Celebration | 日付変更線の向こうから

日付変更線の向こうから

旅人生活から足を洗ってはや数年、カナダ西部の田舎町に落ち着いた”私”の新生活。

 

大学でコミュニケーションや文化・言語学などを教えている友人が、一年ほど前にウィメンズ・サークルというプライベート・チャット・グループを作りました。

ブリティッシュ・コロンビア州のあちこちに住む彼女の友人達、約10人ほどに声がかかり、その中に私も加わりました。

日常生活で英語が話せているとは言え、

「人前で発言や説明をしたり栄養のカウンセリングをしたり・・・となると、まだまだ緊張するよショック

と言っていた私に

「いい練習になるはずよ」

と、友人が声を掛けてくれたのです。

 

月に一度、土曜日の夜にオンラインで行われる2時間ほどのミーティングに、参加できる人だけが参加し、あらかじめ用意されたテーマでそれぞれが発言をします。

話す気分でなければ黙って聞くだけでもよし。

テーマ以外に話したいことがあればそれもよし。

じゃあテーマの意味ないじゃん、って思っちゃうけど、それでも進行役の友人がなんとなくちゃんとまとめちゃうんですほっこり

身の回りの出来事、思い、疑問、あれこれを共有すること、そしてお互いを受け入れることがこのサークルの目的。

そしてメンバーが共有したプライベートな内容については、私たちだけの秘密。ふふ。ラブラブ

 

 

メンバーのうち2人は知り合いだったけど、あとは皆このサークルを通じて知り合いました。

大体私のようにミドルエイジの女性ばかりですが、生活環境は様々。

森の奥でオフグリッドな生活をする人。

少し離れた島でノマドな暮らしをする人。

移住しながら絵を描き続ける人。

方やバンクーバーの街で忙しく働く人。

そして私のように農村で仕事と子育てに追われる人。

 

キャラクターも様々なので、一つのテーマが思いがけない話題に広がり、自分が気づかなかったような話に考えさせられたり感動することも多いのです。

別に依存症のカウンセリングでもないのに、初対面のメンバーが集まって心を開き、耳を傾け、話し、時には泣き出したり。

「そういうのって女性しかできないね」と夫がポツリ。そうかもね。

 

週末の夜の2時間、パソコンに向かうのが面倒と感じる時も正直あるけど、終わった後にはいつも感謝の気持ちでいっぱいラブラブ

 

 

さて先月のテーマは「Celebration、って何?」でした。

Celebrationをシンプルに訳せば「お祝い」です。

ケンブリッジの辞書によると

A special social event, such as a party , when you celebrate something; 

パーティーなど、社会的(社交的)なお祝い事。

 

The act of celebrating something; 

何かを祝う行い。

 

An act of dancing, shouting, etc., to show hat you are happy after you have succeeded at something;   

踊り、声を上げるなど、何かに成功した時などの喜びを表す行動。

 

パーティー好きの北米文化において、お祝い事は度々。

でも誰かが亡くなった時の告別式を「Celebration of life 」と言うので、必ずしもハッピーなお祝いイベントばかりではないのも事実です。

 

 

私にとってCelebrationとは誰かとの繋がりを感じる機会。

大きな集まりであっても、ごく小さな、例えば2人だけ、さらに自分だけ、であってもCelebrationとは誰かと、あるいは自分と何かの繋がりを再確認する場所や機会だと思っています。

 

先月、家族の1人が亡くなりました。

大きなお葬式はなく、私たち家族はオンラインのビデオ通話で集まり、ジョークさえ交えるほど和やかな空気の中で、故人の思い出話をしたりお互いの身の回りの話をしたり、とてもとてもプライベートで静かなお別れの場を持ちました。

家族を亡くしたことで皆が集まり、改めてそこにある絆を感じる、という不思議な感覚。

それは私にとって、Celebration of lifeでした。

 

 

ウィメンズサークルのメンバーの1人は、彼女の友人が目にした面白い光景について話しました。

友人はその時、幼い孫達の面倒を任されており、久しぶりの子育てに悩み疲れていたそうです。

そんなある日、森の中で木の実を食べる雷鳥の雛鳥達を目にして、観察し続けました。

木から木へ、次々と移動しては木の実を落とし、食べていく単調な光景がしばらく続いた後、ある木にたどり着くとその木の実はなかなか取れず、雛鳥達は苦労して苦労してやっと実が落ちて来た瞬間、いつもとは違う歓声にも似た声をあげて反応を示し、そして餌を食べたそうです。

彼女はその姿を見て「これが人生。この喜びとCelebration が人生であり、私はこれを孫達に与えてやれば良いのだ。」と感じたとか。

 

あまりに多くの事に囲まれた忙しい日々の中で忘れてしまいがちですが、人間の最初の労働と喜びはこの「食べ物を手に入れること」だったのだと思います。

 

そう考えると、私達が無意識に毎日口にする「いただきます」「ご馳走様でした」の言葉が表すように、何かの命をいただくこと、そして家族や友人と食卓を囲むこと、それは立派なCelebration 。

命と命の繋がりだと思います。

 

今日から私と子供達は森の奥へキャンプに出かけます。

1週間、電気や水道、携帯アクセスのない場所に100人ほどが集まり、自然との共存を学び、楽しむというイベントに参加することにしました。

そこでどんなCelebrationを感じられるやら。楽しみです。