今週、大相撲の元横綱でプロレスラーでもあり、K1戦士でもあった曙さんが亡くなったというニュースを目にしました。
数年前に曙さんが体調を崩しているという番組を見ていたという事もあり、近い将来こういった訃報を目にする事になるんだろうなと覚悟はしてました。いや、知り合いでもねえのに何の覚悟だよって話ですが・・。
だからあまり驚きはしなかったんだけど、やはり何か1つの時代が終わったかのような寂しさを感じています😭😭

曙といえば若花田&貴花田の若貴ブーム時のライバルという事もあって、お茶の間での知名度も抜群。当時なら野球選手と力士の知名度ってのはかなりのもんでした。


そんな曙がK1へ参戦する事になったのが2003年
前年の2002年にはボブ・サップがお茶の間で大ブレイク。サップは2003年にミルコ・クロコップにKOされた事や、キモに大苦戦した事で最大の売りであったビースト感は薄れていましたが、まだまだ人気は健在。
バラエティ番組にも出ていたし、CDデビューまでしていましたしね




で、格闘技ブームの頂点とも言える2003年大晦日に曙さんとボブ・サップが激突
この日はフジテレビがPRIDE、日本テレビがイノキボンバイエ、TBSがK1ダイナマイトを放送するという、今では絶対にありえない状況だったんですよね。そしてこの試合は紅白歌合戦の視聴率を越えるという快挙を達成

曙さんはK1史上最強の視聴率男であり、近年の日本格闘技界の頂点に君臨する伝説のK1戦士だったのであります😭😭✋

しかし、この試合で曙さんはぴょこんとカエルダウン(KO負け)
試合が多くの人の目に触れた結果、曙=マケボノ、相撲=弱いというイメージを持たれてしまう事にも繋がってしまいました。





2004年3月
前年の決勝GPで準優勝を果たした武蔵と曙さんが激突。

この試合は張り手などの相撲技の一部が解禁された特別K1ルールで行われる事となった。
ボクサーが参戦した際にもシューズの着用を希望→膝蹴り以外のキックは禁止などの特別ルールが当時はありました。






曙さんの張り手で吹き飛ばされる武蔵!!


これが巌流島ルールなら武蔵はあの世行きですね。
まあ、巌流島のルールは全然知らねーけどな😂😂✋




しかーし、この試合で曙さんは倒れた武蔵へ追撃という反則をしてしまうのです。
武蔵=日本人からブーイングされてしまうヒール(試合が塩なので)でもあったわけですが、この試合に関しては曙さんが完全にヒールになってしまいました😭😭




また、負けちゃったヨ・・。


とはいえ、相手がいきなりサップ、武蔵というのも別競技からの転向(引退済)と考えたら厳しい面もあった気がします。それでもこの試合の視聴率はかなり高く、まだまだ曙さんの注目度は高かったのです。





同年7月には韓国で行われたアジアトーナメントに曙さんは出場しました。
1日で3試合勝ち抜けば開幕戦=世界ベスト16になれるという位置づけの大会です。ここで曙さんは中国の張というよくわからない選手と激突。

これはかなりボノさんに勝たせようというマッチメイク。






おい、舐めてんのか。
相手は横綱だぞコノヤロウ😤😤

なんとも下品な煽りVTRであります。




負けちゃったヨ・・。


憎たらしいほど強かった名横綱がゆるキャラ化していく過酷な現実・・。
おまけに試合内容も相手が当てて逃げるだけのアウトボクシングとは言えない退屈な展開が続きました。


そしてこのトーナメントで起きていたとんでもない出来事がこちら、、

 

 

■当時話題になったブログです


地上波放送に関しては上手く編集されて無かった事になっていましたが、バウトレビューの掲示板でも過去ログにこの出来事に触れているコメントはかなり残っていて、当時のK1の胡散臭さ(視聴率主義)を象徴する出来事だったと言えます。知らない人は絶対に見ておいた方がいいです🤣🤣

