2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術を行ったその後の記録です
2016年10月12日に書いたモノです
今朝も下肢の痛みで目が覚め、坐薬を入れた
こういう体だから休んで治療中なのだ
なんでもないことなのだが、このような些細なことがたまにいくつも重なることがあり、そういうときはやっぱり凹む
人と自分を比べることは意味がないとは思うし、バカげてるとも思うがやはり普通に歩けて普通に生活出来ているのが羨ましいなと思う
思ってもそれはどうしようもないことなので、そんな気持ちは表には出さずにいつもいる
今日夕方のリハビリ訓練で、先日コーチャンフォーで足が前に出なくなって歩けなくなったことや、痛みが出ることが多いこと、健康な人との何気ない会話で凹んだりしてることを、訓練しながら先生に何気に吐き出した
その若い先生が、
「でも僕の前ではそんなことないですよね?」
と言ったので
笑いながらこう答えた
「今めっちゃ凹んでるんだよ~
これでも今、ものすごい落ち込んでるんだよ」
その若い先生は、そんな風に見えないと驚いていたが、本当に凹んでいるし、本当に落ち込んでいるのだ
ただ、どうしようも無いことを辺り構わずグチグチ言うのがいやなのと、変な励ましの言葉がたいてい真意をつかないものが多いので、心の中はズドーンと落ちこんでいても表に出すことはしていないのかもしれない
病気がわかったときにも周りに説明している自分は淡々といつも通りだったらしい
「強いね」
と、何度言われただろう
強くない
不安でいっぱいだった
ただ自分の身に起きている事態を受け入れるだけだった
心が引き裂かれそうになる感覚は、何度もあった
心を許せる大切な友人だけには申し訳ないと思いながらも心の内をきいてもらっていた
それからどうにか病院生活から抜け出して、自分の足で歩けるようになった
地道な毎日の積み重ね・・・それだけだった
仕事の復帰にもまだ時間がかかりそうだなといつもなんとなく頭の片隅にある
職場の理解度は低いが、それは当たり前の事だとわかった
友人に会っても、歩けない事意外は何も変わらず元気なので、歩けない事を忘れてしまうという
歩き出して、足が前に出ていない状態を見て、
「ああ、そうだった」
と、思い出すという
リハビリ訓練の先生ですら、最初に逢ったときに歩けると思ったと言っていた
車椅子から立って歩きだそうとしても痛みでさっぱり歩けない状態だった
先生の手と杖を使ってどうにかこうにか歩いている自分を見て、
「そういうことですか・・・・・。
なかなか難しい状況かもしれませんが、頑張りましょう。よろしくお願いします」
と言われたことを覚えている
そのあと薬をやめたり、お腹の癒着はがしの治療を受けたり、色々やっているうちにあっさり自力歩行が出きるようになった
あの時自分でも驚いたが、周りはもっと驚いていた
しかし、職場には電話での報告と、毎月の保険料の支払いに車で顔を出すだけなので、自分の歩けなさ具合はさっぱり伝わっていない様子である
旭川で入院中に仲良くなった方にこう言われた
「最低限の報告さえいれておけば、あとは復帰したときに言えばいいことだから、今は理解されないままで良いと思う」
本当にそうだなと思った
今は歩けるようになることだけを考えてあとはその時に考えればいいのだ
単純に考えればいいだけなのに、闘いが長くなると、つい余計なことも考えてしまっていけない
そういうときの気分転換は
やっぱり編み物
親戚のお姉ちゃんの家にやってきた子猫へのおもちゃだ
トイレットペーパーの芯を利用し、鈴を編み込んでみた
リンリン、シャンシャンと可愛い音が癒される
そういえば・・・
『チャン、リン、シャン』と、昔、薬師丸ひろ子がCMをしていたシャンプーがあったなぁと、懐かしい記憶が蘇る
まだまだ警戒してて慣れない子猫だが、誰もいないと作ったおもちゃで遊んでいるらしい
フクロウの模様が入ったハンドウォーマーも編み始めた
今出来ることを自分らしくゆっくりと
いつもの平和な時間の中にいる
明日起きたら凹んだ気持ちはどこかへ流されていることだろう