2015年巨大子宮筋腫のために
子宮全摘術後を行ったその後の記録です
2016年6月17日に書いたモノです
2015年11月30日、今から半年前に巨大子宮筋腫の為に約5時間に渡る子宮全摘術を受けた
病理検査の結果、肉腫(悪性)ではなかったが、筋腫が20センチまで巨大化していたため、体の中の臓器や神経を圧迫していた事の後遺症で腰から下の神経障害が残った
退院後、仕事に戻り、普通の生活に戻ったかのように──周りは思っていただろう
術後の傷口は順調に回復している
見た目は健康
歩き方がちょっと変な時が有るくらいで、まさに健康そのものである
しかし、ずっと闘っていた
大きな手術ではあったが、O先生の懸命な努力の結果、傷口はへそから下で抑えられた
その傷口が回復に向かっているのに足腰が痛かったり背中が痛んだり・・・・・・とはどういう事かがこうなった者しかわからないと思う
当たり前だが、周りはこういう
「古傷は天気が悪くなったり寒いと痛むよね」
と、まぁ、9割はこういった意味合いの言葉をかけてくれる
傷口が痛いのではなく、巨大筋腫が圧迫していた足腰の神経が痺れて痛んでいるのだ
なった者にしかわからないことだとおもう
主治医のO先生も
よくある無理解さと勘違いではあるね、と言ってくれ、数ヶ月前には口でいっても理解度が低い職場へ診断書も書いてくれた
どんな病気でもそうだと思うが、今まで当たり前に出来ていることが、なにかの疾患により、できなくなるものである
当たり前にできると言うことは、無意識にスッと出来ることだと思う
例えば顔を洗うこと
朝起きて、洗面台にむかい、屈んで顔をバシャバシャ洗うことは毎日何とはなしにやっている行為だとおもう
ぎっくり腰になったとき、顔を洗うことができなかった
前かがみになれないのである
ケガや病気をするということは、当たり前が当たり前でなくなることである
無理解な周りに右往左往しながらも太股の表面の感覚のなさと、相反する内側の痺れと痛みと向き合い、心無い言葉をかけられても半年頑張ってきた
人というのは心と体でできている
頑張れる状態をキープ出来る気力の限界も上限があるとおもう
下肢の痺れや痛みがあっても、もう少し頑張れる状況であればまた違っていただろう
が、現実はそうではなかった
札幌の国立病院のO先生に何度か目の相談をしに外来へ足を運び、とうとう
「疲れちゃいました・・・・・・」
と、こぼしてしまう
O先生の口から出た言葉は、
「今、職場にまた診断書を書くことは出来ます・・・・・・が、通じない感じの職場の様なので、まずは入院して体の痛みを少し緩和しましょう」
と、いう意外な言葉であった
手術してもらいその後もお世話になっているこの病院は札幌の中でも救急の救急と言われる病院だ
この状態でまさかここにまた入院する事が出来るとはおもってもいなかった
先生は続けてこう言った
「婦人科病棟に入院してペイン外来での治療をしましょう。大丈夫です、まえと同じ病棟に入れますから」と
自然に涙がこぼれ落ちた
限界だった自分をまたこの先生は救ってくれた
2016年6月16日
札幌の国立病院へ再入院した