ちなみにこの年は魔裟斗vsブアカーオのトンデモ延長劇(後に延長の判断は間違いとなった)、更に12月の決勝GPは判定に苦情が殺到した年でもありました。


話を戻そう。
K1デビューから3連敗となってしまった第64代横綱・曙さん。

消化不良に終わった張戦から1か月後にはK1ラスベガスに参戦。
相手が逃げ回るせいで負けていると主張する曙さんとリック・ルーファスが戦う事となりました😁✋


えーと、、





負けちゃったヨ・・(1ヵ月ぶり4度目)





まあ、でも逃げる相手が悪いのだ😃✋✋


※ 逃げる相手を追うのが格闘技だろというツッコミは禁止である



しかーし、2004年の開幕戦スーパーファイト




曙さんと前年度K1王者レミー・ボンヤスキー(黒武蔵)の対戦が決定
ボンヤスキーはこの年の決勝GPも制覇して2年連続優勝を飾る選手でもあります。






現王者=逃げ回る事はない=曙さんの真価が発揮される時が来たのだ。
いや、そもそも前年の大晦日にサップと打ち合って負けてるやんというツッコミは愚の骨頂。この短期間で曙さんは急激な進化を遂げているかもしれない。





レミー・ボンヤスキーのハイキックを華麗にかわずボノさん!!





って、んなわけあるか。


これではまるで背泳ぎではないか😱😱




やっぱりダメだったヨ・・。
3Rにレミーのハイキックで曙さんはKO負け。これでK1デビューから悪夢の5連敗となってしまうのです。

デビュー戦からここまでの入場曲は壮大でカッコよかったのを覚えています。
当時の公式サイトだと曲名と着メロがあったはずで、俺はダウンロードしてたまに聴いてました。


この年の大晦日は魔裟斗vs山本KIDが話題になった年。
曙さんは大晦日にK1ルールではなく総合格闘技ルールでホイス・グレイシーと対戦して関節技であっさり負けてしまいました。総合ルールなら相撲技を駆使して・・とはならなかったですね。


そして2005年。
遂にその時が訪れました。




対戦相手は引退していた角田信朗。
43歳でリングに復帰してアジアトーナメント初戦で曙と対戦する事になったのです。




煽りVでは曙を勝たせるための噛ませという批判に怒りを露わにしていた角ちゃん。
俺の記憶では2ちゃんねる(掲示板)の奴らと名指し(?)で怒ってた場面があったと記憶してるんだけどな🤣🤣✋
 

 


■角田さん「よっしゃあ漢唄」

うむ、漢の中の漢である角田さんが曙を勝たせるわけがない。


ボノさんオワタ\(^o^)/





いいえ、見事に曙さんへ白星を献上してしまいました😂😂



しかし、ここから曙さんがK1戦士として覚醒するという事はなく、、




韓国相撲「シルム」の横綱であるチェ・ホンマンが参戦。
日韓横綱対決として3度も戦う事になるのです。




そして角田戦後のアジアトーナメント準決勝、地元ハワイ、北海道と3戦すべてKO負けという残酷な結果に。後にRIZIN旗揚げ時にSBルールでボブ・サップと再戦する事になりますが、曙さんのK1ルールでの戦績は1勝8敗でした。

相撲で引退後、怪我があった、年齢も高かった事を考えたら仕方ない結果だと思います。でも格闘技ブーム時にもっとも日本で注目された格闘家が曙さんなんですよ。
曙さん以上に世間を巻き込むような格闘家がこの先出てくる事はおそらくないんじゃないでしょうか。曙vsサップ戦に関しては一般紙でも記事になってましたしね。

そして格闘技ブーム時を過ごした僕にとっても曙さんというのは青春の1ページなんだよね。もう20年も前なのに、昨日のことのように曙さんの戦いが頭の中に蘇ってくるわけです。
だから俺は死ぬまで曙さんを忘れる事はないでしょう。

当時ブログサービスが流行していた頃、格闘技系のツッコミネタといえばK1(笑)と亀田でした。そしてそのK1(笑)ネタの中心が曙さんであったり、角田や谷川だったわけですよ。
爆笑オンエアバトルより、エンタの神様より笑わせてくれたのが当時のK1(笑)。



これからも僕はブログで曙さんの勇姿について語り続けたいと思います。





『なぜ300年で68人しか横綱になれないのか』



その答えに辿り着く日まで・・😭😭✋