2016/8/2 子宮全摘術後の闘い㉓―雷雨の退院そしてまた入院 | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

 

 

2016年8月2日に書いたモノです

 

 

 

 

2016年8月1日(月)──旭川の国立病院の外来受診


昨日、五回目の札幌の国立病院での入院を終わらす事が出来た


旭川に戻ると豪雨だった

雷もゴロピカとしていて、町の大半が停電になっていたらしく
信号機もとまっていた

びしょ濡れの帰宅の翌日、早速旭川の病院の外来だ


札幌の病院の紹介ではあったが、ソーシャルワーカーの頑張りで一度は転院をOKしてくれていたのに、紹介状の内容で転院での受け入れは出来ない、外来受診でみてはみるけれど・・・と、言われていた病院である



ニュートラルな気持ちで向かった


自分の家から旭川のその病院は、札幌の病院に比べたらはるかに近い距離ではあるが、家から車で裏道の近道を通って4、50分かかるところだ
そこそこ遠い場所ではある

以前この病院の近くに住んでいたことが有るので、土地感は有る



昨年11月から8ヶ月で五回も入退院を繰り返した札幌の病院が新しくて大きくてものすごく綺麗な病院だったせいか・・・旭川の病院が小さくて古くて老朽化が目につく・・・が、病院が古くたって良い先生に巡りあえたらそれでいいんだ、と思い、札幌の病院の紹介状を持って外来受付に向かう


ボランティアのおじさんがサッと車椅子を押してくれ、ここが初めての自分に初診受付のカウンターまで案内してくれる


色々な記入するものはあったが、受付までとてもスムーズに終わらすことが出来た


脳神経内科の外来に案内され、そこの前でしばし待つ

予約は10時だ。少し早い8時過ぎには付いていたが、何だかんだともう9時半である


待合で編み物検定のテキストを広げ、来月に迫った検定に向け勉強を始める


10時前に診察の呼び出しをされ、診察室に向かう
もともと緊張するタイプではないが、期待していなかったためか、編み物検定の勉強に集中していたためか、全く緊張せず初めての先生と顔を合わせ、にこりと「よろしくお願いします」といった


初めて逢う神経の医師は、顔をしっかり見ながらこういった

「札幌の病院からは、色々聞いてますよ・・・」

なんて言っていいかもわからなかったので、苦笑いをした

そんな自分を見て、先生は、

「僕は他の医者がなんて言おうとも、自分でみたものじゃないと、そこに対してなんともいえないんです
だから、こうしてきてもらったんです」


うれしくて、ニッコリ笑う


先生は問診と触診をし、札幌の病院からの検査の映像をみてこういう

「うーん・・・これ・・・8ヶ月前のものでしょう、これだけあっても今の状態がなんとも言えないよね・・」



「あれ?映像の検査だったら、つい昨日までの入院の時に整形でMRIもレントゲンも撮ってますよ」

と、言うと先生は

「ええ?これしか来てないよ…あれぇ?」

と、苦笑いしてる

しばらく考えたあと、取り寄せることは可能だけれど、整形観点でとる映像と神経の観点で見る映像はまた違うから、もうしわけないけれど、検査していいかい?という

もちろん、はい、と答え、MRIと血液検査を受ける


MRIは昼12時からであったので、売店でサンドイッチと牛乳を購入し、少し早いランチタイムをしながら友人たちに連絡を入れる

その後下肢の痛みが辛かったので点滴室で検査の時間まで横にならせてもらう



午後、検査が終わり、再び神経の先生の診察


「腰から足に向かう神経は大丈夫
でもこの歩きにくい状態でしょう・・・
申し訳ないけれど、うち、二週間しかいれないけれど、いいかい?」



「二週間通院ですか?リハビリできるんですか?」

と、言うと、先生は、

「入院だよ、ここで入院して二週間検査しながらリハビリも考えていきましょう」


翌日入院することに決め、あっさり旭川の国立病院で受け入れてくれることになった

札幌の病院での下肢の対応に色々思うところはあるが、ここにつなげてくれたソーシャルワーカーに感謝をする


札幌の病院を退院した翌々日、旭川の病院に入院することになった
病気が発症して8ヶ月、六回目の入院だった