家族が亡くなると、心にぽっかりと穴が空いてしまうような喪失感、悲しさ、さみしさや、後悔が残ったりと見送った家族にとっては辛い体験だと思います。身体はなくなっても、魂と言われるものは残っているとし、その魂を供養、癒す必要があると考えられています。ですのでお墓を作ったりすることで、それをご先祖様の象徴に見立ててお彼岸やお盆にお参りしたり、何周忌ごとの法要などが必要だと思う方もいらっしゃるでしょう。                   






結論からお伝えしますと、このような先祖供養は亡くなられた方のためではなく、見送った家族の心の整理や拠り所などのためだということです。例えばA子さんが亡くなったとします。A子さんは、A子さんとしての体験を終えて身体を脱いだあと、絶対無限の情報の海に融合し、素の意識エネルギーに戻ります。そうすると個性はありますが、素の意識エネルギーになっていますから、A子さんとしては存在していないということです。                       





私達は身体を脱いで、素の意識エネルギーに戻り、自分のタイミングで、行きたい波動領域で新たに好きな体験をしに行くのです。ですから、見送った家族だけがA子さんがそのまま魂として、どこかで存在し続けていると信じているだけなのです。もしもいつまでも家族が悲しみや後悔を抱えていたらどうでしょうか?仮にあなたがA子さんなら、もうとっくに違う個性の存在として違う場所で楽しく体験をしているのに、片やまだA子さんとして悲しまれたり、悔やまれたり、ましてやお願いでもされたりしたら、かえって困ってしまうのではないでしょうか?          






最近は見送った家族のほうでも、お墓の管理等の問題もあります。お墓を守る守らないで、自分の人生を左右されてしまう方もいらっしゃるかと思いますが、もっと楽に考えてもいいのではないかと思います。亡くなられた方はいつまでも引きづられたら辛いですし困ります。見送った家族もそのような形式に縛られて不自由を感じるのなら、亡くなられた方にとっても見送った家族にとっても、お互いにもっと自由で楽な選択ができれば、それだけでいいのではないでしょうか。          






最後までお読みいただきありがとうございます♪