みなさま、こんにちは。

 

今日は「ジャーナリング」について考えてみたいと思います。

ジャーナリングとは、自分について書き留めることを指します。これは日記を書くこととは異なり、日々の出来事を振り返るだけでなく、感情や考え、目標、夢、アイデアなどを書き留めることを含みます。単なるメモ書きや記録とするだけではなく、自己探求や成長のための強力なツールとして機能しているんですね。

 

最近、私のストレッチのトレーナーであるYさんとの会話でジャーナリングが話題になりました。Yさんは最近、ジャーナリングを実践しており、その効果について熱心に語ってくれました。その会話から、私もジャーナリングについて考えてみようと思ったのでした。

 

トレーナーのYさんは「やはり(書く・手書き)の原点に戻ってきてこれが自分には合っていると感じた」と語ってくれました。「書き留める男」っちゅーわけですな。

 

そんな話をしていてふと、記録する方法・・例えば「手書き」と「タイピング」ではジャーナリング効果の差ってあるのだろうか?と思ったのです。

 

手書きとタイピング記録の2つの選択肢のうち、手書きの場合、手と脳が直接的につながるため、文字を書く過程で記憶と認知が促進されるんだろうなと思いました。このプロセスは、情報の保持や思考の整理に役立ちます。また、手書きは創造性や感情表現においてより豊かになるのではないかと感じます。

 

一方でタイピングの場合、文字の入力は迅速で、文章を素早くまとめることができます。また、検索や整理が簡単にでき、情報へのアクセスがスムーズです。ですが、手書きと比較すると、認知的なプロセスはより間接的なような気がします。確かにタイピングで記録した文章は手書きよりも覚えている内容が少しぼんやりとしているかもしれません。(私だけかな?)

 

感情的な表現についても、手書きはより感情の解放や発見に役立つ気がします。一方でタイピングは感情的な表現や深い内省には手書きほど適していないのではないかと感じます。言葉を選ぶことができるという点でも、手書きのほうがより感情的な表現を書き留めることがしやすいのかもしれません。

 

利便性や整理という観点からみると、タイピングによるデジタル記録が圧勝なのではないかなと思います。デジタル記録の場合、テキスト検索やタグ付けなどの機能を活用して、情報を簡単に整理し、必要な情報へのアクセスを迅速に行うことが可能です。

 

これらの違いは好みや目標に応じて選択する範囲の違いではないかと思いました。いずれにせよ、ジャーナリングは自己探求や成長、ストレスの軽減、目標達成など、さまざまな側面で有益だと感じます。

 

ジャーナリングとは「言葉」を使って自分自身の内面と向き合うことなんだと思います。大切なのは、その習慣を続けることであり、自己表現や内面の世界を探求し続けることなのではないかと思いました。

 

そういった意味では、このブログもある種ジャーナリングの一つかもしれないぞと感じた今日この頃でございます。

 

ところでのんさん。

トイレジャポン事件!災難でしたね。

 

 

最後に、のんさんのトイレジャポン事件から思い出した私の「トイレジャポン事件」のエピソードをご紹介したいと思います。

 

随分と昔、後輩と一緒に参加した野外イベントで、簡易トイレに「携帯を落とした!」と発狂しそうになっていた後輩を見て、「俺に任せろ」とばかりにトイレに手を突っ込み、携帯レスキューしたことがあります。

 

当時の私は若かったんですなぁ。トイレの壁どこにも触れずに己の体感と筋力だけでバランスを取り、不自然な姿勢にも耐え、20センチほど下に落ちている携帯をそっと運び上げ後輩から大絶賛されたのでありました。

 

最近は寄る年波に勝てずにすっかりと年相応の筋力となっておりますが、そんな私を日々叱咤激励してくれるのがU-ジムトレーナー・ナベちゃんです。

 

毎回のトレーニングでやったことと次回迄の目標を黒板に書き留めてくれるの彼の存在は、私にとって本当に有難く、心強いものです。

 

あ、ここにもいたよ!「書き留める男」。

 

 

 

魔女になるのも大変だ!JUN-JUNON