私は30年ほど前に、東京から東海地方の田舎に移り住んだのですが、その土地の閉鎖性には大変手こずりました。どこに行っても顔を知った人に会うし、土地の人に馴染むのも難しかったです。かろうじてローカル線周辺に残っている商店街で、自転車のパンクを直してもらおうとバイク屋に行ったら、明らかに家に人がいそうなところで、声をかけても誰も対応してくれなかったり(その店はすでに廃業していたことが後でわかりました)小さな電気屋で卓上ランプを買おうとしたら、ナショナル製品のみ扱っているお店だったり、色々な意味で文化の違いを感じました。ここで感じたショックは相当であり、その後短期間移り住んだ東南アジアの国においては、さほどの文化的ショックを感じませんでした。

 

かの東海地方にある田舎町は、河川の近くに位置しており、輪中地帯と呼ばれる、川に囲まれた中洲の地域がありました。この中に住んでいる方々のメンタリティーには「輪中根性」と揶揄されたものがあり、閉鎖性を語っている反面、輪中で火災が発生たら、皆で消防活動を行うという使命感も込められていたと思います。私も、この田舎町に住んでいるときに、消火栓のホースを使って、田んぼに水を供給する側溝の掃除をよく手伝っていました。田舎町に住むと、長靴とショベル(先が尖ったものと平たいもの)は必須アイテムとなります。側溝の掃除が終わると、消火栓のホースがあちこちで干されているのを見かけました。これもこれも消火訓練のひとつであったなと、今になって思います。

 

話は10年ほど前に飛びますが、私は10年ほど前に、小学校のPTA役員を引き受けたことがあります。育成部と呼ばれる、小学校生徒の健全な育成を支える役割と、「子ども会」を束ねる市の「子ども会連合会」の役員を兼務する仕事です。もちろん活動はボランティアなのですが、誰も引き受けたがらない仕事であることを後で知り、地域の運動会の最中にオファーされ、軽々しく受けたことを、数ヶ月後に後悔しました。この仕事の大きなイベントは、子ども会対抗の球技大会の運営で、4月の役員引き継ぎ前から活動が動き、7月まで毎週のように多忙な時間を過ごすという活動でした。任期は2年で、1年前に役員になった方との引き継ぎを行いながら仕事を進めるという、PTA組織では珍しい仕事でした。この時の「労働時間」を概算した覚えがあるのですが、2年で200時間は費やしたと記憶しています。

 

ちなみに、私が「子ども」という表現をあえて使うには理由があり、「子供」という言葉には「子を提供する」というニュアンスがあるとのこと。「子ども会連合会」からこの話を伺い、私は以降、「子ども」と表記しています。昨今の事件を考えると、ゾッとする話です。

 

子ども会連合会や、小学校のPTA活動を行っていて強く感じたのは、私が役員を受けた期間は、大きな変曲点を迎えた時期ということでした。子どもの数が減少し、子ども会が成り立たなくなる事情と、PTAの存在意義に否定的な方が増えてきたこと、外国人のお子さんが小学校に入っており、その親はあまり日本語が上手でないことなど、子ども会やPTAが衰退する時期に直面したのだと思います。

 

以上2つのエピソードの共通点は、地域のコミュニティーを維持する難しさと、コミュニティーの重要度です。ちょっと論理的に飛躍してしまうのですが、これらは「防災」や「防犯」の観点から、これからも重要視されると考えます。さまざまなイベントで、人々が顔を合わせることにより、地域の人々、子どもたちのことをわかり合います。大きな災害が発生したら、皆で助け合うこと、コミュニティー外から変な人が来たら、すぐに判別できて、排除できること。私が東海地方の田舎で得た拒絶感は、まさにコミュニティーにおける正常な反応だったと思いました。

 

