おかじゅんです。

昨日の続き


会社の近く、道端に

すみれが咲いていました。

アスファルトの隙間に、少しの土を見つけて 懸命に生きているすみれ。


「百花春至為誰開」(ひゃっかはるいたってだれのためにひらく)


私達を癒し元気つけてくれる花々はいったいだれの為に咲くのか


癒してやろう とか その代わりにお水を頂戴とも言わずに


自分の本分を懸命に生きている。という教えです。



このところ、毎日考えいます。

心はざわざわしているから


すみれ 私はどうなんだろう


誰かの評価を得るために何かをしたり


家族にこれをしてあげるから、これして頂戴とか

交換条件 を考えていたり


身近な人に

誰かに認められたい

誰かに褒めてもらいたい

とか思ってました!


それは 誰に対して?


それは



 父に対してでした。


(仕事は雇用関係で、対価を稼いでいるので割り切っています、私)



見返りを求める気持ちは

後に自分を、苦しめる事になるのを知ってるのに、ついつい そう思ってしまう。


大丈夫か私?



道端に咲くすみれは

ただ 凛と咲いていた。


自分の命をただ、美しく咲かせていました。

静かにカンドー


瀧本先生のブログ↓

自分のためにお花を。 - 一番短いお説法
https://yaplog.jp/takimotokousei/archive/1318