2016/6/17 子宮全摘術後の闘い④─退院後の緊急入院を振り返る── | pinocoのブログ

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2015年巨大子宮筋腫のために

子宮全摘術後を行ったその後の記録です

 

 

 

 

2016年6月17日に書いたモノです

 

 

 

2016年6月16日(木)──二度めの再入院のベッドでふと思い出す



前回の再入院は、退院後二週間ほどたった頃だったと思うがそういえばここにまだ書いていなかった



6カ月前の最初の再入院は2015年12月17日───


術後の痛みが取れないまま、不安が残る退院ではあったが、不安は的中した
痛みはどんどん酷くなり、痛み止めのスリノフェンを飲んでも坐薬を入れても変わらない
何度目かの電話を病院にした


「痛くてたまらないんです」


ちょうど主治医が外来に出ている水曜日だった


確か11時過ぎの連絡だったと思うが、札幌まで来れるならきてくださいと言われ、「もしかしたら入院かも・・・」と思いながらも、雪道に松葉杖での移動を考え、小さなショルダーバックに財布とスマホ、スマホの充電コードだけ入れ、札幌の病院にむかった


家から旭川駅まで運転していき、駅の駐車場から駅に歩いていく

雪道を松葉杖で歩くことがこんなに大変だと思わなかった


下肢の痛みもあり、心細さと情けなさで涙が出てくる




こんな状況でも自分が我ながら凄いなと思ったことがひとつある


JRに乗り込む前に、ぺこぺこだったお腹を満たすおにぎりとラーメンサラダを買っていたことだ


今思えば笑える話だが、そのときの自分は、朝から何も食べていなくお腹はぺこぺこ
札幌の病院についたら、どこにも何かを口に入れるタイミングはないのだと、とっさに考えていた

その判断は結果的に正しかった


JRとタクシーを乗り継ぎ、病院にたどり着いた自分はヘロヘロだった

気も抜けて、婦人科外来のいつもの看護師の顔をみると歩くこともできなくなっていた


車椅子に乗せられ、そのまま血液検査と造影剤を入れたCT検査をした
看護師にトイレ介助もしてもらう始末だった

その後、O先生に呼ばれ、
「きょうはこのまま泊まっていきましょう」

といわれた


夕方5時過ぎではあったが、帰る気は満々だった

しかし帰れる状態の体では決してなかった


車椅子のまま病棟に連れて行かれ、緊急入院をした

ショルダーバックひとつの入院だった




入院後、絶食となり、栄養剤の点滴が始まった


次の日の診察で、主治医のO先生のものすごく痛い内診があった
痛さで思わず声をあげる自分の膝を、誰かがなでなでしてくれていた
スーパーマンS先生の手だった
その後、裾からジャバジャバジャバ~となにやらでてきていた
痛みの原因の場所を刺激され、さらに痛みが増し、診察が終わったときにはヘロヘロ状態だった
診察室の診察台の下は、血のようなものが散乱していた

スーパーマンS先生──ここの婦人科のトップ──から体の状態の説明があった


「手術をしたところに何らかの感染で、『のうほう』と言った膿が溜まる袋状のものが出来ています。四センチにまで大きくなっていて、それが今の痛みの原因です。さっきO先生が頑張って『のうほう』の中の膿がだいぶん出てきてくれたけど、もう少し残っているから膿がなくなるまで抗生物質の点滴と、毎日患部の診察をして様子をみましょう」

不安気な自分のようすをみて、スーパーマン先生の説明はさらに続く

「あなたが悪い訳じゃないですよ。原因はわからないんです。もともと体にいた菌かウイルスか、手術のときの何かかもしれない。何とも言えないのです。あなたは悪くないですから」


自分は知らなかったけれど、スーパーマンS先生は、物凄く腕利きで有名な先生だった
地方からこの先生にかかりたいといって来ている患者さんたちも何人もいた


その一方でこの先生は、怒ったら怖いという噂も耳にする事が多かった

実際周りの患者さんに対しての態度が時々物凄い威圧的な時もあったが、よく見ていると、そういう風になり得るだろうという原因も──なくはなかった

不思議とこのスーパーマン先生の自分に対しての対応はものすごく優しいものだった


もともと自分は人に差別無く接する体質だが、そういうことがよかったのか何かわからないが、自分に対するスーパーマン先生は物凄く紳士的である


この時も、物凄く優しくあったかいスーパーマン先生だった

そういえば、手術のとき、手術室に入って麻酔がかかる前、目の前にお茶目に手を振りながら現れ声をかけてくれたのもこの先生だった






5日間ほど抗生剤の点滴を受け、毎日の痛い診察──患部の洗浄と注薬の治療──を続け無事に「のうほう」は小さくなっていった




外は深い雪が積もっている
この再入院の間にクリスマスを迎えた

年末の病院は治療しに入ってくる患者も少なく、周りはなんとなく浮かれている



年末の12月28日
物凄い吹雪の日だった



一度目の再入院が終わった





つらいことばかりではなかった




札幌へ向かうJRの中で、購入したコンビニ弁当を食べようとしたら箸がない
普段の自分ならいたしかたないと思い、食べることを諦めたであろう

しかし、そのときは次にいつ食事をとれるかわからない状況だった

車掌さんに事情をはなすと、車掌さんは私物と思われる割り箸を手渡してくれた



緊急入院が決まって、困ったことの一つが、車を旭川駅の駐車場に停めてきたことだった
これもどうしようもない不可抗力で起こった事態である

旭川駅に電話をし、事情をはなすと、料金はもちろんかかるが、そういう事情であればチケットが無くても誰か代わりの方が取りに来てくれたとき、特急利用の1日500円の支払いでいいですよと気持ちのいい素早い対応をしてくれた

JR北海道はあれこれ色々言われてはいるが、素晴らしい対応力だと感謝している




病院の中でも人の暖かさをありがたく思ったことがあった

何も持たずに緊急入院をした自分に、膝掛けやバスタオルをサッと貸してくれた方


綿棒や箸、ウエットティッシュやポケットテッシュをさりげなく「もう使わないから」と置いていってくれた方




時々みかんや牛乳を差し入れしてくれた方

そんな皆さんに共通していたのが、重い病気で治療しに来ているということだった
前回の入院でほんの少し病室が一緒になった方々だった




離れた友人知人もスマホを通して励ましの言葉をかけてくれる



周りの方たちの真の優しさを強く感じた入院であった