これからの時代は、政府あるいは大きな組織が意図してか、さまざまな災難が降りかかることが予想されています。私たちは世界的に仕掛けられた(?)疫病のイベントにて、分断と結束の両方のイベントを体験しました。2025年は結構ヤバい年だと言われており、私も災害対策をコツコツと進めているのですが、最終的に効いてくるのは、地域のコミュニティーなのではないかと、過去を振り返り実感しているところです。点と点は繋がり、「防災」、「防犯」という結びつきが生まれました。

 

地域や学校単位での自治活動は、今後重要度を増すと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、とあるこだわりのラーメン屋さんから、入店拒否のような扱いを受けて以降、天啓のような衝撃を受け、以降ラーメンを食べないようになりました。私は泡沫ユーチューバーであり、収益化の基準となるチャンネル登録者数1000人を目の前にして、色々と焦っていました。最近アップデートしていない動画を更新すべく、たまたまYouTubeで拝見した、とあるラーメン屋さんを訪れるべく、電車に乗りました。私は泡沫ユーチューバーであると同時に、Googleマップの「そこそこ優良な」レビューワーであるので、とあるラーメン屋さんの動画を収めるべく、勇んで目的地に向かいました。駅から海の方に歩いて数十分かかる道のりは楽しく、以前子どもと行ったことのある岩壁を思い出しました。モーゼの十戒よろしく、干潮時には河岸まで歩ける岩壁。岩などが作る自然の生簀には、魚たちが泳いでおり、子どもの知育には最適な場所でした。さておき、そのラーメン屋さんに昼ごろ到着すると、すでに5名ほどのかたが行列を作っていました。直後には常連さんと思しき方と、東京から来られたと思われるバイカーの方。私は、この店に至る道程を動画に収めており行列の中で提示されるメニューを写真に収めました。その後奥様と思しき女性が行列の方に注文を聞いており、私もオーダーしました。列に並んで30分後くらいに呼ばれ、私はスマートフォンをもち、最初の店内写真を「静止画で」撮影しました。その行為をラーメン屋のご主人はしっかりと見ており、私が動画を撮影したとおっしゃりました。私は静止画を撮ったと言いましたが、店のご主人は、動画にお客様が映り込むと大きな迷惑になるということで、私の行動を諌めました。なんなら帰ってくださいという店のご主人の勧告を受け入れ、私はクレームを訴えずに、すぐに店を退去しました。その間おそらく1分間。これを機に、私の人生のタイムラインが大きく変貌しました。

 

私は1日一食を目指しており、現在は1.2食程度の食生活を送っているアラフィフのオヤジです。平日は1.2食程度、朝食は摂らず、昼食は玄米のおにぎり80グラム程度。夕食は飲食ともに好きなものを摂るという生活を3年弱行っています。健康診断で引っかかるのは、血圧と腹囲であり、そのほかは優良です。休日は、平日のストレスや栄養不足を補うべく、好きなものを朝から食べています。件の日にも、私の好きなラーメンを食すべく、片道1時間弱の旅程を、ラーメンに捧げましたが、1分で店を出ることとなり戸惑いました。幸いにして、通りがかりの寿司屋で、地元の食材を使用した定食を振る舞われていたので、そこに迷わず入りました。

結論として、非常に良い食体験を得ることができました。

 

1700円弱(確か)の定食です。あまり聞いたことのないお魚と、豪華な副菜。女将さんも旦那さんもぶっきらぼうな方で、地元の方々のコミュニティ的な位置付けのこの店に入り込んだエイリアンを、冷たくも温かいもてなしで、迎えていただきました。お魚はとても美味しく、シャリも美味しかったです。

 

この一件を境に、私のユーチューバーとしての行動を振り返りました。お店に撮影許可を求めたのは、おそらく全体の10%程度。お店がインスタグラムを開示していても、動画撮影許可は難しいことがわかり、また、昨今のプライバシー保護を顧慮した動画撮影について、私自身「脇が甘い」対応をしていたという反省点から、公開していた動画を検証していました。

