心のまま躍動するミー


自分の心について考えてみました。

私が一番厄介だと思っている「怒り」

怒りの感情が湧き上がったら、一旦立ち止まって、その次の行動を選ぶ。


これは、私もこれまで何度も体験実践してきたことです。


でも、もし自分の身に危険が迫っているような状況だったら、私は本当にそんなに落ち着いて対処できるのかな……。


そんなことを考えていたら、昔のことを思い出しました。


父は母から「瞬間湯沸かし器」と言われるほど、すぐに怒る人でした。


仕事でうまくいかないことがあると、何かの拍子に家で母や私に怒りをぶつける。


お皿やお茶碗が飛び、怒鳴り声が続く。


「土下座しろ!」という大きな声が聞こえて、母が少し俯いたその頭を、ビール瓶で殴ることさえありました。


家庭では犯罪者ともいえるような父でしたが、外では「できる人」でした。


仕事もでき、町内会のことでも人から頼られる人。


母は、そんな外面の良い父に腹を立てていたのかもしれません。


その頃の私は、喧嘩が始まると、ただ怖くて、どうしたらいいのかわかりませんでした。

当事者にならずに済むように隠れてました。

私は傍観者で無力だと思ってました。


怒りをぶつける相手には、もう縁が切れてもいいと思って怒りを投げつけることもある。


反対に、何をしてもこの人との縁は切れないと思っているからこそ、甘えの気持ちから怒りをぶつけてしまうこともある。


父にとって母は、何をしても自分から離れていかない存在だと、心の奥底で思っていたのかもしれません。


もう父も母も亡くなっています。


過去のことを思い出すと、あの時もっと何かできなかったのかな、と今でも自分を責めてしまうことがあります。


そんな今日、先生のブログにこんな言葉がありました。


「心は放っておけば勝手に育つものではない。

何度も気づいて、何度も立ち止まって、何度も選び直していく」


そうか。


過去を悔やみ続けるより、今の自分が心を選び直していけばいいんだ。


そう思いました。


もちろん、悲しみに溺れて自己憐憫の沼に入ってしまうこともあります。


私もいろんな感情に振り回されて、何度も遠回りしてきました。


心の中には、いろんな感情がある。


では、感情と心は違うのかな。


失敗したから分かった。

傷ついたから分かった。

失ったから分かった。


どんな感情が自分の中で動いているのか。

その時、自分の中でどんな駆け引きが起こっていたのか。

怒り、悲しみ、嫉み、喜び、不安

それらの感情と

価値観、意思、思考を重ねて「心」ができている。


今なら少し、心がわかるようになってきました。


過去を悔やみ続けるより、今の自分が心を選び直していけばいい。


そう思えることも、少しずつ増えてきました。


父からひどい暴力を受け、辛い思いをした母。


母に対する私の感情も、悲しみや怒りだけではなく、思考を重ねると尊敬へと変わり、今は感謝の気持ちがあります。


真解と仏教を学んできたからこそ、今つらい思いをしている人に伝えられることもあると思っています。


悩みを抱えている人が、自分自身を知り、物事を少し違った角度から見つめ直して、自分の人生を自分の足で歩いていけるように。


一人ひとりが、その人なりの充実した人生を歩んでいけるように。


それが、私が真解と仏教を学び続ける理由であり、これから私が目指して、一歩を踏み出していく理由です。


私にとって真解は、自分の人生を考えていく上で、とても強力なツールなのです。


今日の光静先生のブログは↓

心を育てる、ということhttp://blog.takimotokousei.com/#gsc.tab=0