2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年7月5日に書いたモノです
♪汽車にのって
汽車にのって
アイルランドのような田舎にいこう──
JRに乗る時と、晴れてるのに雨が降っているとき、自分の中にこの歌が流れだす
たしか小学校の時の教科書に載っていた歌だったような気がする
退院後五日目、札幌の国立病院までの通院
この時期だからこうやって行けるんだなぁと、のそのそと松葉杖で歩きながら思っていた
どう歩いたら一番歩きやすいか、体の痛みが出ないか、効率的かなど考えながら、のそのそのそのそ歩く
病院での相棒の歩行器の『しゃー』だったらもっとしゃーしゃー歩けるのになぁ~と思いながらのそのそ歩く
五日前に退院して、予想はしていたものの、日常的なことが当たり前にできなくなっていた
・階段の上り下り
・ご飯作り
・洗濯
・掃除
・布団の上げ下ろし
・ゴミ出し
・買い物
・雨が降っても傘がさせない→→→ぱっと移動出来ないので体温は下がってしまう
ざっと思いつくことだけでもこれだけある
不自由な自分を思い知らされる
情けない事だらけではあるが
嘆いてみたところで何も変わらないので
どれだけADLとQOLを高めていくかを考える
自分一人ではどうしょうもないし、周りの心配してくれる声かけや気持ちも嬉しいけれど、それだけでは生きていくことは出来ない
ご飯を作れないならば買いに行くしかないけれど買いに行ったところで買ったものを持つことが出来ない
当たり前に何も考えずに出来ていたことが出来なくなってしまった
これは手伝ってもらわなければいけないが、
むやみやたらにその辺の人に手伝ってもらうわけにもいかないし、なれてない方やそういう経験がない方に手伝ってもらうことが、事故につながる怖い事だともわかっている
自分の立ち位置は手伝う側から手伝われる側に一瞬にして変わったのだ
幸いに───と言ってもいいと思う・・・・・・
こないだ病院で生まれて初めてのぶちキレを経験したが、自分の中にあった積もり積もっていたぐるぐるをポーンと吐き出してしまったようだ
本来の自分を取り戻すことができたのである
あんなにエネルギーを使ってへとへとにはなったけれど、悪くはない事だったと思う
痛みや不自由さにくじけそうになるけれど、自分が頑張らないと誰も助けてはくれないし、せめて自分でコントロール出来る気持ちの部分くらいは健康で有りたいと思っている
そうは言っても、この不自由な体が少しでも痛みが和らぎ、動いてくれる様になることがベストではある
どんな状態でも自分らしく生きたい
出来ないことを嘆くんだけじゃつまらない
ちょっと楽しむ感じで良いんじゃないかとそう思う
手伝う側にいたときも思ってはいたが、どうして普通に生きたいだけなのにこんなに頑張らないといけない社会なんだろうか
琴似の駅前でぼーっとそんなことを思いながら病院のシャトルバスをぼんやり待っている
いつもの癖で空を仰ぐ
そこはずっと変わらない日常である