待っている間の最新情報によると、崇善地区は3区を5位で走行中、とのことだった。
ほどなくして、1位の中原地区のランナーがみずほ小学校中継所にやってきた。
後続のランナーとはだいぶ差があるようだった。
それから2分経過したところで、
「崇善!」とのアナウンスがかかった。
“えっ!2位かよ!”
心の準備ができていないまま、慌ててコートを脱ぎ、タスキを受け取る。
ぼくの担当する4区は、みずほ小から神奈川大学前を通り、吉沢小までの6.6km。
起伏がきつく、難しいコースだ。
序盤はだらだらとした緩い登りが続く。
土屋橋を渡ってしばらくすると、はるか前方に1位のランナーの背中が見えた。
足取りが重そう。
いける!
と思った。
神奈川大学の前で、先行する中原地区のランナーをとらえ、
ついにトップに立った。
まったく予期せぬ展開。
しかし、前には急な登り坂が壁のように立ちはだかっている。
呼吸は苦しくなり、なかなか進まない足。
ようやく頂上にたどり着き、あとは吉沢小学校中継所まで一気に下るだけ。
この区間は、難しいコースだけあって、各地区とも実力のあるランナーを配置してくる。
ぼくの知る限り、市役所のランナーや、元箱根駅伝のランナー、フルマラソンを2時間30分台で走る市民ランナーもいた。高校生らしきランナーもいた。
だから、トップに立ったとはいえ、後ろがとても気になった。
途中、崇善公民館の館長さんから、
「後ろは250m離れている!」
とお声掛けをいただいた。
それ以後は後ろを気にせず、ストライドを伸ばし、最後の力を振り絞ってトップのままタスキをアンカーのKさんに繋いだ。
毎年、1月の第2日曜日に開催される平塚市地区対抗駅伝大会。
昭和29年から始まり、今年で58回目を迎える歴史のある大会だ。
女子区の1.7kmからスタートし、1区6.6km、2区7.6km、3区5km、4区6.6km、5区5.6kmの全長33.1kmのコースを平塚市内の21地区によって競争される。
各地区とも公民館を中心に多くのスタッフにサポートされ、選手たちはタスキをつないでいく。
ぼく自身は、高校時代以来20数年ぶり2度目の出場。
崇善地区は、前々回が最下位。前回が5位。そして今回は3位入賞をひそかに狙っていた。
メンバーの選考から、配置、コーディネートは、箱根駅伝の優勝テープを切った経験のあるNさん。
低迷が続く崇善地区の立て直しを図るべく、2年前からチームの取りまとめを行っている。
今回、Nさんご本人は補欠に回り、女子区から3区までの4人を中学高校生で配置し、ぼくが4区、そしてアンカーの5区には同じく40代の市民ランナーKさんを配置した。
当日の朝、各選手にはそれぞれ移動用の車と荷物がかりまであてがわれるほど、地域を挙げてのサポートぶり。
そんななか、崇善地区は予想外の展開でトップとなり、ぼくは4区を走り終えゴールの山城中へ車で移動し、55年ぶりの優勝に向けて走るアンカーのKさんを待つことにした。
ゴールには大勢の関係者や、地域のマスコミのカメラが待ち受ける中、アンカーのKさんがやってきた。独走だ。
もう優勝は間違いない。
Kさんはガッツポーズで歓喜のゴールテープを切った。
もうみんな、大喜び。なにしろ55年ぶり3回目の優勝。
前回の優勝を経験された方は誰もいなかった。
表彰式で授与された優勝旗、優勝カップ、トロフィー、賞状を公民館に持ち帰り祝勝会。
走った選手は6名だけれど、それを支えていただいた方々は、30名ほどいて、移動や沿道での声援もあり、非常にありがたかった。
その後、2次会はNさん、Kさんをはじめとする、崇善地区の30~40代のランナーたちと太古の湯で打ち上げ。
この駅伝は、市内でもレベルの高い選手が数多く走るが、各地区ともすべての区間で速い選手を集めることは難しい。
生きのいい学生が集まらなかったときのために、中年世代のランナーの層を厚くして控えていることが、連覇へ向けてのカギとなることを確認した。
こんな形で、地元に貢献できたことが素直にうれしかった。
