ある年齢まで医療費が無償となる制度があり、子どもを持つ世帯にはとても助かる制度です。今後、高校や大学も無償化の方向になり、親や子どもの経済的負担が少なくなり、良いことだとは思います。しかしながら「無償」、「無料」が故の無駄も多々あると思います。これら「無償」に充てられる財源は、結局私たちも支出している事実をかんがみると、「有料化」が必要な分野もあるのではと思いました。

 

医療費は実は、有償化すると、「未病」を意識した生活に移り、結果としてトータルのコストが下がることを考えています。今は些細な体調不良があっても病院に行き、薬を処方してもらいます。寝れば治る風邪を、通院と投薬で治す必要はなかろうと、常々考えています。うちの子どもが、耳に違和感を持ち、聴こえが悪くなったとのことで、耳鼻科に行きました。近頃の気温の変化や、気圧の変化を考えると環境要因か、はたまたストレス要因かなどと考えていましたが、結果は「耳垢」が詰まっていたとのこと。耳垢の除去にて聞こえやすくなったとのことで、英語のテスト前にまた通院しようかと話していましたが、これこそ「未病」を行う案件かと思いました。

 

義務教育より先の学校についても、無償化が、必ずしも良い結果をもたらさないと考えます。よく言われる「Fラン大学」について近頃考えるのは、高等教育機関を卒業した証だけではメシを食べられず、むしろ、メシを食べる手段を先に見つけて、その世界に早く飛び込むのが、今後ますます必要になるのではないかと。わかりやすいのがプロ野球、プロサッカー、料理人、プログラマーなど、専門的なスキルを要する職業は、できるだけ早いうちに、例えば高校卒業くらいからプロの教育を受けた方が良いと思います。なので子どもたちには、どの学校に行きたいかより先に、何になりたいのかを問うてきました。そしてようやく、末っ子は理解してくれました。将来何を行いたいかがわからないまま、高校や大学に進んでも、学ぶべきことを学べなくなると思います。そのような人々に公金を投入するのは無駄に思えます。

 

外国人の医療費を無償化することについて、賛否が起こっていますが、日本の医療制度を悪用する人々と、日本で労働している人々とは、冷静に分別をする必要があると思います。日本政府の移民政策(?)、あるいは小泉純一郎政権時にタガを外してしまった、派遣労働に関する制約により、安価な労働力を外国人に頼るということが加速化しました。「加速化」というのは、私が就職した30年前と比べて、ということで、私が就職した時にも、私の住む中京地区のスーパーには、田舎から来たと思われる中国語を話す女性の方がよく来ていました。この地域は紡績会社が栄えていたので、勤勉な職工さんを中国に求めていたのかもしれません。20年ほど前は、東京都内の飲食店で外国人の店員さんが増え、驚いたことを覚えています。コンビニの店員さんも、名札にカタカタの名前が増えたのも印象的でした。話が飛びましたが、日本の労働力を外国人の方々が支える構造は、昔からあり、医療費の原資は何らかの形で徴収されていたと考えられます。

 

人間が生きていくためのコストも、無償化の対象にしても良いと思いますが、日本人の主食を米に戻した上で、米の生産量と価格は、国が保障するくらいの政策が、当たりまえになる世の中を作りたいです。私も歳を重ねてから、あまり食べなくても生きていける身体になったので、米と味噌汁、少しのおかずがあれば、十分に生きていけると考えています。私があれだけ好きだったラーメンを、食べなくても良いマインドセットを得たのも、良い兆候だと思いました。日本では、水道水が普通飲めるということも、厳密には無償化ではありませんが、良いことだと思います。

 

強引にまとめると、健康に関する、未来に向けたコストのうち、未病のコストは無償化しても良いと思いますが、起こった病気に払うコストは有償化した方が良いと思います。がんを高額医療制度で治療することは、うちの親も恩恵を受けましたので、声高に主張はできませんが、未病にコストをかけるべきと思います。

 

教育に関する、未来に向けたコストのうち、専門知識を得るためのコストは無償化の方向で良いと思いますが、目的もなく学位だけを得るための教育内容に、コストをかけるのは良くないと思います。社会人としての基礎教育は、義務教育及び親の教育で賄おうよと。

