司馬遼太郎の世界②豊国神社、方広寺 | 妻に内緒でコツコツドカン(ロック的ドタバタ投資日記)

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恐妻投資家・剣崎ジュンが脳内相棒の福耳アッサム君と「投資と節約の両立」を実践します。
人生100年時代にユーモアと生きる知恵を!

今日は雨!
毎週木曜日は病院に通院している日です。
しかし、いつも待たせ過ぎ!
3時間以上はザラです。 

待合室の時間潰しするのは辛い。
いつも、喫茶店や読書タイムにしています。(先週は待合室で苦役列車を読破)

今日も頭の中は司馬遼太郎の「城塞」
のままです。上巻読破し、今は中巻です。
と、いう訳で今日は
「診察を待っている2時間の間に行ける神社仏閣。城塞の中に出てくる場所でしかも無料の場所」
行くと決めました。

京都駅から雨の中を歩いて15分。
豊国神社
に着きました。
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さすがに平日の朝9時。誰もいません。
神社を管理している人も気配がありません。
その隣にありました。
方広寺
です。ここは「大阪夏の陣、冬の陣」のきっかけになった鐘があります。

一応エピソードを書くと、、
①地震で破壊された東山方広寺の大仏殿を豊臣秀頼が再建することになった
②修営が終わって、鐘に文字を入れた
③徳川家康がその文言に難癖を付けた。これをきっかけに戦争を仕掛け、豊臣家を滅ぼそうという意図があった。
④その文言は「国家安康」というもの。家康の名を切ったと読める。また「君臣豊楽、子孫殷昌」は豊臣を君と主として子孫の繁栄を願うものだと解釈した。
それがこの鐘です。
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画面の鐘の白く囲ってある二箇所がその文言です。
こんなの完全に言いがかり。しかし、戦のきっかけが欲しかった家康からすると、絶好の機会だった訳ですね。
あぁ、つくづく嫌な性格だな、家康は!
しかし、これだけ貴重な鐘なのに、無人。管理は大丈夫なのかな?江戸時代の物を今に残してるのに。しかも家康と豊臣家の戦いのきっかけになった鐘なのに。ちゃんと管理して、入場料を取ればいいのでは?等と考えてしまいました。
で、三十三間堂や博物館は無視して智積院に行きました!
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今日もよく歩いた!