、いつも掛け持ちで働いています。当然、彼女は家を空けることがとても難しいです。外から見ると、経済的に問題を抱えていても、動物たちと生活を共にして犠牲的生活を送っているように思える友人たちはとても豊かに思えます。そのオーラとも呼べるものが大きく広がっているのを感じます。この世の中にいて「徳」を積んでいるように私には思えます。自分のお腹を痛めた子供ではなくても愛しい子は動物を含めたくさんいます。我が子へ注ぐ愛と同じに思えます。

 

子供達、若い人たち、動物たち、優しく、温かく接しましょう。純粋な魂に出会うとこちらの方が浄化されます。愛に包まれます。