 

私は、「TRIBLOG」というYouTubeチャンネルを運営しています。泡沫ユーチューバーとして、5年経過しても収益化の道のりが近くて遠い状態です。YouTubeの世界は「ホッケースティック曲線」に象徴される2局化された世界が展開されており、トップ層のユーチューバーはおそらく全体の0.001%くらいで、残りは収益をかろうじて得るユーチューバーと、私のような泡沫ユーチューバーに分けられると思います。と言いつつも、一度YouTubeクリエイターの立場になると、目標を大きく持つようになり、誰もが「再生回数」や「再生時間」にこだわり、躍起になっていると思います。そのために、再生回数や再生時間を増やすために、ユーチューバーは無理をしてしまうのです。

 

話を戻すと、私は件のラーメン屋さんに関する、動画を1本作成する気が満々でした。90年代くらいにテレビで華々しく活躍された、グループの一員の方は、グループが散り散りになった後も、俳優として活躍されたとのことです。私はもう20年近くはテレビと無縁の生活を送っておりますが(家族はテレビが好きなので、漏れ聞くテレビ情報を掬い上げてはいます)、テレビで活躍されたその方の、その後をよく知りませんでした。栄華を極めた東京から、海の近い穏やかな土地に最終の住処を得て、のんびりと過ごされていたようです。奥様を気遣い、プライバシーを確保しながら、東京で失ったであろう、数々のことを取り戻して、奥様のことを気遣っておられる様子を、YouTube動画で拝見しました。

 

私の経験とすこし被るのは、私も一心不乱に仕事に埋没し、突然家族に国内転勤や海外転勤を通告し、無理やり家族を連れ回した経験と、仕事とプライベートの境がなく仕事を行い、仕事中心の生活を行い、家族のことをあまり見てあげられず、子どもの育成は妻に任せっきりにしてしまったことに関する反省でした。父親は、仕事か出張(国内、海外問わず)に行く存在でした。私の子どもが生まれてから2年程度で、私の海外転勤が決まり、私が先行して海外の単身赴任をしていた時、私の妻は、私の写真を幼い子どもに見せて見せて「この人があなたのお父さんなのよ」と言っていたらしいです。そのおかげか、私が一時帰国をした際には、幼い子どもは、私を見て泣かなかったのです(泣)。

 

これら諸々の感情があったので、件のラーメン屋の主人から、「退席しても良いですよ」という選択肢を与えられた時、私は引き下がらず、あっさりと退席しました。

 

その後、YouTubeの構造、SNSの構造、その他諸々について深く考える機会があり、アメブロに記事を書く通りに、私の心境は大きく変化しました。しかしこれらは、故船井幸雄(舩井幸雄)さんの言葉を借りれば「必然・必要・ベスト」の経験だったのかもしれません。

 

話を冒頭に戻すと、私はラーメンを好んで食していました。お店のラーメンに加え、コンビニで買えるカップラーメン。これらは、この件を境に、ラーメンを食べなくなりました。これは私にとっての驚きの事実で、これほどまでラーメンを食さない機会は、近年ありませんでした。しかしながら、ラーメンを食生活から除外するのも、私のとって必要なことだったのかもしれません。

 

今月末、親友と食事予定で、「日高屋」で会うつもりなのですが、ラーメンは頼まない予定です。私は、ラーメンを食べなくても大丈夫な身体になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は新聞を読むのが好きで、いまだに定期購読しています。新聞は、オールドメディアとか、偏向報道とか、何かと批判が集まるメディアですが、冷静にネットメディアを眺めてみると、偏向報道の強度は、ネットメディアの方が強いと思います。新聞の良いところは、提示される情報が多種にわたり、その情報は毎日ほぼ同じ項目であることです。情報の速報性は、ネットには負けるものの、継続して一つの情報をフォローしたい場合には、新聞の方が、利用価値がある情報源だと思います。

