前回ののんさんのブログ【コロナの副産物】
これもまたのんさんらしい発想ですよね。ペットの事やお子さんのいらっしゃる方のお話を聴いて自分のことのようにすごく楽しんでますよね。
あぁ私とは違うなぁ。私はこんな風に人の話を聴いてないなぁということに改めて気づかされます。
私はあまり人と個人的な話をしないかもしれないです。だから会話が続かないんだけど・・・
これは人と深く関わらないための防衛手段とでもいうのかもしれません。私は子供のころから人の気持ちや感情に敏感で(まぁ気にしやってことです)、がっつり向き合ってると些細なことが気になり疲れはててしまうのです。
誰かと話しているときに相手の目線が別の方を向く・・・あぁ私の話に飽きちゃったのかな。と感じて寂しくなってしまう。
にこやかに話をしてくれていてもその中にあるちょっとした違和感や悪感情がなんとなく空けて見え、あれ?本当は私の事きらいなのかな?・・・と心配になってしまう。
相手と深く関われば関わるほど、自分ではどうにもならない事に気づいたり、またその逆で寂しくなってしまう。そんな気持ちから逃れるように大人になるにつれて、人と一定の距離を保つようになっていったのかもしれないです。
距離を保つというか過度な期待はしないというか・・・本来は単純でアツイ女なんだと思うのですが、そんな自分とは違うJUNさんを長い事演じているということにもなるのでしょうかね。
まぁいまや本当の自分ってどんなだっけ?という感じですけれど。
ところで、19日放送の「行列のできる相談所」で日本人の好きな映画ベスト100をやっていて、1位は「ショーシャンクの空に」でした。
この映画観たことありますか?
のんさんのブログを読んで感じた気持ちとちょっとリンクしました。しかしすごいタイミングで自分のもとに情報がやってくるな~と思いました。
ざっくりとしたあらすじはどんな状況にあっても希望を捨てなければなんとかなる。・・・・と言った映画だったと思います(ざっくりしすぎですんまへん)が、詳しい内容は横に置いて。
私はこの映画のキーワードは主人公が言葉にした「選択肢は2つ、必死に生きるか、必死に死ぬかだ」・・・じゃないかと映画を観た時に思ったのであります。
死ぬというのは実際に死ぬと言うよりも心が死ぬとでもいいましょうか、自分がこれ以上傷つかないように「期待や希望を排除して生きる」・・・・いうことだと当時思いました。
いくつかのブログの中で何度も書いておりますが・・・・・最近の私って長い長いトンネルの中を一人でかれこれ何年も歩き続けているんだよなぁ~なんてことをぼんやりと思ったのです。
そんなことを思ったのはこの映画の主人公が何年もの長い間、どんなに理不尽でひどい目にあわされても希望を捨てず、自分を見失わず、自らの手で見つけたトンネルの出口から光の中へ飛び出していく。。というストーリーを思い出したからかもしれません。
そうなんですよ。トンネルの出口を見つけるのも、外へ出ていくタイミングも全て自分次第ということなんですよ。
長い・長い時間、暗闇の中にいると心がマヒしてきて、実はこのトンネルの中にいた方が、まだましなのではないかという感覚になってくるのかもしれません。
何故ならトンネルの外はどうなっているのかわからないから。それってとても怖いじゃないですか。ここに居れば暗闇の中だけれど何とか生きていける。だけれど一旦光の中に出たらどうやって生きて行ったらいいかわからない。そのような状況もこの映画の中では描かれております。
まぁビビリだから、なかなか先に進めないんすけど。
必要なのは「希望を持ち続けること」と「少しの勇気」なのかもしれませんな。私にはその「少しの勇気」が足りんのです。
魔女になるのも大変だ!Jun-JUNON