ある年齢まで医療費が無償となる制度があり、子どもを持つ世帯にはとても助かる制度です。今後、高校や大学も無償化の方向になり、親や子どもの経済的負担が少なくなり、良いことだとは思います。しかしながら「無償」、「無料」が故の無駄も多々あると思います。これら「無償」に充てられる財源は、結局私たちも支出している事実をかんがみると、「有料化」が必要な分野もあるのではと思いました。
医療費は実は、有償化すると、「未病」を意識した生活に移り、結果としてトータルのコストが下がることを考えています。今は些細な体調不良があっても病院に行き、薬を処方してもらいます。寝れば治る風邪を、通院と投薬で治す必要はなかろうと、常々考えています。うちの子どもが、耳に違和感を持ち、聴こえが悪くなったとのことで、耳鼻科に行きました。近頃の気温の変化や、気圧の変化を考えると環境要因か、はたまたストレス要因かなどと考えていましたが、結果は「耳垢」が詰まっていたとのこと。耳垢の除去にて聞こえやすくなったとのことで、英語のテスト前にまた通院しようかと話していましたが、これこそ「未病」を行う案件かと思いました。
義務教育より先の学校についても、無償化が、必ずしも良い結果をもたらさないと考えます。よく言われる「Fラン大学」について近頃考えるのは、高等教育機関を卒業した証だけではメシを食べられず、むしろ、メシを食べる手段を先に見つけて、その世界に早く飛び込むのが、今後ますます必要になるのではないかと。わかりやすいのがプロ野球、プロサッカー、料理人、プログラマーなど、専門的なスキルを要する職業は、できるだけ早いうちに、例えば高校卒業くらいからプロの教育を受けた方が良いと思います。なので子どもたちには、どの学校に行きたいかより先に、何になりたいのかを問うてきました。そしてようやく、末っ子は理解してくれました。将来何を行いたいかがわからないまま、高校や大学に進んでも、学ぶべきことを学べなくなると思います。そのような人々に公金を投入するのは無駄に思えます。
外国人の医療費を無償化することについて、賛否が起こっていますが、日本の医療制度を悪用する人々と、日本で労働している人々とは、冷静に分別をする必要があると思います。日本政府の移民政策(?)、あるいは小泉純一郎政権時にタガを外してしまった、派遣労働に関する制約により、安価な労働力を外国人に頼るということが加速化しました。「加速化」というのは、私が就職した30年前と比べて、ということで、私が就職した時にも、私の住む中京地区のスーパーには、田舎から来たと思われる中国語を話す女性の方がよく来ていました。この地域は紡績会社が栄えていたので、勤勉な職工さんを中国に求めていたのかもしれません。20年ほど前は、東京都内の飲食店で外国人の店員さんが増え、驚いたことを覚えています。コンビニの店員さんも、名札にカタカタの名前が増えたのも印象的でした。話が飛びましたが、日本の労働力を外国人の方々が支える構造は、昔からあり、医療費の原資は何らかの形で徴収されていたと考えられます。
人間が生きていくためのコストも、無償化の対象にしても良いと思いますが、日本人の主食を米に戻した上で、米の生産量と価格は、国が保障するくらいの政策が、当たりまえになる世の中を作りたいです。私も歳を重ねてから、あまり食べなくても生きていける身体になったので、米と味噌汁、少しのおかずがあれば、十分に生きていけると考えています。私があれだけ好きだったラーメンを、食べなくても良いマインドセットを得たのも、良い兆候だと思いました。日本では、水道水が普通飲めるということも、厳密には無償化ではありませんが、良いことだと思います。
強引にまとめると、健康に関する、未来に向けたコストのうち、未病のコストは無償化しても良いと思いますが、起こった病気に払うコストは有償化した方が良いと思います。がんを高額医療制度で治療することは、うちの親も恩恵を受けましたので、声高に主張はできませんが、未病にコストをかけるべきと思います。
教育に関する、未来に向けたコストのうち、専門知識を得るためのコストは無償化の方向で良いと思いますが、目的もなく学位だけを得るための教育内容に、コストをかけるのは良くないと思います。社会人としての基礎教育は、義務教育及び親の教育で賄おうよと。









