あらま~、日本ではもうすでに5月なのですね。これを書きながら気づきました。

 

インフルエンザに今頃かかってしまって、咳が出ています。けれども、我が家の大きなイヴェントは終了したので、もう、リラックスできます。少しの病はおおらかに受け入れます。

 

実は娘が大学卒業しました。やっとできましたと言った方が良いかもしれませんが、かなりきついことでした。イタリアでは学科又は学校全体の大学卒業式というのに相応しいものはなくて、卒業の日は毎日というわけではありませんが指定された日があって、その日に向けて、学生それぞれが卒論を完成させて、公衆の場で教授陣の前で発表します。それで、誰でも聴衆になれるわけです。親兄弟、親類、友人たち・・・と参列します。我々も参列しました。

 

娘がパワーポイントを使って卒論のプレゼンテーションをしています。後ろ姿で申し訳ありません。

 

同じ科で、彼女のグループでは3人でしたが、それぞれの発表が終わり、点数の発表に引き続き、この大学を卒業をしたという、国が許可を与える発表が行われています。イタリアの大学卒業って重々しいのです。卒業証書は郵便で家へ送られてきます。直接渡される儀式はありません。

 

この国の名前で卒業の許可が与えられる儀式の後、学生たちは教授陣一人一人に感謝の気持ちを込めて、握手をします。この講堂から出た後、卒業者は月桂樹の冠をかぶり、皆の祝福を受けます。天気が良ければ外に出て、大体、それぞれの列席した人たちによってシャンパンが開けられ、カンパーイをします。大学の前の広場とかでですね。(プラスティックのコップでですが・・・)

 

 

 

娘の通った科はエンジニアリングの建築科と言ったら良いのでしょうか、可なり硬い学科でした。なかなか卒業に至らなかったですが、最終的には我が家流を通して、ぎりぎりまで準備に追われ、卒業の日に印刷終了といった、冷や汗ものでしたが、どうにか大学を(正しく)出ることができたわけですね~。「出る」という意味が今回はよく分かった気がします。兄たちも同じ大学を出ていますが、こんなには感動しなかったんです。やはり、末っ子だし、こちらも年を取っていくので、これで、どうにか学校事は皆済ませたという親の思いが大きかったかもしれません。とにかく、私は子供を作るのが遅かったし、息子たちもスピーディーではなく、ある意味、20年ほども平均年齢からが遅れてしまっています。もうすぐ70歳と言えば大きな孫たちに囲まれても良い年齢ですよね。孫はまだいませんが、それは本人たちに任せて、その時が来れば嬉しいと思います。何もかも、とっても大袈裟になってしまうのが我ながら恥ずかしくもあるのですが、どうぞお許しくださいね。

 

さて、上に説明した月桂樹の冠に関してなんですが、実は私、生まれて初めてこの手で作りました。大体、ピサの花屋さんにオーダーして、友人たち等のプレゼントになるそうですが、我が家ではなぜか私が作るものになってしまいました。何しろ月桂樹だらけの我が家ですし、経費削減にもなります。花屋さんには2000円から5000円ほどで注文します。しかも!これはあとで無駄になったのですが、2つも!!娘が「一緒に卒業を迎える女の子の冠がないみたい、2つ準備したい」と言い出して、私は、「それは大変、イイよ作る作る」と引き受けたのでした。娘は自分で友人の分は作る予定だったようですが、そんな時間はありません。何でもギリギリなんですもの。ただ、コミュニケーションがうまくいってなかったらしく、彼女には親類の方が準備していたようでした。私は、こっそり、持ち帰りました。使われなかったのは残念でしたが、それよりも、娘が友人のことを気遣う気持ちが嬉しかったのです。足りないよりは余った方が良いですよね。こんなものはきっと、縁起物でしょうから。

 

冠が押さえつけられないようにプラスティックのざるをひっくり返したものに載せています。これがかなり時間がかかり(生まれて初めて作るものだし、生ものと言っても良いので、ずーっと前から準備するわけにも行きません。)

 

これはネットから拝借、私の作ったものにより似ていたので・・・。この経験で、私はお花屋さんでバイトができるかもしれませんね。

 

そして、娘は花束もゲットしました。卒業に関して相応しい色は「赤」だそうです。何でも赤が使われます。

 

 

下の写真はコンフェッティと呼ばれるチョコレートですね。結婚式や子供の誕生、大学卒業の時に記念にお客様にあげるものですが、それも赤です。

この写真もネットから拝借しています。

 

娘はこれは準備しなくてもいいと言ってましたが、友人たちの卒業の際に頂いた娘の持って帰るチョコレートが私はとっても好きで、折り紙で箱を作って、中にチョコレートを入れてプレゼントに変えました。コンフェッティはあいにくなかったのですが、赤と金の透明の包み紙にくるまれた適当なチョコレートを息子が見つけてくれました。この和紙を使った箱の評判がまた良くて、嬉しかったです。なんでも日本人マンマの手作りでした。

 

そして、2日後、我が家で彼女の友人関係を招待して、20人くらいの小さなパーティーもしました。素晴らしい天気に恵まれ、何だか、全てが祝福されているようでした。私は小さな玄米紫蘇おにぎりをたくさん。(こちらでも、寿司は大流行で、日本人と言えば寿司が出ると期待があったかも…残念ながら私はお寿司は作りません)海苔は別に食べる時用にテーブルに置いて。それとハーブをたっぷり使った大豆ハンバーグを作りました。娘も色々腕を振るい、北の国から駆けつけた長男カップルも次男もそれぞれ料理となりました。娘作のチョコレートケーキはヴィーガンでしたが、大好評、皆二皿目をおかわりしたくらいなんですよ。

 

お客様は長居をして下さって、夕飯の支度に繋がりそうでした。

 

昼食後神殿まで皆で散歩に出かけました。たまたま、神殿の扉は開け放たれていて、神殿の中も見学でき、建築家の皆は大喜び、ネオクラッシックの建築物をこんな田舎で見れるなんてと驚いていました。

 

そして、神殿の裏に住んでいるカップルはロバも飼っていますが、生まれて10日目のロバがマンマとパパの間ですでに一人前に立って草を食べているのを皆で見ることもできたのです。本当に可愛かったですよ。ワンコのピント君もエルサちゃんも我々に付き添って、一緒にいてくれました。