火曜日 | 睡蓮のひとりごと(仮)

睡蓮のひとりごと(仮)

ひとりごと、むにゃむにゃ

なんとなく悩んだりして、そこだけ切り取っちゃうと反省するんだけど。


例えば10年、20年で言ったら絶対よくなってると思います。


一回落ちてそこから上がったということを知っている人がいるのだけれど、20年前くらいはとんでもなくメンヘラのヤバい人だったと思って、あまり良くない縁もあったので。頑張ったって思ってみる。


病んでる時ほど、こんなに頑張ってるのになんで?って、自分が悪いってなるので、今は、ダメならしょうがないというのと、ここまでくると、なんとかなるって。


失ってもなんとかなるけれど、中途半端にすると不完全燃焼だったり引きずるので。終わったことは仕方ない、だったりして。


あと、感情が揺れ動くのだって当たり前のことで、自覚なくもっとすごい人もいるから。ちなみに今日は、嫉妬、ヤキモチみたいなもの、結構あるんですが、しょうがないって思った。だって女の子だしとか言いたいけど、女子力低め。


仕事でちょっとモヤモヤするやりとりがあり、ひさしぶりに連絡取れた人がいたら、安心して。おそらく文系的に考えるか、理系的に考えるかの話だったりして。あとは年齢的なものか。


リモートしてる人がいるといいとこは、相手の会話はイヤホンでしか聞こえないので周りは何話してるかわからない、はずなとこ。相手さえ良ければズバズバ言える。悪口じゃなくて、これをこう進めると多分こういう問題起きるよねってトラブル予想することは、時に悪口に聞こえるだけ。


今のところ私の声が大きいので丸聞こえなんだけど、やっぱり自分がリモートになる方が、かえって自由な議論はできるだろうなと、リモート同士だとひとつの会議室になるから、便利だなって。


私は学校は理系ではないけれど、理系っぽい実験のバイトと職業訓練ガッツリ理系、あと最近の音楽理論の話で、中途半端に文系と理系の感覚があるので。その視点、上長が見逃してるとか、おそらく絵的に見えてないなというのがあり、その話が愚痴っぽくなった。


でも愚痴ではないんだけど。最近話が並行線になりやすかったので、話通じる人と話せて安心する。


本当に、絵で理解するか、文章で理解するかの差でしかないようにも思うけれど、プログラムって私が勉強した感覚だと、そこまで書かないといけないかというひとつのパーツが抜けても事故になる、あと設計する感覚なんで、完成図と現在地がわからないと話が食い違う。


書いていて。音楽の場合は、これを感覚的に掴んでくれる人の方が再現しやすいので、相手は選んでしまうし、わかれば奇跡が起きるというやつ。本当のところ、音の捉え方の癖だったり、ポイントが同じということで、直感的にやってるけどわかる人が分析すればロジックはあるんだろうな。


先週あたりからずっと不安で荒れていた理由がわかって、疲れだけじゃなく、仕事も不安になってたのだということは、わかる。


わがままがあるとすれば。もうかなり体力は落ちているので、多少荒れてもなだめられる人がいないとキツイなって。あんまり自分が悪いという感覚で背負いこんで解決するだけの若さはないわけです。


歳取ったら勢いではなく知恵で生きないといけないなとは足りない頭で考える。


そんな火曜日