 

利用価値という点では、新聞は、梱包時の緩衝材、靴が濡れた時の給水材、焚き火をするときの着火材、寒い時に服の中に入れる防寒剤、子どもにお絵かきをさせる時に使う下敷きなど、想像力が豊かになる多様な用途があります。古新聞、あるいは押し紙と呼ばれる読まれていない新聞が、フリマアプリで流通している理由がよくわかります。

 

新聞の、もう一つの楽しみは、付録的な位置付けであり、新聞社にとっては収入源である、折込チラシを読むことです。日々の生活情報、食材の価格変動を観察したり、自動車の価格を見たり、新しい家電や、ユニクロの新製品をキャッチすることができます。ユニクロといえば、最近の折込チラシは明らかに紙の質が落ちましたが、ユニクロが対象とする顧客は、殆ど新聞を読まないからだと思います。

 

そんな中で、ここ1、2年で気になる折込チラシがあります。不要なお宝をお金に変えるお店と、墓地のチラシです。家庭に「眠るお宝」を引き取ってもらえるお店が激増しました。それに追従するように、墓地のチラシが増えた気がします。特に多いのがお宝店。このチラシは高級腕時計や切手、古いカメラ、ジュエリー類の買取が目立っている印象ですが、本命は「金」の買取だと思います。

 

お宝店の金の買取チラシ、墓地のチラシから連想されることは、ここ数年で高齢の方が多く亡くなられ、遺品が増加することや、生きている間の持ち物整理、あるいは年金生活が厳しく自分の持ち物を手放すこと、このような需要が多いのかと思いました。これは表層の分析で、もう一つの分析は「金(ゴールド)」をかき集めているということで、これは今後訪れるであろう、不確定な世界に備えるための準備と読んでいます。

 

経済崩壊、資本主義の崩壊や、世界的な戦争が発生する前の準備とも考えられますし、仮想通貨よりも現物を持っている必要性を感じさせる事象かもしれません。このことを考えていると、ダスティホフマン、トムクルーズが共演した「レインマン」の中で、ラスベガスに乗り込んで、ダスティホフマン演じる自閉症の天才に荒稼ぎさせる準備として、トムクルーズ演じる「弟」が、ロレックスの腕時計を外して質屋に行くシーンが思い出されます。あるいは、私が仕事をしている中で出会った、怪しげな営業マン。世界中を飛び回る営業マンの人は、ロレックスの腕時計と、金のネックレスを着用していました。換金性の高い装飾品を、いざという時のために着用しているとのこと。

 

話がコロコロ脱線しましたが、新聞や折込チラシは、読み解くといろいろなことが想像できて面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【緊急!】迫り来る中国の脅威!苫米地英人と前田日明特別対談!を見ていて、色々考えていました。脳機能学者の苫米地英人さんと、元プロレスラーの前田日明さんが中国の脅威について対談していました。前田さんは中国が仕掛ける工作の脅威をしきりに苫米地さんにぶつけていましたが、苫米地さんは、工作は当たり前のことで、工作の中でも「お金」の授受に応じてしまう日本人が悪いと返します。これは政治家だけの話でなく、我々にも言えることで、要は、近年の日本人は、「お金の洗脳」を刷り込まれているのだと、苫米地さんはさらりと言っています。

 

私も、近頃ネットで言われている中国脅威論、特にXやYouTubeで流されるものに影響され、嫌悪を抱いていましたが、よくよく振り返ると、お金にまつわる私の受けた洗脳が、私の認知にバイアスを与えていることに気づきました。要は、中国脅威論を感じる前に、GAFA脅威論、欧米脅威論も等しく感じる必要があろうかと。ついでに、日本人脅威論も。

 

