2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年6月29日に書いたモノです
2016年6月29日(水)──再入院13日目──
昨日から今日のこの夕日を見るまで、たった一日しかたってないのに、何年も時が過ぎたような不思議な感じがする
いつか観たドラマみたいな事が次々自分の周りで繰り広げられる
昨日、麻酔科の専修医と話しをすることができた
自分の今の体との因果関係は理論的に考えられにくいそうだが、一部の不手際に関しての謝罪があったことと、因果関係がゼロではないということがわかったのは話さなかったら無かったことなので、それだけでもまずは良かった
麻酔科専修医本人に、半年間ずっと持っていた違和感を直接言えたことも良かった
この専修医は病院の食堂で何度も見かけている
この専修医に席を譲ってもらったこともある
いつか真実の話がしたいとはちあわせする度に思っていた
声をかけてしまおうかと思ったこともあったけれど、それはルール違反である
人としてのモラルの問題でもあるのでやめておいた
話した内容に納得はできなかったが、収穫はあった自分の行動だった
一日たって、心から素直にそう思える自分が居るが、昨日は違った
車の速度メーターで表すと、大分振ってはいるがその時点では振り切れてはいないくらいの状態である
専門家の二人の医師に対して素人の自分一人が、相手の専門分野のことでひとつの論議を交わすということがものすごく大変だということを実感していた
疲れちゃったなぁ・・・・と思う時間に浸ることなく、メーターが振りきれる手前の自分は、神経の専門の先生の外来によばれた
下肢の後遺症が固定してしまい、ちゃんと歩けない状態である以上、なんらかの手立てを打たないといけない
自分の歩けていない危なげな歩きを見ていた方の助言で、身体障害の申請を進めることにした
神経の先生に申請の書類をお願いするものの、これまた呆れることだらけだった
このブログに書くことももう少し時間がたってからにしようかとも思ったが、こんな経験もなかなかないので、ここにさらりと残すことにする
その医師がいうのは、申請の書類は書くけれども自分みたいなケースは初めてらしい
どうやって書こうとかとか、書いてもこういうパターンは今までないからなぁ・・・をひたすら言っている
そんなことは自分にとってはどうでもいいことであり、自分は歩けていないことが困ってるから申請を出すのである
それを書くのは医師の仕事で、患者を不安に落とし入れるものでもない
筋肉に問題ないのに歩けていないことがその医師には理解できないポイントだったらしいが、そんなことこっちが聞きたいところである
まるで自分がわざと歩けないふりでもしているかの様な口振りである
「理由を知りたいのはこっちです。なぜ歩けないのですか?」
と思わず聞いてしまう
その医師は
「感覚のものは子宮筋腫が巨大過ぎて神経を圧迫していたものの後遺症ですが、歩けないことはわかりません」
婦人科の先生に、神経のことはここの先生に診てもらうように言われてきたのだ
わからないってなんだ???
今までやってきた検査は爪楊枝みたいなので皮膚表面の感覚を確認するという、非常に原始的な事だけしかやっていない
しまいには歩けていない事は違う原因があると言いだし、それは何かときくと、わからないと言う始末
じゃあどこに聞いたらいいのかと尋ねると、これまたわからないと言う
神経の専門医に聞いてくれと言うからここにきてるんじゃないのか、ここじゃないんならどこに行けばいいのかと聞くと、しばらく黙って・・・・ここです・・・・という
そんなやりとりのその数分後、
神経の専門医であるこの人に自分のスピードメーターはとうとう振り切れた
ぶちキレると言った方があっている
神経の専門医は自分の顔をいっさい見ずにこういった
「お役にたてませんで」
と、ひょうひょうと言った
これが医師の言葉か・・・・・・・・
あきれてものもいえなかった
この医師と話す気力がなくなった自分は、申請の書類だけお願いし、診察室を出た
午後の待合室は患者ではなく医師とアポをとっているどこかのプロパーさんが数人待っていた
診察室を出た自分は、情けないやら腹が立つやら、わけのわからない怒りでいっぱいで・・・・・・・・
キレた・・・・・・・・
その尋常じゃない様子をみた外来看護師がここで落ち着くまで居てくださいと案内した部屋は、さっきの医師のカーテンごしの隣の部屋である
こんな場所で落ち着くはずはない
この看護師は火に油を注いでしまった様なものである
落ち着ける場所を自分で探すから良い、とキレながら言っている自分と、オロオロしている看護師のやりとりのところに、手術が終わったばかりの医師が通りかかった
「どうしたの?」
婦人科部長のK先生だった
ぶちキレた状態で、このK先生に今のことをぶちまける
K先生は表情ひとつ変えずに真っ直ぐに自分の目を見て一通り話を聞くとこういった
「申請の書類を書かないって言ってるわけじゃないんだね。神経の先生が言っている障害者っていうのは、手がない足がないっていうことなんだよ。大丈夫、君は歩けていないんだから、それはちゃんと僕はわかってる。身体障害者として認められる状態には間違いない。ちゃんと守られるから大丈夫」
ゆっくりと落ち着いたいつもの口調でこう話す
この言葉で気持ちはおさまった
持って行き場のない怒りはすぅっと魔法がかけられたように勢いがなくなった
ものの言い方、言葉の選び方ひとつだと思う
そして受け取るこちらのその時の状態もあった
悪条件がこうも見事に重なった事で、人生で初めてこんなぶちキレた状態になった
それにしてもここまでヒートアップしたものを冷ますことはそこそこ時間がかかるものだ
もう人も少なくなっている正面ロビーで座っていると、当然連絡が行っただろうと思われる婦人科の病棟の看護師がやってきた
今日の麻酔科医とのこと、神経の医師のこと、病棟での我慢してたこと、体の不安、これから生きていく不安を看護師に一気に言った
看護師はその気持ちにそっと寄り添ってくれる
言い終わったら
へとへとに疲れていた
ぐったりという表現がぴったりだった
様子がもう大丈夫とみた看護師は絶妙のタイミングで戻っていき、もう少し落ち着くまでここに居ることにした
怒りのパワーがこんなに疲れるものだとよーくわかった
ぶちキレたことは疲れることだったが、ぶちキレたことも良かったと思った
病気が治ったから良いってわけじゃない
命が助かったから良かったねじゃない
寝たきりで生きていたいわけじゃない
自分の出来る事は自分でする
出来ないところは助けてほしいと言っているだけなんだ
突然の病気と闘い、痛みと闘い、周りの無理解さと闘ってきた
どこに相談したら良いかわからず
それでも諦めないで探していた
終わりの見えない闘いにくじけそうに何度もなった
心療内科で心のケアをと勧めてきたこともあった
ちがう
そうじゃない
そこをどうしてほしいと言っているわけではない
先の見えてこない道を見つけたいと言っているだけなんだ
ぶちキレる事によって、負のエネルギーを爆発させた
こんなことは後にも先にもきっとないと思うが、このぶちキレる事は自分にとって良かったと思う
積もり積もった事をクリアにできた感じがした
それにしても疲れた
消灯前に病棟に戻った自分の姿をみて、看護師たちは、「良かった」といつもの笑顔を向けてくれる
明日退院する
今回の入院は体を休め、これからを改めて考えることが出来た入院だった
そしてここの婦人科の医師たちの素晴らしさと、信頼を深めるものにもなった
周りの方達もいろんな形で励ましてくれ、感謝の気持ちでいっぱいである
松葉杖の自分にこれからどんなことがあってもこの入院でのことが自分を支えてくれる
すべてのことに感謝して眠りについた