あの日は、長男の小学校で
給食費を集める当番になっていて、
午前半休をとり、
午後から出勤した。



その日はタイミングが悪く、
お昼ご飯を食べそびれていて
わかめスープを飲みながら
エクセルで作業していた。


左隣りのTさんは
15:00からの打ち合わせのために
別の階の会議室に準備に行っていて、


右隣りのBくんは
お客さんのところで商談で不在。


前の席のYちゃんは、
年次休暇を取ってた。
この日は他にも休んでいる人が数人居て
外出や出張している人が多く、



なぜか、事務所に残っている人が
やけに少ない午後だった。



地震が起きて、
あまりの揺れの大きさに
ビックリしながらも
すぐに机の下に潜り込んだ。


事務所の
北側と南側を分けている壁に
大きな亀裂が入っていて
地震の規模の大きさを物語っていた。


新横浜駅直結の13Fの事務所。


お台場方面で
黒煙がムクムクしてるのが見えた。



地震発生後、
なかなか帰宅OKの許可が出ず
けっきょく、定時まで拘束された。
途中、食べ物や水を調達しておこうと、
事務所から降りていくと


新幹線も
ローカル電車も当然すべて停まっていて

膝を抱えて泣いている若い子が居た。




なんども携帯や固定電話から
主人に電話してみても
全く繋がらず

不安と孤独感がどんどん高まっていく。



一度は会社に泊まることを覚悟した
そんな時、
斜め前の席のNさんが
実はきょうは車で来た、という。



なんとなく同じ方面のKさんと一緒に
乗せてもらい、わたしは
Kさん宅で一泊させてもらうことになった。



家に帰宅出来ないことが決定し、
停電で真っ暗な道を通っていくなか
家族の誰とも連絡が取れないままで
不安は大きくなっていく。




幸いなことに
自宅と
主人の職場は
自転車で5分の距離。
長男の小学校は自宅の隣、
学童は主人の職場と
次男の保育園の間にあり
保育園までも10分。


わたしの職場以外はみんな近いところに
まとまって居たので


連絡が取れなくても
子どもたちのことは
主人がなんとかしてくれるだろう、と
思ってた。



でも、このことが、その後のわたしの
働き方を考える
一つの大きなターニングポイントに
なったのは間違いない。



わたしもちゃんと子どもたちのそばで、
すぐに駆けつけられる距離に居ながら
働きたい、と強く感じた。



今の、
基本は自宅、ときどき
自由にいろんなところに行く
という働き方のスタイルを
確立するきっかけになった、
3.11。



あの日
お世話になったKさんとNさんとは
いつまでも忘れられない、
なんとも言えない想い出を共有してます。
毎年思い出す、二人の顔。
ありがとう。