 

 

 

 

 

 

 

子ども達が小さかった頃は、連休は家族で近隣の遊び場に連れて行っていました。自動車で1時間程度の場所で、遊具や動物、自然と触れ合う場所に。当時は仕事一筋の生活をしていたので、連休こそが、子どもと大いに触れ合う良い機会でした。

 

2025年現在、子ども達は大きくなり、家族で集まる機会がほとんどなくなり、年末に家族が全員集まるのもレアな機会となりました。連休初期の今は、実家の一人暮らしの親を訪問する以外は、子どもの部活においての、試合会場への送迎が予定に入っています。近頃の連休は、圧倒的に予定が入っておりません。

 

私はアラフィフのオヤジで、そろそろリタイアまでの道筋が見えてきています。あくせく働くことは辞めて、子育てからもう少しで解放され、親の面倒を見る時間が増えそうな今日この頃です。旅行は、海外、国内ともに出張でそこそこ訪れたので、たとえば関西万博に行きたいだの、ハワイに行ってみたいなどの欲求は殆ど起きていません。リタイアする時期が来たら、行きたいところリストに沿って、できるだけの旅行に行ってみたいですが、今は家のことを色々行っているのが好きです。

 

ウチはまだ、石油ストーブを出しているので、そろそろ扇風機を出す準備をしました。ウチにはクーラーが1台しかなく、夏は扇風機をフル稼働しています。夜は皆汗だくで寝ていますが、これがかえって健康に良いのではないかと考えています。なおここ数年来、夏でもお風呂を沸かすようにしています。夏こそ、冷えに気をつける必要があるご時世につき。

 

あとはひたすら、不要物の片付け。断捨離期間中につき、不要な衣類、書類、書籍、モノたちを処分したり、お譲りしたりしながら、家の中を整理していきます。この断捨離を行うことにより、私の購買活動は、勢いや惰性など、無意識に多くのモノを購入しているのだなということがわかります。インターネットの動画を見た後の勢い、無くなった消耗品を補充する惰性。一歩踏みとどまったら、余計なものを購入しないのだなとわかります。

 

気が向いたら、部屋の掃除。私はコロコロで床掃除することと、アルコール入りウエットティッシューで家具などを掃除するのが習慣にしていますが、忙しい時には忘れています。溜まった汚れを落とすと、心が浄化された気分になります。

 

あとは、パソコンに向かいブログを書くことや、動画編集を行います。私のYouTubeチャンネル「TRIBLOG」(トリブログ)は、2019年よりスタートしたチャンネルですが、あまりに好き勝手に投稿しているのでチャンネル登録者が伸びず、ようやく最近になり、1000名のチャンネル登録者数に達する直前(992名)となっています。YouTubeチャンネルを実りあるものにしたい場合には、テーマを狭く絞り込む、顔に自信があれば顔出しをする(私はできませんが)、視聴者が望むコンテンツを作る、切り抜きなどで著名ユーチューバーの人気にあやかるなど、様々なノウハウがあると思います。私はノウハウの殆どを実行できませんでしたが、最近は、私の動画で人気があるらしい「トラベラーズノート」関連の動画を増やすこととしました。

 

 

さて、連休を家で過ごすのは、恥ずかしいと思いがちの方は、少なくないと思います。外出するお金がない、身体が疲れているなど、ネガティブな要因により、外出できないことを恥ずかしいと感じる。しかしながら家の中でも、行うことはたくさんあります。連休中を家で過ごすプランを持っている方は、堂々と、家では掃除をする、整理整頓をする、溜まっていた映画や読書を行う、ブログなどアウトプットを行うなど、家で行うイベントを、行えば良いのでしょうね。

 

まあ、部屋遊びをやりすぎると、スマートフォンに銀塩時代のオールドレンズを取り付けるような、とんでもない作業に没頭してしまうので、精神的にも経済的にも良くはありませんね・・・

*写真は、スマートフォンをBeastGrip Pro にマウントして、そこにオールドレンズのマウントアダプター、オールドレンズ、マイクとライトを取り付け、動画撮影用機材を組んだ時の写真です。何をやっているのだか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

