当時は埼玉県坂戸市にいたっけ | カメラを持ってウォーキング

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仕事で歩き過ぎたせいなのか、単純に加齢のせいなのか半月板損傷で歩くのもままならない毎日です。自転車は今だ故障中で、且つ歩けない。おまけに新型コロナでなかなか公共交通機関も使いにくい。なのでネタ切れでブログさぼりぎみです。
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2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中
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 2011年3/4、仙台で父親が手術。肉親として立ち合い。手術の間あまりに暇なんで航空自衛隊松島基地へ行って写真撮ってた。


 そのちょうど1週間後、埼玉に戻って4月からの職業訓練校への入学準備中にあの地震。あまりの揺れの長さで座ってたライティングディスク(ガラス入り)が倒れそうになったんで、必死で抑えてた横でタンスが倒れた。埼玉県中西部は震度5弱。もちろん家の中はグチャグチャ。テレビをつけると宮城県沖が震源とのこと。手術から1週間しかたっていない親父が一人で仙台にいるんで即電話したんだけどすでにつながらず。テレビでは名取市の津波の様子が放送されてて。

 

 うちは仙台でも標高100m近い八木山っていう丘陵地帯にあるんで津波の心配はなかった。病み上がりの親父が海のほうへ出かけてるとは思えなかったしね。とりあえず兄弟に電話しまくってたら、弟の嫁さんが連絡つけられて無事を確認したってことで一安心。 

 

 ただやっぱり肉声を聞きたかったんで何度も電話したけどかからず。そうこうしてるうちに暗くなってしまった。ふと思いついたのが『公衆電話ならかかるんじゃないか』。

 

 当時もう希少になってた公衆電話だけど、たまたま団地の1階の米屋にあったんで小銭を持って行ってみた。とあれだけかからなかったのに公衆電話だと一発で繋がった。無事は聞いてたけど肉声を聞いて安心したっけ。

 

 親父の無事に安心して気が付いたのが、もし地震か手術が1週間ずれてたら小生は間違いなく津波に飲まれてたってこと。たくさんの人が亡くなったのに不謹慎とは思ったけど、反面地震が1週間ずれて本当によかったとも心から思ってた。