私が毎日のように接するインターネットメディア(私はテレビを殆ど見ません)には、YouTube、Amazon、Instagramなど、アメリカ企業によるプラットフォームから情報が発信されています。私はYouTube動画に投稿して、Amazonに多数のレビューを寄せています。Amazonからは、2013年ごろの当初は、kindleで電子書籍を購入するために利用していましたが、現在は大量のモノを購入するに至りました。YouTubeも知らず知らずの間にたくさんの動画を眺めており、YouTubeのおすすめ動画を、薦めらるがままに、時を忘れて眺めています。私の生活、思想、お金は、GAFAに絡め取られていることを感じました。

 

「日本の脅威」について考えると、今日本人が直面している問題の数々は、先述のような外来物が起因していることが多く言われていますが、やはり我々日本人に原因があろうというのを、苫米地さんの話をきいて思いました。アメリカの外圧のせいで日本国内のコメ市場が脅かされ、自動車の輸出に打撃が与えられる、などの話は、日本国内で抱える問題を、アメリカの外圧にすり替えているように思えました。本当かどうかわかりませんが、昨今の米価格高騰は、JAが農林中金の運用損失を補填するための工作だとか、消費税は社会保障ではなく、輸出企業への交付金として使われているとか、実は日本人の中での問題なのではと、最近のニュースを見ていて思います。

 

日本人の変容(?)の最大の要因は「お金」に関する洗脳。確かに私も、子どもの頃からお金の洗脳を受けて、私の子どもにも、お金の洗脳を行っていたと反省します。

 

お金の洗脳を自分で解くためには、相当な努力が必要と思いますが、今年1月に亡くなられた、森永卓郎さんの書籍を何度も読みながら、考えていきたいと思います。

 

日本の税制を考えた時に、表題のことを考えたのですが、仕組みやルールを、ややこしくすればするほど、破綻する確率が高まると考えています。

 

話は飛びますが、シンプルな設計で故障が少ない仕組みは、旧ソ連のカラシニコフ氏が設計したAK-47が思い浮かびます。寒さや泥、砂塵、水にさらされても確実に動作する突撃銃。米国のM-16と比べると、弾が詰まることが少ないと、本で読んだことがあります。ベトナム戦争などの映画を見ると、米国の銃が詰まる(ジャミング)するシーンはよく見かけます。

 

先日YouTubeで拝見した、苫米地英人博士と佐藤優さんとの対談で、生成AIに課す制約条件は「ロボット3原則」程度のシンプルなものにすべきだと、佐藤さんがおっしゃっていたことを聞いて、何となく納得しました。人工知能の素人が、あれこれ制約を入れるうちに、矛盾を多く内包するとのこと。これら余計な制約条件は、利権や信条など、あらゆるバイアスが入る。日本の税制や年金制度も、複雑な構造になっていますが、これらも利権まみれになっているのでしょう。大きなリセットが必要になる局面かもしれません。

 

日本人の経済感覚も、どんどん複雑化したと思います。私が子どもの頃は、銀行の金利はまだ数%台であったので、貯金すると利子がきちんとついて、仕事をリタイアした老後も、退職金や年金と合わせて、悠々と過ごせたと思います。企業の福利厚生も、今よりは充実していました。年金基金は自己責任で運用するということで、投資にも向かった結果、恐ろしい勢いでお金がどこかに飛んでいくような感覚を持ちました。

 

明らかに、世の中の仕組みやルールが、ややこしくなっており、破綻に向かっているという感触を持ちます。私も昨年まで、複雑な仕組みの中でしっかりと行動していたつもりでしたが、2025年になって色々と「目覚めた」ことがあり、生活の大きな見直しを行っているところです。そろそろ、いろいろなことが破綻していくかと思います。

こんにちは。私は50を過ぎたオヤジですが、最近、25年くらい前の記憶や映像が、突如として脳裏に浮かぶことが多くあります。現在行なっている仕事の内容が、私が25年ほど前に行った仕事と同様であることが一因ですが、不思議なほど、過去に見た映像が閃光のように蘇る体験が多いのです。