アルミニウムで鋳造した後にフッ素樹脂がコートされたフライパンは、一大ビジネスになっていますが、そのうち鉄のフライパンに戻ると考えています。「一大ビジネス」とは、いわゆるサブスクビジネスであり、元は一生使えていた鉄のフライパンを、フッ素樹脂コートの「アルミパン」に変えることで、買い替え需要が発生しました。「アルミパン」は、最適な温度管理ができていればコーティングが剥がれず、食材がフライパンにくっつき、焦げることを予防できる素晴らしいフライパンなのですが、使っているうちに表面のフッ素コーティングが剥がれてしまい、食材がくっついてしまい、焦げる時点で、買い替えの必要が生じます。アルミパンの供給者は、この事実を承知の上でサブスクビジネスを展開していると思いますが、アルミパンを使う方々は、ある頻度で買い替えを行い、気持ちをリフレッシュしたり、購入者特典を得ることで、自尊心を満たす効果があると思われますので、結局はWin - Win のビジネスモデルだと思います。

 

さて、スノーピークの鉄製フライパンという本題に移ります。スノーピーク(snow peak)とは言わずと知れた新潟県初のアウトドアブランドで、私の解釈では、アウトドア道具界のメルセデスベンツだと考えています。2011年の東日本大震災発生後、存在は知っていたものの手出しできなかったこのラグジュアリーブランドに、私は「防災対策」という名目のもと、スノーピークのマットレス、寝袋、クッカー、カラトリー、机、椅子など、さまざまなスノーピーク製品を購入しました。スノーピークの製品は、他のメーカーの製品よりも高価でありますが、品質が素晴らしく、使っていると心地良くなります。このフライパンはスノーピークの刻印がないので、OEM製品かもしれませんが、丈夫で良い製品です。購入後10年近く、時々使う程度のフライパンでしたが、上手に油が馴染んで、焦げ付きにくい表面になっております。今回、断捨離に伴いこのフライパンを手放しました。

 

写真のフライパンは、初代モデルのようで、最近知ったこととしては、2代目モデルは、CS-021 フライパン(材質):黒皮鉄板→変更後:CS-021R スチール(耐熱シリコン加工)に仕様変更されているようです(スノーピークのウェブサイトより)。私の推測するに、この仕様変更は、鉄のフライパンを「育てる」手間を省きたい、せっかちなユーザーが増えたことだと推測します。鉄のフライパンや、鉄鍋(ダッチオーブン)などの鉄製品には、微細な凹凸構造がありますが(誤解を恐れずいうとスポンジのようなもの)、ここに油を染み込ませる初期の儀式、すなわちサラダ油などを使って屑野菜を炒める作業、を行うことで、表面の滑りを良くしたり、錆を防止できたりします。スノーピークの初期の鉄製品は、この儀式を要するものが殆どであったと記憶していますが、近年の仕様は、最初からくっつかない加工がなされていると思われます。

 

鉄のフライパンに油を馴染ませる儀式を行うと、キッチンが油ぎった状態になります。気化した油が煙となり、しっかり換気扇を回しても、油の匂いが部屋に充満します。これは家の人に好まれません。しかしながら、この儀式を行った後に、肉を焼いたり、目玉焼きを「カリカリ」に焼いたり、時にはパスタを茹でてそのままソースと絡めたりしているうちに、鉄のフライパンには天然の油コートが積層し、なんともいえぬ艶が出るのです。しかし、フライパンを使用後に、洗剤を使って洗うのは厳禁です。せっかく作った油膜を破壊してしまうからです。なので鉄のフライパンは油を使い、タワシなどでゴシゴシ洗って表面の汚れを落とす必要があります。油を補充するために、洗浄後に火に焚べて、水分を飛ばし切った後に油を入れて、クッキングタオルなどで油を塗ることもあります。この行為でも、油の煙は発生します。「アルミパン」に慣れた方からは、これら行為は全て忌避する内容なので、鉄のフライパンの使用には、戸惑いを持つかもしれませんね。子どもの頃から禁止された全ての行為を、大人になって行うような感じでしょうか。しかし鉄のフライパンを維持するための数々の儀式を行うと、フライパンはほぼ一生使える道具に変わります。

