愛鳥が息を引き取り
その日は悲しみの中で色々動いていた
夜になって
ようやく火葬業者に電話をする事が出来て
愛鳥の火葬の日を決めたが。。。。
火葬の日が決まり
一応家の敷地内でするので報告として母親に
「火葬は日曜日の◯◯時にするからね」
と、伝えたところ
母親の口から発された言葉に
びっくりした
「お母さんの美容室はいつ連れて行ってくれるの?」
こんな時にその言葉って。。。。
そういう人だと分かっていたが
本当にびっくりした
因みに
母親の美容室はGWの間に連れて行ってあげると言っていたのに
その時には行かないと言っていて
その時にまだ愛鳥が亡くなるなんて思ってもいない時だったが
GW明けはすぐに連れて行ってあげられないかもしれないからね、という事を伝えてあった
心から驚き
思わず
「びっくりした。」
と言ってしまった
この人はこういう人だった
いつもそう
子供の頃
可愛がっていた金魚が亡くなった時に
台所にあった三角コーナーに金魚が捨てられていた時も同じくびっくりした
子供心ながら
相当びっくりしたので未だにその時の光景は覚えている
母親のびっくりエピソードはまだある
母親の旧友の旦那さんが亡くなった時も
電話で酷い言葉を浴びせていて
(それはないんじゃないの?と思った記憶はあるが、なんと言っていたかはもう忘れてしまった)
その後交流が一切無くなっている
母親は交流が無くなってからもしつこく年賀状を出しているが一切返事は来ていない
その他にも
毎年母親の誕生日に果物とお花を持って来てくれるお友達のおばさんがいた
ある年、たまたま自分が家にいた時に
おばさんが母親にいつものように誕生日のプレゼントを持ってきてくれた
「こんなものもう持ってくるな」
と母親が強く言っているのが聞こえて
とてもびっくりした
おそらく
ありがとうの言葉は言わずに上記の言葉を発したと想像する
当たり前だけれど翌年から
母親の誕生日に毎年来てくれていたお友達のおばさんは来なくなった
自分が編み物の検定で文部科学大臣賞を受賞し
授賞式があるから東京へ行ってくる
と伝えたとき
父は「おぉ、おめでとう。すごいな」
という反応だったが
母親からは
「お金かかるね」
という言葉をかけられた
(その前年も授賞式に行っていて、旅の費用は全部自分で出している。親からは一切もらっていない)
この時もびっくりし過ぎて
思わず
「なんでそこなのさ。。。」
と言った記憶がある
全国一位という成績だった為、その後いくつかの新聞に載って(地元誌を含む)
自分の娘の受賞が新聞に載るくらいのことだと理解したようだったが
この時に、この母親から子供の頃から否定され続けていた事を思い出した
もう一つ思い出した
若い時に職場が遠くて
バスも不便で
身体も疲れるし時間が勿体ないから
車を買うか、一人暮らしをするかどちらかにしようと考えた
一人暮らしをする事にして
住むところも決めて家を出ると母親に伝えた時は
「男ができたんだろう、男のところにいくんだろう」
と怒鳴ってきた
この時も
本当にびっくりした
ざっと思い出した事だけで
これだけあるが
もう本当に反面教師としか言いようがない
母親はそういう人なので仕方ないが
そういう事を充分分かっていても
今回の
「お母さんの美容室はいつ連れて行ってくれるの」
この発言にはたまげた
母親はこういう人なのだ
そう、分かっている
娘がガンになっても
何度もう前の様には動けないと言っても
やはり自分の事が一番なのだ
仕方のないことだ
今日、車の点検とタイヤ交換に行く予定を立てていたが
その今日の予定に母親の美容室を入れ込んだ
さて、そろそろ起きて支度をしよう

穏やかな一日を