 

25年前の映像としては、一部のみ、写真のデータがMacに残っているのですが、大半の映像は、記録には残っておらず、私の記憶にのみ残っています。

 

もちろん、記憶は後で作り変えることも可能らしいので、私の見た映像は、実はフェイクなのかもしれませんが、本当に、過去の映像がしっかり蘇ることは多いです。ここから考えると、人間は、過去の映像は全て脳に保管されているのだけれども、記憶を呼び起こすのが難しく、大半を忘れてしまったか、何らかのきっかけがないと、記憶を呼び起こせないのかと思います。

 

ここから考えたこととして、あなたが旅行や、家族の大事なイベントなどで、記念写真をたくさん撮影すると思うのですが、本当に大切な思い出こそ、写真に撮影せずに、瞳の奥に焼き付けるべきではないかと。スマートフォンを置いて、五感で情報を吸収しながら、思い出を脳裏に焼き付ける必要があるのではないかと。ディスプレイ越しの思い出は、もういらないのかもしれません。

 

 

森永卓郎さんの著書は数冊読んだ程度ですが、氏の考えに共感できることが多かったです。特に「トカイナカ」と呼ぶ、都会にアクセスしやすい田舎に住居を構え、畑を耕しながら食料を自給し、生活費を抑えるという生活の実践には、深く共感しました。森永卓郎の「マイクロ農業」のすすめに「トカイナカ」の考え方が触れられており、また、本書で、氏が所有する膨大な量のミニカーや、PETボトルのキャップ、有名人のサイン入りグッズなど、数々のB級お宝(?)を紹介した「B宝館」にも2023年2月に訪問しました。この際にいただいたサインは、母親にも渡しましたが、母親も森永卓郎さんのファンだったらしく、翌月にB宝館に訪問して、森永卓郎さんと2ショットの写真を写してもらい、画像を送ってもらいました。

 

その後、森永卓郎さんはガンにかかり、ほぼ同時期に私の母親もガンにかかりました。森永卓郎さんも、私の母も抗ガン剤治療によりひとまずは回復しました。母は昨年2024年に6ヶ月強行なった治療の後遺症が、2025年4月の今でも残っているとのことですが、少しずつ快方に向かっており、治療中に会えなかった友人と出かけることも可能となりました。

 

森永卓郎さんはガンから回復した後は、残りの命を燃やすように、執筆活動やラジオへの出演を精力的に行なっていました。森永卓郎流「生き抜く技術」を読んでびっくりしましたが、昨年の2024年8月には、13冊もの本の、執筆依頼が舞い込んだため、31日間一度もベッドには行かず、完全徹夜で執筆をやり遂げたとのことです。氏は、獲得した命を、真実を伝えるために使い切ったようでした。

 

私はアラフィフのオヤジであり、子育てがまだ終わっていない現役世代ですが、「人生100年時代」だと言われながらも、私の命はあと20〜30年かなと考えています。父も母もガンに罹患していることと、私もあまり褒められた生活を送っていないからです。なので、森永卓郎さんの書籍は、なおさら私の心に刺さり、これからの生きる道を真剣に考える機会となりました。

 

 

 

こんばんは。あなたは湯船付きの住宅に住んでいますか?もし家に湯船があるのなら、一年中風呂に入りましょう。お風呂は、あなたの自律神経を整え、サウナに入らなくとも「ととのう」便利な施設です。上下水道代やガス代が厳しいかもしれませんが、湯船に浸かるだけで、あなたは心身ともに健康になります。

 

湯船に浸かる際には、ぬるいお湯で半身浴するより、熱いお湯で短時間入る方が、温浴効果があると思います。熱い湯船に浸かった後は、老廃物の排出が旺盛になり、不思議とトイレに行きたくなります。血行が促進され、穏やかに眠ることができます。温泉地で温泉に入った後、眠くなる現象は、自宅でも再現できます。熱い湯に浸かるだけで良いのです。