 

私がスノーピークと出会った時は、キャンプは比較的ガチ勢が行なっていたイベントという認識だったので、付近のキャンプ場も比較的空いていたと思います。その後、2013年に富士山が世界文化遺産に登録され、2015年に登場した「ゆるキャン△」により瞬く間にキャンプが女子などに広がり、スノーピークは「アウトドア業界のルイヴィトン」に昇華した印象を得ました。もともとスノーピークは、鍛造して作ったテント用のペグを売りにしていた、ヘビーデューティーなアウトドアブランドというイメージを持っていたのですが、あれよあれよという間に、おしゃれなキャンプを行うためのカラフルな椅子や、衣類やザック類など、日常でも使えるアイテムが増え、製品群の裾野が一挙に広がりました。この流れに沿うように、初代社長の娘さんが社長に就任し、大きな企業イメージ変革の時期に差し掛かるかと思いましたが、娘さん社長の不倫騒動によりまた、初代社長さんが陣頭指揮にあたることになったようです。

 

スノーピークの鉄製フライパンは、最近私が知ることとなった健康の概念、「四毒の排除」という思想に触れたこともあり、また、最近私は、パスタ類やラーメン類から、そば類への食を好むようになったことから、フライパンを使わなくなったため、手放すこととしました。パスタ、ラーメンともに、このフライパンで麺を茹でて、ソースや汁を絡めることも行える、便利な道具でした。特に乾麺は折らずに茹でることができるので、フライパンで麺を茹でるのは便利なノウハウです。しかし、そば類を茹でるには適切ではありません。このため私は、スノーピークのアルミ製クッカーを使って、そばを茹でています。

 

 

話は飛びますが、災害対策としてクッカーを購入される際には、チタン製よりもアルミニウム製が良いと思います。また個人的にはステンレス製よりもアルミニウム製が良いと思います。重量と強度、熱伝導率、価格のバランスが取れているものは、アルミニウム製が一番と思っているからです。この際のクッカーは、焼き料理には使わず、茹で料理オンリーで使用しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

アラフィフの私は、一人暮らしの親と離れて暮らしていますが、異変を訴えられると、親のところに駆けつけます。先日も病院に急遽行くこととなったとのことで、私の自宅から病院まで、新幹線とJR、私鉄を乗り継ぎ行ってきました。

 

この病院は、いつ訪問していても異様な活気(?)に溢れており、人がひっきりなしに出入りしています。職員さんや看護師さんはキビキビと動き回り、有機的な同期を正確に取りながら、多くの患者さん、おぼ高齢者の方々に対応されています。医者の方は診察室におり、ひっきりなしに患者さんをインターホンで呼んでいます。院内は、コロナ後でも、マスク着用が義務付けられています。

 

うちの親は、抗がん剤治療を生き延びましたが、リウマチに苦しんでいるとのこと。最近、夜寝られないということで、アポイントなしの患者として、かかりつけの病院に訪問しました。診察室に私も入りましたが、疲れた様子のお医者さんが問診を始めました。うちの親は、今回の症状とは別に、今飲んでいる薬で胃の調子が悪いこと、急に頭が真っ白になる旨の話をしており、お医者様を混乱させていました。

 

この日は、連休に備えてリウマチ対策の塗り薬を処方してもらうための訪問でしたが、この訴えをもとに、胃カメラの予約(後日)と、脳外科の予約(本日)が追加となりました。脳外科ではCTスキャンを撮影後問診され、異常なかったとのこと。急に頭の中が真っ白になることは、抗がん剤治療の副作用としてあり得るとのコメントがありました。

 

無事に会計を終えたのは、病院に来て2時間後くらいでしたが、今日はとても早かったとのことです。その間、入院中にお世話になった看護師さんや、薬剤師さんと会話を交わしていました。病院は、良心で経営されている、高齢者コミュニティーだと思いました。

 

