ブログのフロントページのデザインを変えましたが、タイトルの下の画像にあるワンコは現在我が家で一時預っているチワワで、風に向かって、たわわに咲いていたバラの香りを嗅いでいた姿が、とても印象的だったのでアップしました。明日には帰宅予定です。ピーター君、我が家に来てから体重が増えました。昨晩測りましたが、2,6㎏です。こんな小さなワンコの体をこうあるべき(?)姿に保つためにはダイエットをさせる必要があって、ワンコ・ピーターはいつもお腹を空かせている状態で、外野から見ると「可哀相」。我が家ではとてもそのダイエットは守れなくて、こっそり与えてしまうわけです。我々の食事中に猫ちゃんみたいな声でおねだりをします。でも飼い主はそれが本当に嫌ならば、こんな風に預けない方法もあります。ペットホテルに連れて行ったり、自宅に世話に来てくれる人を探し、食べ物の量を厳格に守ってもらうだとかだと思いますが・・・。

 

 

そもそも、このピーター君はペットショップの売れ残りだったらしいのですが、それでも、知り合いは10万円以上は払っています。我が家は田舎の一軒家、ペットショップの前を歩く機会は殆どなくて、幸いです。この飼い主の女性も、前飼っていた犬は施設から引き取った犬で、現在飼っている猫たちは野良ネコたちだったそうです。動物をお金で買うなど、しない人なのですが、6年前のある日、この子と目が合ってしまい、誰も買い手がなく、何時までも売れ残っていて、通るたびにつぶらな瞳に見つめられ、どうしようもなかったのでしょう。でも、プレゼントされたのではなく、一応購入となると、このチェーンは切れるはずもありません。こういった時の判断、非常に難しい・・・。売れ残った動物たちの行く末を考えてしまいますよね、当然のことながら。

 

ペットショップやブリーダーさんが自主的に職業替えをなされば、我々の考える問題は最小限で済みます。余計なお世話だとたたかれそうです。売り切るか、残った動物たちはプレゼントにして、徐々にこのチェーンを断ち切ることはできるような気がするのです。しかし、外から、いくら、やいやい言っても、職業として立派に成り立って、利潤も上っているのであれば、それを気付き(ある意味、こちらの考えの押し付けになるかもしれません)でやめたいという人はほぼいないと思います。明日の糧をどうするか・・・の問題もあります。やはり、アメリカなどのいくつかの州のようにペットショップでの生体販売禁止の法律を作ったとしても、その、転業の大きなトランジット対策は必要ですよね。あくまでも、動物の売り買いが成り立つことをよろしくないことだと思い、こういったことがなくなれば良いと考えていることのベースの上に成り立つ仮想ではありますが・・・。と言っても、アメリカでもブリーダーの存在はあって、個人的な直接の接触で純血種(???)は購入できるそうですね。

 

そして、やはり、血統証付きのペットを求める人がいまだに多いです。これは好みもあるので仕方ありません。アメリカ、ワシントン州に住む友人は毎年ドッグショーというのでしょうか、動物たちのコンテストがあって、それを見に行くのが大好きで、そのショーに出て優勝した犬の飼い主とコンタクトをして、現在飼っている犬は分けてもらったようですが、もちろん、高額な値段がつけられるようです。手に入れたワンコには大満足だし、心を込めて世話していますよ。ただ、我々には生き方や考え方の違いがあるのは歴然としています。多分「美」に対する見方も。

 

実は私は変なのかもしれませんが、動物の可愛さや、美しさに犬や猫の種類には全く目が行きません。差を全く感じません。なので、こちらの方が変わっているのかも知れません。でも、一般的な人間中心の審美眼や好みに合わせて魂を持った動物さえも作り出していける人間、これは「おごり」と言えるような気もします。恵まれない動物を飼う決心をした人は日本で言えば保健所や一時預かりのお宅に問い合わせるのが好いのでしょうか。そしてやはり飼い主の年齢の問題もあります。将来のこともしっかり考えた方が良いですよね。年齢を重ねて行って、高齢者になると子犬や子猫などは飼わない方が良いに決まっています。後引き継いで自分よりも長生きをするでしょう動物を看てくれる人がいる場合は別ですが・・・。

 

おじいさんやおばあさんがベンチに座って野良ネコや野良犬にエサやりをしている光景はある意味「絵」になり、胸を打たれます。けれど、もう一歩進んで、野良たちの不妊を考えなければ、動物たちはどんどん増えてしまって、後、大変なことになります。個人宅でも同様です。一人住まいのお年寄りが世話をされていた動物たちが(どんどん増えて行き)飼い主を失った時、残された動物たちの世話がとても難しいようです。飼っている内から動物保護を行っている団体などと連絡を取り合って、ある意味正しい対処が必要なのでしょう。世話をされている間の心は純粋で、美しいのですが・・・。