 

身体を拭き、髪の毛を乾かしたら(ここは重要)、テレビやスマートフォンを眺めずに、すぐに就寝することを推奨します。翌朝は早起きしても、身体は快調になると思います。

 

熱い湯に浸かっている間、私の場合は文庫本の読書を行なっています。それほど長く浸かれない熱い湯は、短時間で集中して読む読書に最適です。章や説ごとに読む範囲を決めて、短時間で速読しながら、熱い湯の中で読書を行なっています。

 

もしあなたが、自律神経失調症や、メンタル面で不調を訴えるのであるのなら、熱い湯に短時間浸かることを、強く推奨します。

整理術の基本は、物を減らすことだと思っています。必要な物のみ身の回りにおいておき、置き場所を決めておく。そうすることで、余計なものを買うことがなくなると思います。ここでのポイントは、収納場所や収納用家具をできるだけ減らすことだと思います。押入れや納戸には物を極力入れておかないことや、目に見える場所に毎日使う物をおいておく。これを繰り返していくだけで、あなたの物は厳選されていきます。

 

私の、数回の転勤生活を振り返ると、引越し時に整理が大変だったのは、家族の衣類と書籍でした。女系家族のせいか、衣類は多く、子どもたちもお洒落で、成長過程でかつ、上の子どもと趣味が違うので、とにかく多くの衣類を段ボールに詰めていたことを思い出しました。書籍も多く、私も本が好きなので、結構重い段ボールを積み重ねた記憶があります。

 

現在、子どもたちは次々と家を巣立ち、少しずつ物が縮小しています。私が溜め込んでいた本も大半は売り捌いたり、スキャナーで読み取りPDF化しました。電子書籍をメインで読むことが増え(本屋が好きなので時々紙の本を買いますが)、気がつけばタブレット端末やクラウドに、600冊以上の本が収納されることとなりました。伴い、家の本棚は少しずつ淘汰され、壁一面にあった本棚が、カラーボックス3本のみとなりました。

 

私自身の衣類は厳選に厳選を重ね、スーツケース1つに冬服、夏服をローテーションで収納し、ほとんどバリエーションの無い服装で毎日を過ごすこととしました。シャツはユニクロのボタンダウン、パンツはヨーカドーのチノクロスかモンベル。冬のジャケットはマクレガーで、19年ほど同じものを着ています。そして活動する際は5.11 tactical のパンツやジャケット。流行に疎いオヤジですが、極力トラッド系の定番を指向しています。

 

最近は、目に見える範囲に持ち物を集約させ、カバン類を厳選して、カバンに入れる持ち物も厳選しています。今年2025年の7月に災害が発生するという説は、信憑性は低いですが起こる可能性がある前提で、2011年から溜め込んでいた、災害対応品の選定と、カバンに詰め込む作業を行なっています。ゼロハリバートンのスーツケースは、災害時に持ち出そうと考えましたがやめて、お譲りしました。コンパクトに、キャビントロリーを転がす前提としました。そしてリモワも全部処分・・・

 

 

 

 

物を減らしていくと、必要な生活スペースもわかってきます。次の引越し時には、面積の狭い場所を選ぼうと考えています。家賃もコンパクトになろうと思います。リタイアした後には、理想としては、ザック一つで転々と生活できるようにしたいです。10年もすれば家はダブつき、選び放題になるかもしれません。森永卓郎さんがおっしゃっていた「トカイナカ」、東京など都会に1時間程度でアクセスできる田舎に住み、畑を耕し、雨の日には読書を行う。災害が起こったら避難と共に家族とゆかりのある場所を転々とする。妻がどこまでついていってくれるかは不明ですが、収納場所を減らし、物を減らす先には、このような生活スタイルがあると思います。

 

*写真のキャビントロリーも、持ち物整理の過程でお譲りしました・・・

 

 

 