私はなぜか、病院に通うのが嫌いです。自分の病気等で通院するのは、年に1度あるか無いかです。病院に行くほぼ全ての理由は風邪を引いた時で、それでも最近は、寝て治す生活習慣にて、殆ど病院に行っていません。なお、お注射も嫌いです。

 

病院内を観察すると、病院では高齢者の方々が、丁寧に扱ってくれて、会話してくれる場所だというのに気づきます。うちの親は一人暮らしが長くなり、地域の交流関係も少なくなった結果、病院が一大コミュニティーとなっている様子です。ふた昔前は、公民館で小学生が参加するイベントに、おじいちゃんやおばあちゃんが講師のような立場で招かれ、子どもと交流していた記憶があります。おじいちゃんやおばあちゃんが、孫の手を引きながら地域を散歩する光景も、かなり見かけていた気がします。

 

話は変わり、病院で処方される薬は、サブスクリプションのビジネスだと思いました。よく聞く話として、投薬の副作用で胃を悪くすると胃薬を処方されるなど。「血液サラサラ」なる、私にとっては恐ろしい印象の薬を飲むと、出血時に血が止まらなくなるとの話(実体験を聞きました)。抗がん剤治療においては、4種類程度の薬を順に投与するなど。これらは死ぬまで投薬されるようにも思えます。私も投薬の経験があり、あまり良い印象がないことから、できるだけお薬は飲みたくありません(みなさんも同じでしょうが)。

 

投薬は、患者さんを救うための、病院の良心として行われている行為と思いますが、私は今回の経験にて、未病のための検討を行いたいと思いました。最近の私のブログでよく出す、吉野敏明さんが提唱する「四毒追放」についての食生活を検討し、どこまで健康体を達成できるか、この経験をもとに、うちの親にも何か実践できる食事療法はないか検討したいと思います。うちの親も健康法にはうるさいので、釈迦に説法扱いを受けるのでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「ティファニーで朝食を」という古典映画を、かなり前に観た記憶が有ります。「オードリー」と言えば、今ではお笑いコンビを指すのでしょうが、昭和の時代は、世紀の女優、オードリーヘップバーンを指していました。オードリー扮する、余り豊かな出身でない女性は、宝石店のティファニーのことを、ダイナーかレストランと思っていた旨のエピソードだったと記憶しています。


今日は、急用で朝から電車を乗り継ぎ、病院近くのマクドナルドに来ています。私は関東圏の出身ですが、関西に影響を受ける環境に就職したので、何故かマクドナルドの事をマクドと称します。集合場所として決められた場所につき、昨今のブログ投稿で「四毒」を意識している私は、余り乗り気出なかったのですが、ワンコインで購入出来る朝食セットに釣られ、モーニングセットを注文しました。


最近はどこでも、モバイルオーダーを積極的に行っており、このマクドも店を入って直ぐに、オーダー端末が有りましたが、モバイルSuicaの残高が今ひとつだったので、直接オーダーしました。店員さんは幸いにしてロボットではなく人間でした。マクドに至る電車内で、人工知能に関する悲観的な書籍を読んでいたので、頭の中が、人工知能の支配する世界で満たされていました。私の発声が悪いのか、少しだけ多くオーダーに時間がかかったものの、オーダーした後は、テーブルについて直ぐに、モーニングセットが届きました。


最近何故か、自分の食事を撮影するのが面倒になってきたので、ブログ掲載用にはほぼ食べ終わった後のコーヒーのみ撮影しました。マクドのコーヒーは、昔は美味しく頂きましたが、セブンイレブンがドリップコーヒーを提供してからは、コレジャナイ感が強くなり、余り飲みませんでした。


コーヒーは、私の眠気を覚ましてくれて、少しは頭が回るようになりました。砂糖とミルクを入れたコーヒーは、労働者階級向けのドリンク剤だというのは正しいです。私もバリバリのサラリーマンだった時は、アルコールと疲労で働かない脳を、コーヒーで叩き起こしていました。今はバリバリで無いサラリーマンなので、お茶で目覚まししていますが、仕事で頭を覚醒させたい時には、コーヒーを飲みます。


