続 QOL | 景子のあれこれ

景子のあれこれ

楽しいこと、辛いこと、悲しいこと。
ここに吐き出して、きれいに昇華させてもいいですか?


ある有名な方が、最近ブログを書き始めたことを皆さんもう知って読んだ方もいるかと思う。


子育て真っ只中を突然の病に倒れ、先日これまた有名な御主人が会見した方。


その初回のブログから読ませてもらっている。








突然の始まり、私は違和感を感じた。








人の命は、本当にわからない。


病気、事故、事件。


現代はある意味、一寸先は闇。


どんなに便利な物だって、使い方を間違うと殺戮兵器になる。


明日も元気で過ごせる保証は、一体何パーセントなんだろう。








彼女を襲った病は癌。


一昔前と違い、癌は不治の病から闘う病へと変化してきた。


とはいえ、まだまだ原発によって闘えない癌もある。


みなさんはご存知だろうか。


たとえば、乳癌の肝転移と言われると肝臓に癌がある=肝臓癌ではないことを。


あくまで、乳癌という癌が肝臓へ転移している、ということで、闘うべき相手は乳癌になる。


癌によって、薬は違ってくるのだ。


ガイドラインとか、Evidence、はたまた未承認薬。


変な言い方だけど、私は癌にうるさいほうだ。






以前のブログに書いたように、私は母を膵臓癌で亡くしている。


仕事柄、肝胆膵の構造には詳しく、病理の結果待ちの時、神に祈った記憶がある。


せめて、せめて。


神様、胆嚢でありますように…。


手術後、極めて判断は難しいが、胆嚢の可能性が高いと主治医は言った。


いずれにしても、厳しいに違いはないが、ここで大切なのは、診断名により使える薬がかなり違うってこと。


闘える癌か、闘えない癌か。


全ては、化学療法の薬の幅にかかってくるから。


そして、母は膵臓癌と診断を受けた。






あの時の絶望を、言葉にするのは今でも難しい。


「お姉ちゃん、帰ったばかりで申し訳ないんだけど、先生がすぐ来て欲しいって言ってる」


あの時の、全身のあらゆる毛が逆立つ感じ、忘れられない。


主治医は、私の職業を知っていたので、あまり多くは語らなかった。






私は、当時できる最大限の治療を母に提案した。


セカンドオピニオンに選んだのは、東京築地の国立がんセンター。


サードオピニオンには、膵臓癌の名医がいる京都大学。


ここで、とても良い診察を受けた。


それまで使えなかった化学療法の薬が承認され、併用するように助言を受けたのだ。


その名医は言った。


「遠くから、本当によく来てくれました。まだ、やれること、ありますよ。頑張ってください」


母は、泣いた。


やれることがある。


その言葉は、何よりも嬉しかった。






術前から、そしてモニターがフラットになるまで。


私は泣く事はなかった。


母は私に、よく言った。


「お姉ちゃんが、看護婦さんでよかった。先生の言ってること、わからないんだもの。詳しく教えてくれる人が傍にいる私は幸せね」


私は常に、専属ナースになっていた。


心も、身体も。


だから、泣く事はできなかった。






母は術後、化学療法と放射線治療を行った。


「これだけでは不安なの」と、よく話してた。


温熱療法を毎週受けた。


トモセラピーを受けさせたくて、帯広まで行った。


「やってみてもいいですよ。でも、命を縮める可能性も高いです。とてもすぐれる治療ではありますが、残念ながらあなたの癌には、リスクが高い」


そう言われた。


何かしてないと、不安。


頭蓋骨に転移したあたりだろうか。


必死に両手でかき集め、少しも漏らさないと必死に抱きしめてたものが、さらさらと指の間から、こぼれ落ちる感覚を覚えた。


もう、打つ手はない。




いや、違う。


ここから、今から私が、全力で母のメンタルを支えよう。


みなさんはご存知だろうか。


病は気から。


これは本当だということ。


生きていたいと思う気持ちは、何よりも薬になる。


笑いは、最大の抗がん剤になることを。






発熱と痛み。


これは、身体も辛いが精神的にも辛かった。


薬の使用タイミングを考え、私がそばに居なくても、担当医に伝え安いようにフェイススケールをつけさせた。


便通をはかるための、民間療法は大成功だった。








温泉に行ったり、美味しいものを食べた。


食べられなくなっていく自覚を持たないように、盛り付けに気を配った。


母を笑顔にしたい。


母らしく、最後の一瞬まで、あなたらしく。


その思いだけだった。






前出のブログに書いたように、PCUに勤務した苦しい経験は、この為にあったと今でも思っている。


母は言った。


「ママはね、いいのよ。ただ、お姉ちゃんが心配なの。ごめんね」


この言葉。


今思い出しても、涙が止まらない。


母を思うばかりに、私はずっとナースの仮面をかぶった生活だった。


自分の本当の感情は、心のずっと奥にしまったままで。


母が死ぬかもしれない、いや、死んでしまうのだ。


仕方がない、だって、そういう状態だもの。


いいの?死んじゃいやだよ!でも、何もできないんだって。


毎日、毎日、母の手を握りながら思っていたっけ。


そんな私を母は全部お見通しだったんだ。



{507996A8-AC15-42EC-BC51-BE232CA8DEEA}











さらりと書いた彼女の文章、時々でてくる写真のお顔をみて、母を思い出した。









彼女のブログを読んで、ふと思う。


赤裸々に書いちゃいけない。


全部は書いちゃいけない。


あなたの大切な時間を、みんなに教える必要なんてないのよ、って。


生きてほしい。


懸命に、がむしゃらに。


だって、あなたの人生だもの。


まだ、過去形にしちゃだめだよ。


……そう、彼女に伝えたい。