わが町のシネマ | 今から始める関係性の作り方

今から始める関係性の作り方

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●わが町のシネマ
こんにちは、Junjiです。
今日はどこにでもある町のお話です。

かつて映画を上映することを「映画が来る」と言っていました。
松任谷由実の曲『いちご白書をもう一度』の歌詞にもこのフレーズがあります。
最初は東京を始め日本の主要都市。その次は地方の中心都市、そして次は各県庁所在地というように。
フィルムが日本全国を巡回していたのです。
小さな町に映画が来るのは封切後、数か月後でした。

今、映画は封切と同時に各都道府県の主要都市で鑑賞することが出来ます。
清潔で途中入場時の光もれもなく、最新の3D映像も楽しめるシネコンが日本全国にあります。
その一方で街の中心地にあった古い映画街が姿を消しています。
月に何回か週末通っていた街の映画街がその歴史に幕を降ろしてから2年。
老朽化した建屋は取り壊され、その跡地では年に1度、映画のイベントが行われるようになりました。
近くのビルの白壁をスクリーンにして夜空の下、映画を上映。
かつての映画街の面影を感じる時です。

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         かつて静岡の映画街の象徴だったタイル画

そういえば、昭和の時代、日本中の小さな町には本当に小さな映画館が点在していました。
生まれ育った小さな町にも古い映画館があり、その前を通って学校に通っていました。
小学校の頃はブルース・リーの看板の前でポーズを真似したり、ゴジラを見ると嬉しくなったり。
金田一耕介シリーズの看板は、本当に怖かったのを鮮明に覚えています。

かつて映画『おくりびと』の舞台、山形県酒田市にはグリーンハウスという伝説の映画館があったそうです。
戦後間もない昭和20年代、お客様が非日常的な高級感を味わえるよう様々な趣向がされていたと云われます。
当時珍しかった回転ドア、ホテルのフロントのように正装した案内係、少人数の貸切用ミニシアターの設置、いち早く清潔な水洗式トイレの導入。
地方での公開が後回しだった時代。アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』を東京日比谷のスカラ座と同日公開し話題に。
上映される映画のレベルは東京の映画人を魅了し、わざわざ東京から通うファンもいたそうです。
映画評論家の淀川長治さんもその1人。グリーンハウスを自ら『世界一の映画館』と絶賛したと伝わります。

映画館は鑑賞以外にも文化交流、社交のプラットホームでもあったことが伺えます。

以前旅で訪れた、とある町のラーメンの有名店の案内。
『昭和の時代、町の人が映画を観た後、ここでラーメンを食べるのが楽しみでした。』

そういえば町の映画館の帰りは、必ず近所のラーメン店でした。
ゴジラを見るとラーメンの味を思い出す理由が、この時初めて分かりました。


クリスマスツリーのイルミネーションが華やかに街を彩ります。
楽しみの多い年末。元気にお過ごし下さい。

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         かつて地域で愛された山形のシネマ旭