作業療法士のMさんが、我が家に来てくれた。
今日を含めて3回、クリの身の回りのことをチェックして、アドバイスをしてくれる。
彼女はメインランドから来た若い女性で、
積極的にクリに声かけをしてくれて、リハビリの仕方も丁寧に教えてくれた。
DRPLAについても、すでに調べていて、
話が通じやすい。
ありがたいなあ。
大抵こうした場合、初日はクリの病歴などを話していく。
話す度に、本当に色々あったんだなあと感じる。
時には重い話、時には笑いを交えながら、
ハワイでの生活を話した。
話の中で、Mさんが「ホスピスについてはどう考えているの?」と聞いた。
私はうまく答えられなかった。
クリは4年前に、「ホスピスについて考える時期」と言われた。
医学的にはターミナルという言葉も使われる。
だから必要な質問だと思う。
医療従事者なら、誰でも最後を念頭に置いて、クリを見るだろう。
でも私はクリを看取る準備を、心の中でしていない。
2年前に敗血症になって、「あれだけ今日が最後でしょう」と言われても、
そんなつもりは全くなかった。
入院中に何度かミーティングが開かれて、
私は入院中の改善点を話す会なのかと思っていたが、
ずっと後になって、
あの時出席した人たちは「どう見送るかを相談するために集まった」ということを知った。
そうだよね。
医療の現場なら、現実を直視することが当たり前だよね。
わかっている。
私が医者でも、ナースでも、同じように考えると思う。
でもね。
大人になれないと言われたクリが、今もこうして寝息を立ててくれているのは、
クリの生命力や、
気候の良さも関係しているが、
私たち親が「そのこと」を考えないで来たからではないか。
このブログの長い読者さんなら知っているが、
我が家には幾度と奇跡が訪れた。
私も千秋さんも、
自分の上限を越して頑張って来た。
だから奇跡を掴めたと思っている。
「俺の命はいい。クリにやる」と言い続けた千秋さんが、
クリが敗血症になった途端に脳出血を起こし、
自分だけ旅立ったのは、
「クリを助ける強い意志」がそうさせたのではないか。
いい加減な千秋さんと私が、
クリを守るという点だけは、
「やれるだけやって来た。だからクリも頑張ってくれた」と言える。
胸を張って自慢できる。
クリを見送る日が来るかもしれない。
でも私たち親は、最後までホスピスは考えない。
絶対に考えない。
だから
看取りの話になると、私は胸が痛くなる。
ドクター達の考えと、
私たちの考え、
平行線だけど、
どちらも正解だと思う。
いつか私が千秋さんの所に行った時、
「あの時頑張ったね。クリを助けてくれて、さすが父親だよ」と褒めよう。
「看取りは考えない」
この生き方しかできないし、この生き方が不可能を可能にして来た。
「看取りは考えない」
これからも変わらない。
きっと明日もいい日になるよ。
ねえ、千秋さん。