本当は、アルコールやコーヒーをやめて、瞑想で頭をフル回転させたいのですが、敢えて毒を盛ることで、人間としての生きている感覚を持ちたいのでしょうか。人間が脳だけの存在になっても、二日酔いの感覚は、簡単には再現できないでしょう。二日酔いの舌に、コーヒーがザラザラと入りこむ、舌の感覚も。



吉野敏明先生の動画を見て、うちの親が一種のガンに罹患した後の、治療過程や食生活の様子を聞いたのちに、動画に出てきた梅宮アンナさんのようなマインドを持ちながら、日々の生活をおこなっていたのだなと思いました。と同時に、さまざまな知識も重要ですが、身体が発するサインをしっかりと汲み取って、日々の行動や食事に生かす必要が必要とも感じました。

 

かくいう私も、健康診断には殆ど引っかからない健康体ですが、不健康な生活を送っていると自覚しています。「健康診断には殆ど引っかからない」というのは、高血圧と高腹囲で引っかかることがあり、いずれも私は基準値に疑念を持っています。前者は基準値が意図的に引き下がられている疑念、後者はBMIのように身長とリンクして腹囲の上限を設定していないことに関する疑念です。

 

不健康な生活とは食生活であり、私の身体のサインに基づき、朝食を食べず、昼食を玄米おにぎり1個、間食と夕食は制限を設けず食事を行い、アルコールも(17時以降に)多く飲んでいます。昔は、休日の昼間からビールを飲むことが楽しかったですが、身体が気だるくなるので今は原則17時以降、望ましくは日没以降にビールを飲みます。

 

吉野敏明先生が説く四毒とは、小麦粉、植物性脂、乳製品、甘いものですが、夕食どきに摂取するものや、飲み物には、結構四毒が含まれています。これは、急激に変えることはできないと考えており、先日実行した「脱ラーメン」と同様に、少しずつ減らしていこうと考えています。

 

そんな中でも、私が脱することができないことは「サイゼリヤ」での食事だと思います。サイゼリヤこそ、パスタやピザ、食後のティラミスを食べた時点で、パーフェクトな四毒摂取ができますが、サイゼリヤの食事が美味しく、新鮮なサラダを食べることができるので、四毒追放生活に以降したとしても、サイゼリヤについては特例を設けることでしょう。

 

サイゼリヤが何故美味しいかは、出版されている数々の本を読むとわかると思います。自社農園と大量仕入れがポイントだと思いますが、そのほかに哲学がいろいろこもっていると思いました。

 

これら食生活の考えは、5年くらい前から変えてきましたので、後10年くらいしたら、私の体調に何らかの変化が起こり、私の食生活の、答え合わせが出ることと思います。その前に、もう少し良い食生活を過ごせたらなと思いました。

 

 

 

 

いわゆるGAFAMと呼ばれる巨大テック企業の中で、比較的良心的な企業はGoogleさんだと、私は考えています。GAFAMは何かにつけ、「おすすめ」を私の意思と関係なく提供してくれるのですが、その中でGoogleさんがYouTube動画で提案される「おすすめ動画」には、私の人生を良くしてくれる動画を、良いタイミングで提案することが多くなりました。今朝は、以前はよく見ていましたが、政治活動を始めてから余り見なくなった方、吉野敏明先生のYouTube動画をYouTubeのおすすめに何故か挙がっており、それも「四毒」に関する動画ということで、興味深く拝見しました。

 

吉野敏明先生は医者で、おちゃらけたキャラクターの動画をよく見ていた時のイメージが強かったのですが、本当はかなりストイックな医者ということがわかり、このかたの言うことは正しいと考えています。特に「熱い風呂に入る」と言うアドバイスは私も実践しており、昨年からは、夏でも毎日、浴槽に湯を張ってお風呂に入ることを続けました。もちろん水風呂や、ぬるい湯ではありません。熱い湯に入ることのメリット(個人の感想)は、体内の毒が尿になって排出される感覚で、湯上がりには必ず、トイレに行きたくなります。老廃物は、汗で流された後に、尿でも排出される感覚です。

 

