2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術を行ったその後の記録です
2016年12月1日に書いたモノです
2016年12月1日
昨年の手術から一年が過ぎた
今日は、T病院に首のMRIの検査にいった
先日、ここの先生に
「手術のときに何があったんでしょうね・・・」
と不意にいわれ、
「はぁ・・・」
としか答えられなかったが
今日も首の検査の結果をきいたあと、先生はこう切り出した
「足の事ですがねぇ・・・」
自分は足の事については嫌な思いしか無いので、原因を追求する事はもうほぼ諦めていた
諦めるという言い方をしたが、今は歩けるようになることが自分にとって大切な事で優先する事なので、話の通じない「白い巨塔」のことはいったん自分の中に封じ込めていると言った方が良いかもしれない
犯人探しをしても下肢の状態が良くなるわけではないというのもあるし、なってしまったことをああだこうだ言うのは何事においても好きではない
そんな自分が忘れかけていたことをこの先生は言い出した
「手術のときの麻酔はどんな麻酔でした?
背中から?」
と聞かれたので
「硬膜外麻酔と全身麻酔でした」
と答えると、うんうんと頷き、
「硬膜外麻酔でちょっとでも神経を傷めたらこうなることもありますよ
あと、お腹を開けたときの何かでこうなることもあります
手術をした先生達はわかっているはずですが・・・そこにいなかった者にはわからないことです・・・
何かあったんでしょうね
何でしょうね・・・」
自分はここでもなんと答えていいかわからず
「はぁ・・・」
と言うしかなかった
でも、手術から一年たって、この先生のこの言葉に救われた気がした
手術してくれた病院では術後足がぶらぶらでも足の感覚や頭部感覚が鈍くなっていたことも大して取り合ってもらえず、しまいには気のせいといわれ、精神科にかかれといいだした
主治医ではなかったが、患者に厳しいスーパーマンS先生ただ一人だけはそれを言わず
「大変だと思うけれど、治るから頑張って」
といってくれたことがそのときの救いだった
話しが少しズレるが、スーパーマンS先生の毒舌ぶりは今も変わらないようで、S先生と合わなくて病院を変わる患者が居るらしい
主治医ではないから外来で顔を合わすこともなく、S先生に逢いたいなぁと入院中に仲良くなった友人にこんなことを言ったところ、
「そんなこと言うのは貴女だけよ」
とS先生と合わない彼女に言われてしまった
来月の受診のときには是非ともS先生と逢って会話を交わしたいと密かに思っている
話を戻そう
精神科にかかることで手術時の何かを『隠蔽』する事がしやすくなる策略だと感じたのと、そもそも精神科にかかる状態ではないと自分で判断したのでかかることはなかったが、それでやはり正しかった
病院側の対応に何か違和感を感じていたのが、気持ちがおかしいからだとずっと言われてきたことをずっと
「違う」
と言ってきた
全く関係ない外部の医者がこの状態を見てああ言ったのだ
やはり『白い巨塔』で間違いなかった
さらに、この先生は今日の検査のデータをすぐにCDーRに焼いてくれ持たせてくれた
札幌の白い巨塔は、検査のデータを一切外に出すことはなかった
旭川の国立病院へ渋々紹介してくれた時も、手術前のモンスターがお腹に居たときの映像だけよこしていて、旭川の先生が、
「半年前の映像だけみてもねぇ・・・」
と、苦笑いしていたのを思い出す
札幌の主治医に、自分のカルテを開示したいといったら、
「それはぶっちゃけ面倒くさい」
とも言われたんだっけ・・・
『白い巨塔』以外なにものでもないじゃないか
しかし、命を助けてくれたという事実も否めない
モンスターが悪性の肉腫ではなかったが、20センチまで巨大化していたため、あれ以上放置していたら命は危なかったらしい
体の中心にある大きな血管まで圧迫していたためだ
更に、今、大分動かせる様になってきている足ももしかしたら完全に動かなくなってしまっていたかもしれないのだ
なので、何度もここで書いてはいるが、白い巨塔というのは病院という組織のことであり、自分を助けてくれた主治医のO先生を始めとする婦人科の医師たちには感謝している
何かが有ったと思われる手術から一年
検査にきた旭川の病院で出逢った先生の口から出たひょんな言葉に救われた
忘れかけていた色々な思いが頭を駆けめぐる
一年のはやさと、「生きる」ことについて考える
人はトシを重ねたときと、
死を目の前に突きつけられたとき、
本当に生きることを真面目に考えるのかもしれない
DVDでもみて風邪気味の体を休ませよう