2017年7月1日(土)
新宿ピカデリーで、『20センチュリー・ウーマン』。
ああ、これ、好きだ…大好きだ…と、思えた映画でした。
監督マイク・ミルズの半自伝的作品。早くに観たヨメから「出てたよ」と言われてたんだが、確かに出てた。僕が。
そう思えるくらい、15歳のジェイミー少年(=ミルズの少年期)が自分のあの頃と重なった。そういう映画は、だから好きに思えるに決まってる。
まず幼い頃に両親が別れ、兄弟がいなくて、母一人子一人で育っているという境遇が一緒。ジェイミーくんは1964生まれの設定で、僕が1963年生まれなので、世代も一緒。母親のドロシアは55歳で、ということはジェイミーくんと30離れてることになるわけだが、僕と母は31離れてるので、その距離感も一緒。ジェイミーくんは17歳のジュリーと24歳のアビーというふたりのお姉さん的な女性からいろいろ影響を受けて育っていて、僕にはそういうお姉さんはいなかったけど、母に妹が3人いて、その3人の叔母に可愛がられて(一番下の叔母からはマニキュアの塗り方なんかまで教えられて)育ったので、幼少期にあれこれを教えたのが全員女性…という意味においてもわりと一緒。あと、ヘンにマセてて性に対する知識欲がやけに大きいところとか。つい生意気な口きいて同世代の男のコからボコボコにされるあたりとか(←まさにあの頃の自分)。男らしさとは? 女らしさとは?みたいなことばっか考えてるところとか。そういう日々のあれこれからパンク~ニューウェイブ的な音楽にハマって、それを表現してもいいんだってわかって救われたこととかね。
まあ、自分の母親はああいう人ではないけれど、でも強い母親と自分との距離感はわりと近いものがある気がしたし。なので、いろいろたまらない気持ちになったりも。ラストシーンの母親ドロシアのあの表情が目に焼き付いて離れません。美しかった。泣くよ、そりゃ。
そんなわけでなんといってもアネット・ベニングが素晴らしいわけですが、『フランシス・ハ』のグレタ・ガーウィグと、あとエル・ファニングもめちゃめちゃよかった。これこそエル・ファニングでしょ(『ネオン・デーモン』なんてマジ最悪だっ)。
因みにこの映画の設定は1979年サンタバーバラ。作品中にも出てきたジミー・カーターのあの演説に象徴されるように、何気に時代の変革期。パンフを買ったら辛島いづみさんによる用語解説のページがあって、その中の「1979とは」という項目でマイク・ミルズのこんな言葉が引用されていた。
「1979年、ぼくは13歳で、それはぼくの住むカリフォルニアのサバービア、サンタバーバラに“パンク”が到達した年だった。(中略) そしてぼくはザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』とダムドの『マシンガン・エチケット』を買った。ぼくにとって、大人の扉を開いた年だったと思う」
「1979はいわゆる時代の分岐点となる年ではなかった。というより、凡庸な年だったと思う。でも、旧態依然とした世界から現在につながる“未来”の世界への移行が始まったのが1979だった」
僕もまったく同じ認識だ。
1979年という年は僕の人生においても最も重要な年。RCサクセションのライブを始めて野音で観て衝撃を受け、シーナ&ザ・ロケッツも同じく1979年に観て、それまで一番好きだったアリスといくつかのフォーク~ニューミュージック系グループのレコードをまとめて友達に売って、そのお金でパンク~ニューウェイブのレコードをたくさん買った。まさに今に繋がる価値観の扉を開いた年だった。また、80年代に突入することに対して10代半ばの子供ながらもやけにドキドキし、いま思うと恥ずかしい話だけど年賀状に「行くぜ、80年代!」なんて書いて出していた。“未来”の世界への移行の始まりをビンビン感じて、自分も動かなきゃ!…と思っていたのだ。
いまじゃマイク・ミルズは世界的な映画監督/脚本家/グラフィックデザイナーとなり、自分は稼ぎの少ない音楽ライターであって、そこには100万光年の差があるわけだけど、でも1979年に何かひとつの扉が開かれたというのは一緒だったんだなと、この映画を観て(パンフを読んで)そう思った。
ところで“気絶ごっこ”って、うちの学校でも軽く流行って、僕もいやいややったことあったけど、あれ、アメリカで流行ったものだったんだね。とんでもない遊びだね、しかし。









