クリは一度寝たのだが、11時頃に目を覚まし、

その後は眠れていない。

 

今1am。

 

 

 

ものすごく暴れているという訳でもないのだけれど、

30秒ごとに足が動いてしまい、眠れない。

脳のどこかの指令が、うまく作動していないのか。

 

 

今年の春、クリの体調が悪化し、

医師から看取りの話が出た時、

「今のクリちゃんは、昼と夜の感覚がないかもしれません」と言われた。

そうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、、、

多くの人の生活と私の生活との違いは、

『一日の区切り』だと思っている。

 

まだ病気がなかった頃、

私の生活も、「朝目を覚まし夜になると一日が終わる」という区切りがあった。

 

今は区切りがない。

寝ていない訳ではないけれど、

11時も、12時も、1時も、2時も、、

朝までずっと時計の針を見ている。

 

外が明るくなっても、それはクリの介護の延長のまま、

どこかで一日が終わるという感覚がなく、

朝がいちばん疲れている。

そして明るくなれば、

千秋さんの躁状態に付き合わされたり、

介護がエンドレスに続く。

 

今日と明日の区切りもない。

 

 

それでも人と会えば、普通に話をし、みんなと同じように過ごす。

 

 

私とクリだけが、『一日の区切りのない世界』で暮らしているような、

同じ時空の中で暮らしているのに、『本当は異次元』で暮らしているような感覚になる。

 

そして、

「終末期」「治療法はない」「進行性」という言葉の壁に、

押しつぶされそうになる。

 

ものすごい孤立感を感じる。

 

 

生きる希望、、という前に、

『この異次元から戻してください』と心が叫んでいる。

 

 

 

 

 

 

だけど、それを選択したのは私だ。

クリを施設に入れたら、私の体は楽になるだろう。

 

私はクリと一緒にいることを、

クリの睡眠障害に付き合うことを、

私が選んだのだ。

 

 

 

私はDRPLAではないけれど、

クリの苦しみの一部を共有したいと思っているのかもしれない。

 

 

 

私が選んだのだから、愚痴は吐いても、文句は言えない。

 

 

 

そう、この人生に文句は言うまい。言いたくない。

 

 

病気という運命は変えられなくても、

二人と一緒にいるという選択は、私がしたのだから。

 

 

もうすぐ2時だ。

 

 

外が明るくなるまでには、まだ時間がある。

 

 

 

 

 

 

どうかクリに穏やかな時間が訪れますように。

 

 

 

外が明るくなって、明日という時間が来た時、

発作になりませんように。

 

 

明日がいい日になりますように。