11の魔法で子ども指導  -20ページ目

11の魔法で子ども指導 

池上正さんの「サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法」という本を教科書に、

フットボール指導から学んだノウハウを活かして、

戦術的ピリオダイゼーション理論をベースとした『複雑系の指導』を追求中!!


11の魔法で子ども指導

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000052-sph-socc


イビチャ・オシムさん。
本当にお疲れ様でした。
あなたの哲学とサッカー観に惚れ、どれだけ影響させられたことか・・・



僕が教員を目指し始めた頃、「フットボール」と「学校教育」 は別物だと思っていました。
「フットボール」は好きで来ている習い事。
「学校教育」 は来なければいけない強制された事。



でもオシムさんの、フットボールで人間を育てる指導観のおかげで、「フットボール」も「学校教育」 も一緒である考えが持てたし、それが「戦術的ピリオダイゼーション理論」 にも繋がっていった。

そんな影響力のあったオシム氏の言葉でトップ3を発表したいと思います。



『日本人は伝統的に責任を他人へ投げてしまう。けれども、サッカーではそれは通らない』



『人生で起こりうるすべてのことは、サッカーの中に集約されている』



『コーンやマーカー相手にドリブルトレーニングして何になる?それから得られるのは、コーンやマーカーをドリブルでかわせる様になるだけだ。動いている人間はかわせない』




みなさん新年あけましておめでとうございます。
正月明けてしまうと、また忙しい日々が続くので、おもいっきりマッタリしていています(笑)
年末はしょうもないことにも巻き込まれましたが・・・(-"-;A


今年度は、PTP(戦術的ピリオダイゼーション理論)とPEP(教育的ピリオダイゼーション理論)の探求。
クラブチームやフットサルスクールによる指導力、フットボール理論の向上。
そしてメインである、小学校教員採用試験合格! !
あ~んど、常勤講師による担任の先生ですね。



高校時代の親友と交わした・・・

「俺達は、あんな疲れ切った顔の暗いおっさんにはならんとこな! 夢で飯食って、 おもろい人生過ごそうぜ!!」

という言葉を必ず有言実行にしたいと思います。
人生に紆余曲折があり、苦しくも楽しい充実した日々を送れる様、今年度も頑張ってまいります!!



相変わらず記事の内容はマニアックであり、敢えて挑発的な言葉や内容ではありますが・・・
ネットと実生活は分けているので、気楽にお付き合いください(笑)

万が一道を踏み外しそうなことがありましたら、皆様のご指導よろしくお願い申し上げます。


以前の記事で、僕は現在「教育的ピリオダイゼーション理論」(PEP)の構築に取り組んでいるという 話は以前にしたのですが・・・


その上で大きく障害になっていることがあるんです。




それが・・・


カオス フラクタル


もうカオスとフラクタルについては、PTPの部分で紹介もしましたので今回は省きますが、この二つが逆にPTPとPEPの繋がりを非常に難しくしているのです。




そもそも、僕が戦術的ピリオダイゼーション理論 (以下PTP)が教育業界に通用すると判断し、勝手にPEPを構築したのには以下の理由があります。


・ イビチャ・オシム曰く「フットボールは人生を学ぶ学校だ」というなら、「学校教育も人生を学ぶ学校である」

・ フットボールと学校、学級は相似関係にある

・ なら、学校や学級は人生のフラクタルであると考えられる

・ 学校や学級はカオスである


以上の観点からいうと、現在学習指導要領に記載されている「生きる力」 を養うということは、学校教育がカオスという特徴を持っているにも関わらず、限りなく人生のフラクタルでないといけないと結論付けました。

(無理矢理ですかね・・・w)


そうすると学校教育におけるPTP、いわゆるPEP(教育的ピリオダイゼーション理論)が必要となってくるわけです。


フットボールでいうある一つテクニックは、ある一つの教科と捕らえた場合、フットボールと学校は相似関係にある。

学校や学級はあまりにも複雑系 であり、バタフライ効果 が発生する場所である。

学校や学級は集団でありチームである。

集団の人数が多ければ多いほど複雑化していく。

先生と生徒という単純な関係ではなく、その後ろにある保護者やPTA、地域社会との繋がりを考えるとカオス 状態である。




ただ、ここで壁になっているのはフラクタル な部分である。


イビチャ・オシムの著書「日本人よ!」 ではこう記してある。



人生で起こりうるすべてのことは、サッカーの中に集約されている。

選手が・・・(一部省略)

一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等々を経験するのだ。

これらのサッカーで起こるすべてを、一生涯に引き伸ばして生きることができるのならば、実に魅力的な人生を送れるのではないかと思う。

(他にも集団・チームとしての記述もあります)




PTPではフラクタルという要素で大切にされていることが、フットボールにおける4つの場面です。

「攻撃」 「攻撃→守備」 「守備」 「守備→攻撃」

PTP的なトレーニングをオーガナイズする際には、必ず切り離してはいけないことです。


でも当たり前ですが、学校教育にはこの4つの場面は存在しません。

何を攻撃すんねん!?って話じゃないですか(笑)

では学級単位で一つの授業をオーガナイズする際、フラクタルな部分をどう捉え、どうオーガナイズに組み込んでいけばいいのかが、現段階の壁になっています。

オシムのいう「歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北」なのだろうか?

これだと非常にメンタル的要素が強いため、まだ納得には至らないし・・・


学校教育が人生のフラクタルではないのかもしれないし・・・

でもそうなら、「生きる力」を養うなんてあまりにも理想論だし、要素還元論 的な発想だからね。




また、PTPでいう戦術的負荷をPEPでは教育的負荷と定義義付けたいのですが、まだ取り掛かれていません。

この負荷も大切な要素です。




まだまだ、PTPとPEPの探求を続けます。