1997年5月。日本ではまだPRIDEが旗揚げとなる直前でありK-1が国内の格闘技人気を博していた。

このころアメリカではUFCが誕生しておよそ4年。まだ「アルティメット」と呼ばれmmaが競技として確立されておらずUFCはケンカ自慢やレスリング、柔道選手が入り混じるマニアックな大会だった。

ここでスターの座を手に入れたのは殴り屋タンク・アボットだ。

見た目の風貌そのままに、突進しながら相手を殴り倒す様はアメリカのコアなファンの心をつかんでいた。


彼の特徴はケンカスタイルで相手を叩き潰す中でしっかりとUFCのルールに適応しつつあったことである。ルール義務ではなかったオープンフィンガーグローブをいち早く装着して試合に臨んでいた(おそらくは拳の負傷を防ぎ、且つ薄いグローブによるダメージの有力さを考えていたのではないか)

さらに基本的な差し合いにも対応し簡単には倒れない。重心の低い体型も活かした腰の重さを発揮していた。

基本的な格闘技術を身につけたヘビー級のケンカファイターには同じ体格をもつ者といえど、当時のレベルのグラップラーやケンカ屋では歯が立たなかった。

そんなアボットの前に現れたのがブラジルからの新鋭、ビクトー・ベウフォート。


ご存知の通り彼はその後PRIDE参戦を経て近年のUFCで活躍するまでのレジェンドファイターになるのだが、アボットとの試合に一つの当時、素人な格闘マニアだった自分の固定概念が壊された。


"ほとんどノールールで無差別に近い戦いなのに、小さい方が勝った"

"しかも体格でも上回る相手を完膚なきまでに殴り倒して"

当時中学生だった自分にとって格闘技の奥深さと何ともいえない衝撃であり、その魅力にひかれていった。

こうして振り替えると、体重が軽いとはいえ、それでも100㎏前後あったビクトーの強靭なフィジカルと柔術ベースの組み力、そしてブラジリアン柔術ファイターとしては珍しく速射砲のようなパンチは、アボットを凌駕するには充分過ぎただろう

そして何よりも若さ溢れる獰猛さでアボットを食ってかかったことだ。パンチの連打を仕掛けられたアボットは嫌がってタックルにいくも完璧に切られうずくまり殴られるしかなかった。

柔よく剛を制すと言うが、この場合は体格差こそあったが、剛vs剛であり、対格差をはね飛ばすパワーで軽量の剛が圧倒したのだ。

超新星の名の通り、混沌とした当時のUFCの中に、後の技術体型のベースとなるような革命をもたらしたビクトーだった。