矢野絢子「ほどくコラム」4から6
高知は劇場歌小屋の2階での矢野絢子ライヴ2014「ほどく」という年間タイトルで毎月末2デイズやってます。
ライヴごとに毎月コラムをちらしとして原稿用紙1枚に書いて配っています。
3月まではブログのライヴレポで発表していたが、4月以降ちっともレポを書いていないので、ここで4月から今月10月までのコラムをまとめて掲載します。(手書きの文章と若干変更箇所あり、9月は最月イベント出演のみだったので書いてません)
秋の夜長の暇つぶしにどうぞ。
矢野絢子「ほどくコラム4」
「子供の大人」
夢の中で子供の私は猛烈に怒っていた。目の前の誰かの体を千切れんばかりに揺さぶって。言葉もろくに話せぬほどの猛烈な怒りのたけを全てぶつけてブルブルと震えていた。
目が覚めると十歳だった。
古い和室の天井と蛍光灯うっすら明るい窓、ここは何処?お婆ちゃんち?何でここで寝てるんだっけ?
だんだん意識が戻る。
私は三十四歳で歌を歌って旅をしており、ここは小樽のなまらやさん。昨夜1階でライヴをし、ワインをしこたま呑んで酔っ払い、2階で泊まらせてもらったんだ。
現実に戻りほっとしつつ、心には夢の中の怒りが生々しく、でも他人事の様に残っていた。そういや出産する前までは、自分の中のマグマのような怒りパワーに支配されていたっけな。
忘れたって消えない。でも大丈夫。
生まれてから今まで、そしてこれからのあれこれを、ちゃんとほどいて抱きしめて放してゆく。
怒りも喜びも全部大事にできるって事、大人の私は知っている。
これぞ究極、愛のナルシズム。
矢野絢子「ほどくコラム5」
「女たちの二の腕」
全ての女は美しいと昔池氏が言っていた。
今回の旅は女たちを巡る旅だった。南の女は皆カラッと元気である。
北九州の伝説のフォーク箱で、赤い紅をくっきり引いた推定六十云歳のママが、マイクセッティングから音響照明受付ドリンクまで一人でやってのける姿はいつ見てもカッコいいと思う。
はたまた沖縄で、私から見たら少女のような若い女たちがライヴ中周囲構わずとめどなく流す涙や、宝物を見せあいこするようにキラキラと自分らの音楽を演奏する姿も愛おしかった。
何処へ行っても女たちの他愛ない笑い声がその場を明るくさせてくれる。
ふと、幸福は女の二の腕にあるのかもしれないと思う。
細いのや太いのや餅のようなそれらに、言葉などにしなくても十分に伝わってくる女の愛が詰まっているのだ。
さて私の二の腕は。
最近けっこうむっちり育ってきたようだが。どんな愛が詰まっているやら。
矢野絢子「ほどくコラム6」
「生きる才能」
自分の仕事は自分で決める。きちんと最後までやり通す。
人と生きる時、できるだけ穏やかにあれ。
お互いが気持ちよくあれるよう、やれる事はやる。
必要なもの、大事なものは握りしめず、手放して見つめる。
私は昔から生きる才能に乏しく、散々四苦八苦した。今では昔よりは呼吸しやすく生きられている。それは先に並べたこれらのことをこれまでの人生で手にした書物や音楽、諸先輩方や友人たちから学んできたからだ。
若者でなくなった今、自分より若い方々にこれらを伝えることはできない。何故なら面倒だからである。
何でもかんでも手とり足とり教えてもらえると思ったら大間違いである。自分の心で感じ、片っ端から失敗しなければ何も残らぬ。痛みを知らぬ者に限ってやけに転ぶのを恐れ、大げさに痛い痛いと泣き喚く。
傷を作らぬことが生きる才能ではない。と私は偉そうに声を大にして言う。
明日は我が身で上等である。