以前の記事で、僕は現在「教育的ピリオダイゼーション理論」(PEP)の構築に取り組んでいるという
話は以前にしたのですが・・・
その上で大きく障害になっていることがあるんです。
それが・・・
『カオス
とフラクタル
』
もうカオスとフラクタルについては、PTPの部分で紹介もしましたので今回は省きますが、この二つが逆にPTPとPEPの繋がりを非常に難しくしているのです。
そもそも、僕が戦術的ピリオダイゼーション理論
(以下PTP)が教育業界に通用すると判断し、勝手にPEPを構築したのには以下の理由があります。
・ イビチャ・オシム曰く「フットボールは人生を学ぶ学校だ」というなら、「学校教育も人生を学ぶ学校である」
・ フットボールと学校、学級は相似関係にある
・ なら、学校や学級は人生のフラクタルであると考えられる
・ 学校や学級はカオスである
以上の観点からいうと、現在学習指導要領に記載されている「生きる力」
を養うということは、学校教育がカオスという特徴を持っているにも関わらず、限りなく人生のフラクタルでないといけないと結論付けました。
(無理矢理ですかね・・・w)
そうすると学校教育におけるPTP、いわゆるPEP(教育的ピリオダイゼーション理論)が必要となってくるわけです。
フットボールでいうある一つテクニックは、ある一つの教科と捕らえた場合、フットボールと学校は相似関係にある。
学校や学級はあまりにも複雑系
であり、バタフライ効果
が発生する場所である。
学校や学級は集団でありチームである。
集団の人数が多ければ多いほど複雑化していく。
先生と生徒という単純な関係ではなく、その後ろにある保護者やPTA、地域社会との繋がりを考えるとカオス
状態である。
ただ、ここで壁になっているのはフラクタル
な部分である。
イビチャ・オシムの著書「日本人よ!」
ではこう記してある。
人生で起こりうるすべてのことは、サッカーの中に集約されている。
選手が・・・(一部省略)
一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等々を経験するのだ。
これらのサッカーで起こるすべてを、一生涯に引き伸ばして生きることができるのならば、実に魅力的な人生を送れるのではないかと思う。
(他にも集団・チームとしての記述もあります)
PTPではフラクタルという要素で大切にされていることが、フットボールにおける4つの場面です。
「攻撃」 「攻撃→守備」 「守備」 「守備→攻撃」
PTP的なトレーニングをオーガナイズする際には、必ず切り離してはいけないことです。
でも当たり前ですが、学校教育にはこの4つの場面は存在しません。
何を攻撃すんねん!?って話じゃないですか(笑)
では学級単位で一つの授業をオーガナイズする際、フラクタルな部分をどう捉え、どうオーガナイズに組み込んでいけばいいのかが、現段階の壁になっています。
オシムのいう「歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北」なのだろうか?
これだと非常にメンタル的要素が強いため、まだ納得には至らないし・・・
学校教育が人生のフラクタルではないのかもしれないし・・・
でもそうなら、「生きる力」を養うなんてあまりにも理想論だし、要素還元論
的な発想だからね。
また、PTPでいう戦術的負荷をPEPでは教育的負荷と定義義付けたいのですが、まだ取り掛かれていません。
この負荷も大切な要素です。
まだまだ、PTPとPEPの探求を続けます。