私は30年ほど前に、東京から東海地方の田舎に移り住んだのですが、その土地の閉鎖性には大変手こずりました。どこに行っても顔を知った人に会うし、土地の人に馴染むのも難しかったです。かろうじてローカル線周辺に残っている商店街で、自転車のパンクを直してもらおうとバイク屋に行ったら、明らかに家に人がいそうなところで、声をかけても誰も対応してくれなかったり(その店はすでに廃業していたことが後でわかりました)小さな電気屋で卓上ランプを買おうとしたら、ナショナル製品のみ扱っているお店だったり、色々な意味で文化の違いを感じました。ここで感じたショックは相当であり、その後短期間移り住んだ東南アジアの国においては、さほどの文化的ショックを感じませんでした。
かの東海地方にある田舎町は、河川の近くに位置しており、輪中地帯と呼ばれる、川に囲まれた中洲の地域がありました。この中に住んでいる方々のメンタリティーには「輪中根性」と揶揄されたものがあり、閉鎖性を語っている反面、輪中で火災が発生たら、皆で消防活動を行うという使命感も込められていたと思います。私も、この田舎町に住んでいるときに、消火栓のホースを使って、田んぼに水を供給する側溝の掃除をよく手伝っていました。田舎町に住むと、長靴とショベル(先が尖ったものと平たいもの)は必須アイテムとなります。側溝の掃除が終わると、消火栓のホースがあちこちで干されているのを見かけました。これもこれも消火訓練のひとつであったなと、今になって思います。
話は10年ほど前に飛びますが、私は10年ほど前に、小学校のPTA役員を引き受けたことがあります。育成部と呼ばれる、小学校生徒の健全な育成を支える役割と、「子ども会」を束ねる市の「子ども会連合会」の役員を兼務する仕事です。もちろん活動はボランティアなのですが、誰も引き受けたがらない仕事であることを後で知り、地域の運動会の最中にオファーされ、軽々しく受けたことを、数ヶ月後に後悔しました。この仕事の大きなイベントは、子ども会対抗の球技大会の運営で、4月の役員引き継ぎ前から活動が動き、7月まで毎週のように多忙な時間を過ごすという活動でした。任期は2年で、1年前に役員になった方との引き継ぎを行いながら仕事を進めるという、PTA組織では珍しい仕事でした。この時の「労働時間」を概算した覚えがあるのですが、2年で200時間は費やしたと記憶しています。
ちなみに、私が「子ども」という表現をあえて使うには理由があり、「子供」という言葉には「子を提供する」というニュアンスがあるとのこと。「子ども会連合会」からこの話を伺い、私は以降、「子ども」と表記しています。昨今の事件を考えると、ゾッとする話です。
子ども会連合会や、小学校のPTA活動を行っていて強く感じたのは、私が役員を受けた期間は、大きな変曲点を迎えた時期ということでした。子どもの数が減少し、子ども会が成り立たなくなる事情と、PTAの存在意義に否定的な方が増えてきたこと、外国人のお子さんが小学校に入っており、その親はあまり日本語が上手でないことなど、子ども会やPTAが衰退する時期に直面したのだと思います。
以上2つのエピソードの共通点は、地域のコミュニティーを維持する難しさと、コミュニティーの重要度です。ちょっと論理的に飛躍してしまうのですが、これらは「防災」や「防犯」の観点から、これからも重要視されると考えます。さまざまなイベントで、人々が顔を合わせることにより、地域の人々、子どもたちのことをわかり合います。大きな災害が発生したら、皆で助け合うこと、コミュニティー外から変な人が来たら、すぐに判別できて、排除できること。私が東海地方の田舎で得た拒絶感は、まさにコミュニティーにおける正常な反応だったと思いました。
これからの時代は、政府あるいは大きな組織が意図してか、さまざまな災難が降りかかることが予想されています。私たちは世界的に仕掛けられた(?)疫病のイベントにて、分断と結束の両方のイベントを体験しました。2025年は結構ヤバい年だと言われており、私も災害対策をコツコツと進めているのですが、最終的に効いてくるのは、地域のコミュニティーなのではないかと、過去を振り返り実感しているところです。点と点は繋がり、「防災」、「防犯」という結びつきが生まれました。
地域や学校単位での自治活動は、今後重要度を増すと思います。







