2024年の元旦に②──訃報 | pinocoのブログ

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巨大子宮筋腫、乳がんetc·····
何があっても自分らしく生きる七転び八起きの精神でユーモアを忘れず生きています。

地震のニュースを聞きながら

両親と元旦の食事を取り終え


ふーっと休んでいたら


知人の訃報が入ってきた



命の終わりは誰にもあるものだけれど

あまりにも突然過ぎた








昨年夏にもそんな事があったっけ···········


仲のよい友人のお父さんが突然逝った



家に遊びに行くといつも歓迎してくれた


『Pinocoちゃん来るからお寿司買って来たよ』


『Pinocoちゃん風呂入って行きなよ』


『Pinocoちゃん泊まっていったらいいよ』


等々、おじさんには本当に可愛がってもらったのに


家の中でのある事故で

突然逝ってしまった








今日、訃報が入った知人に

最後に会ったのは昨年の夏で


自分の体調を気にかけてくれて

林檎を買って来てくれた



その時

いつもの天使の場所で

久しぶりに会い

食事をしたのが最後になった



歯が抜けちゃって噛れなくなって

飲み込んでいるといっていた



自分のガンが見つかった時に

その知人も実はガンだったんだけれど

今も元気で生きているから大丈夫だよと連絡をいただいていて



つい最近は

インターネットで買ったコートが小さすぎて

もらってもらえないかと連絡があったり



佐治先生のクリスマスレクチャーのチケットを確保したから一緒に行きませんかと誘って下さっていたのに




自分は体調も思わしくなく

日々の生活でいっぱいで

どこにもそれ以外の事に費やす余裕はなかった








知人との最初の出逢いはある近所のカフェだった


何度かそのカフェで顔を合わせるうちに仲良くなった



とても活動的な方だった

いつもカフェでゆっくりされていて

お洒落な方でもあった


自分の前の職場にも時々遊びに来てくれていた



きっと自分だけでなく

周りの皆に同じ様に気づかいをされていたと思う



とても顔の広い方だった






もしかしたら

ご家族と離れて暮らしていて


寂しかったのかもしれない


そんな事は本人にしかわからない事だが





突然の訃報に

ただただ驚いている




昨年のクリスマスに

お世話になってる方の飼っているワンちゃんが虹の橋を渡ったのも悲し過ぎる出来事だったが

引き続き知人の訃報とは──







終わりのない命はないけれど



忙しい現実を生きていると

命が終わる事なんて考える事はほぼない






2015年に病気になった時

命の終わりを突きつけられたけれど


医師からの


『もう命の終わりを考えなくてもよいですよ』


の言葉をもらって

すっかりそんな事を考える事がなくなってしまっていた


忘れかけていたときに

今度はガンという病気になってしまったが


不思議と死ぬ気はしなかった


これについては

いつかここに綴れたら良いなと思っている







生きている事と死ぬことは背中合わせの事なのに



日常の忙しさに紛れて

いつの間にか忘れてしまっていた






地震のニュースで3・11を思い出し

なんとも心が傷んでいるところに入って来た

知人の訃報








坂本さん、ありがとうございました


安らかに───