私も加担していたのですが、日本の製造業では2000年初頭、海外に生産拠点を移転するプロジェクトを多く進めていました。グローバルな供給体制を築く大義名分と、安価な労働力を確保するという名目のもと、東南アジアや中国に、日本の生産設備をコピーしたものを移転したり、日本の設備を移転していました。もちろんこれら移転には、人材やノウハウの移転も含められます。

 

このことにより言われることは、産業の空洞化です。製造業は生産拠点に多くの技術やノウハウが集積します。同じものを同じように製造していても、細かい作り方や、お客様からの要望、高度化する要求に対応するうちに、有形、無形の技術やノウハウが蓄積していくのです。このことにより、日本の製造業からは、ノウハウがどんどん目減りしていきました。約25年、四半世紀の間に。

 

中国が生産設備を増やしたのも、2000年初頭でした。製造設備のサプライヤーは、欧米系のメーカーが多かったのですが、この人たちから得られる情報の断片(欧米系メーカーの人々は日本と比べ、守秘義務がしっかりしていました)では、中国には大きくて速い機械が大量に導入されており、驚きと共に、危機感を持っていたものでした。

 

中国はその後も拡大と技術移転を受け入れ、いつの間にか巨大な製造工場を擁する国になりました。以前はおそらく、森や林しかなかった土地を開き、工場を建設して、行員が住む街をつくりました。日本人が普通行かないような僻地に工場を建設し、人口が増えると少しずつ文化的な生活が流入し、2020年台ごろにはすでに、日本を凌ぐ洗練された街が生まれていました。

 

一方で日本は、コスト削減や、働き方改革などにより、ダイナミックな技術革新が生まれない土壌が生まれました。また、液晶や半導体分野では、いとも簡単に技術が盗まれて、みるみるうちに他国が日本を凌ぐようになりました。人の良い日本人につけ込んだ他国の人々により、驚くほど早く、ソーラーパネルが作られ、ICチップが作られ、液晶パネルが作られました。

 

この構図は、第二次世界大戦後の日本に似ています。日本の製造業も欧米の技術を吸収し、製品をリバースエンジニアリングして、真似した製品を少しだけ改良して、世界の市場を席巻しました。松下電器、今のパナソニックが「真似した電器」と揶揄されていた時代がありました。

 

一度技術移転した後の製造拠点は、さらに新しい技術を開発して発展する名目でしたが、コスト競争力で負けて、結局衰退していきました。この衰退を盛り返すのはとても難しいです。アメリカ合衆国で生まれたiPhoneは、もともとアメリカで製造する前提がなかったのかもしれませんので、「Made in The U.S.A.」を完全に達成するのは、事実上不可能とも思われます。

 

日本も同様で、戦後の高度成長期を支えた技術者の方々は、軒並み引退し、今では鬼籍に入られた方も多く、有機的なノウハウが残りません。過去に築かれた知識体系を記した紙も、デジタル化の潮流に飲み込まれ、デジタルアーカイブに残らず捨てられたものも、少なくなかったと思います。

 

後もう一つ怖いことは、海外に生産拠点を移管する隠れた意図は、環境規制のゆるい拠点に製造拠点を移し、日本は「環境にやさしい」顔をすることも、あったかと思います。つまり、海外拠点を日本に移す過程で、環境汚染、環境破壊を伴うリスクがあると考えます。熊本に建設された半導体工場は、PFASと呼ばれるフッ素化合物や、その他有害物質は、熊本の土壌や河川を汚すリスクはあると思います。最近のグローバルな企業論理を推測すると、「嘘を言ってはいけないが、真実を言わないのはある程度許容される」と思います。実は熊本県が聞いていない真実があり、実は5年後には、水俣病のような公害が表面化するリスクもゼロではないかと思います。

 

「日本製」を回帰させるためのプロセスには、我慢する(我慢させられる)プロセスが不可避だと思います。