道は迷うために用意されている | 劣等感解消セラピスト 當眞淳(とーまじゅん)

劣等感解消セラピスト 當眞淳(とーまじゅん)

劣等感解消専門セラピスト 當眞 淳のブログです。
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どうも~!
劣等感解消セラピスト 當眞淳です( ´ ▽ ` )ノ



今日の沖縄はいい感じに太陽が顔出してました♪
昔から思うけど、沖縄にいるだけで恵まれてるような気がします(笑)




さて、最近何故か物思いにふけることが多いです。
人の在り方や人の変わり方や、物事の受け入れ方や、
自分の今の状態やらなんやら考えている時間がめっちゃ長いです。
セラピストとして人に接することが増えたからですかね、分かりません。
今日はそんな中、ふと気づいたことをシェアしようかと思います。





まず、誤解を恐れずに言うと、僕は人間は常に矛盾を含んだ生き方をして
OKだと思っています。
考え方も行動も言葉も、矛盾があって良いんじゃないかなって思ったりします。
自分の軸がブレたって良いじゃん、元に戻って来ればOKさ、とも思います。
完璧なんていうのはやはり神様の専売特許でしょうね。
自分の生き方ややり方、捉え方、考え方を、ある時を境に思考から切り離して、『俺はこうなんだ!!』と決めるとします。
何かを決めると、何かの答えが見えてきます。
その答えが真実なのか真理なのかは分かりません。
でも人間は答えを出したがります。
生き方や生きる意味にも答えを出したがったりします。
今の状況や環境にも答えを出したがったりします。
しかも人にも当てはめたがったり・・・




その自分で決めた軸のようなものがブレたりすると、ものすごい自己嫌悪や劣等感に苦しみます。
真面目な人であればあるほど、自分が決めた軸がブレるだけで特大の自己嫌悪がやってくるんだと思います。
っていうか僕がそうでした(笑)
あ、でもでも違うんです。
誤解しないで下さい。
軸がブレても良いと言ってるわけではないんです。
でも軸がブレても良いんじゃね?とも言っています
これだから言葉は難しい・・(+o+)
でもどっちもアリなんだと思います。







人間は独立した存在として何かの意味を果たせるわけではありません。
常に外部への働きかけや、関係を作っていきながら、そこに何かの意味が出てきます。
そして人は自分だけの意図や意思では逆らえない、大きな流れの中で生きているものでもあります。
だから人は流れに逆らえないどころか、人間そのものが流れを作る小さな粒です。
かと思えば人間は押し流されるだけの小さな粒にもなります。







こういうことを書きながら僕は東日本大震災のことを思い出しました。
あの日を境に自分の在り方がガラリと変わった方も大勢いると思うんです。
僕もそうでした。
みんな感じているかもしれませんが、あの日を境に、必要とされる在り方が変化してるような気がします。
利己的な人間の生き方に、神様からお叱りを受けたような気もします。
これからの時代、困った人をだれもが見て見ぬふりができない時代になったような気がします。
強制的に愛が必要な時代に突入したような気がします。









少し話がそれましたが、何かの大事件があって自分の在り方や軸が変わる経験もみんなあると思うんです。
でもそれは『ひとつの変化』であり、『成長』じゃないですか
自分の発想がガラッと変わって生き方も変わっても、全然OKです。
『自分の在り方はこうです!』と公言してて、それを撤回しても良いと思います。
その人が生きる人生だから、昨日までのその人と違っても温かく認めるべきだと思います。





あ~、でもでも、ブレても良いじゃん!でも無いんです。
何か目標があるなら、できるだけブレるべきじゃないです。
それは当然そうです。
でもブレたら元のとこに戻ってきたら良いじゃん、とも言いたいわけです。
自己嫌悪や劣等感は本当に苦しいものだし、ガンガン気力を失っていくし、そういう落ち込みはできれば避けたほうがいいと思うんです。
そうやって落ち込んでいると本当に苦しい。
軸がブレたと思ってそこに落ちるよりは、今のそのまんま自分を受け入れても良いじゃん、って感じなんです。
竹がしなるように、迷って迷ってブラブラしても、良いじゃないですか。
すっと元の自分に戻れたら良いんじゃないかな?
軸が変わっても良いという話と、軸がブレた事自体を受け入れるということは、全く違う想定で書いてます。
なので、言葉としては真逆な意味なんですがそれぞれが間違ってるわけじゃないと思います。
その時その時に自分の生き方を決めたら良いかなって感じで、こんなに長々書いておきながら大して深い話でもありませんでした、ごめんなさい(笑)








でも僕が元々言いたかったのは、生き方の部分です。
世間から尊敬を受けるようなすごい人達も、きっと迷いや恐れと闘いながら進んだと思うんです。
僕と同じ人間だと思うんです。
迷うと思うんです。
ああいうすごい人たちは自分とは違う特別な人、なんて思ったら、自分の人生の価値を粗末にしてしまう気がしまいます。
すごい人達も色んなものと闘いながら進んでいるんだ、俺も戦わないでどうすんだ~とかって思ったわけです。
そして大事なことは簡単に手に入ってはいけないかも知れません。
簡単に手に入る物をどれだけ大事にできるでしょうか?
道程があるからこそゴールに価値が出てくるんだと思います。

今日も読んでくれてありがとうございました(*´∀`)ノ





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