私は先月より「ラーメンを食べない」生活を実践していますが、以前は週に1回は確実にラーメンを食べており、外食の五割以上はラーメンだったのですが、ほぼ食べていません。「ほぼ」と言うのは過去1ヶ月間で1度だけ、冷蔵庫の奥に眠っていた、賞味期限切れのラーメンの麺だけを茹でて食べました。この1ヶ月を通して、食事制限はマインドを変えれば簡単に行えるものだと思いました。

 

さて、吉野先生が説く「四毒」とは、小麦粉(グルテン)、植物油、乳製品、甘いものを指すそうです(Grok 3による)。グルテンフリーについては、Googleマップの飲食店レビューを書くときによく見かけた表記で、この店はグルテンフリーの食事を提供するかと言う設問がありました。上記の「四毒」から連想されることは、イタリア料理には「四毒」が入る可能性が高く、例えばピザには、生地に小麦粉、トッピングにチーズ、ごくたまに照り焼きチキンのトッピング、味付けなどにオリーブオイルなど。なので、「四毒」を忌避すべき人はまず「日本人」が対象となると推測されます。

 

このため、日本人が古くから摂取してきた食材を摂る食習慣に「戻す」こと、例えば海水を天日干しするなどして作った塩、米、海藻など、太古から日本で採れた食材を食べるのが、四毒排除の第一歩になろうかと思いました。私がラーメンを食べなくなってからは、駅の立ち食い蕎麦は、食べました。蕎麦も、つなぎに小麦が使われていたり、汁に砂糖が入っている味わいなのですが、ラーメンと比較すると、四毒排除に近づくかもしれません。しかし吉野先生が説く四毒排除は、「イチゼロ」の世界で、少しでもとるか、全くとらないかの違いが重要とのことです。吉野先生は、命の危険がある患者さんを手当する医者のため、厳しい食事制限により命を救っているようです。

 

私は、基本的に好き嫌いはなく、家で作ってもらえる食事は、残さず食べます。この原則は結婚してから変わりません。外食や飲み会で提供された食材も、よほどお腹がいっぱいの時以外は、残さず食べます。この信条(?)は、生産者に対するリスペクトというよりも、私の貧乏性から来ているのかもしれません。基本的に、食事の内容に注文をつけることはないので、完全に四毒を断つことはできませんが、私はこれでよかろうと思っています。

 

私も、50を過ぎてからは身体に無理をさせられないことを実感しておりますが、逆に、身体が拒絶するような食生活はしないような動機づけが、無意識に行われているような気がします。ラーメンを食べないこと、四毒をとらない方向に食生活を進めること、一日一食に近づく食生活にシフトしていくことなど、身体から発せられる何かを感じ取りながら、そして何故か的確なタイミングで情報提供されるYouTube動画を参考にしながら、健康的な生活を送りたいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに2009年、今から16年前に購入したMacBook Proを引っ張り出しました。家に溜まっている音楽CDを取り込んで、断捨離するための作業を、このノートPCで行うためです。このPCはスティーブ・ジョブス氏が亡くなる前の製品で有り、Apple社が「革新的」な製品を世に出していた時期に、このアルミニウム筐体のPCをとても美しいと思い、使うたびに感激していました。

 

キーボードのデザインはUS仕様です。日本語入力の切り替え方法に癖がありますが、圧倒的に美しいデザインです。Macのキーボードデザインは、世代を超えてほぼ変わらない(キーの押し加減が少し変わりますが)ので、これも好きです。

 

2000年代前半から後半までの時期は、Appleにとって「革新」の時期だったと思います。iPhoneやiPadをスティーブ・ジョブスが紹介して、ファンが熱狂するプレゼンテーションや、カラフルなMacがおしゃれな音楽と共にコマーシャルフィルムに踊っていたり、パッケージデザインがシンプルでわかりやすく、これもオシャレだったり、Appleの製品を購入し、開封し、使用するまでのイベントが、とてもワクワクする体験であった記憶が有ります。

 

オシャレといえば、 MacBookが映画の小物として使われていた時期が多々ありました。メグライアン主演の「ユーガットメール」でMacが登場した記憶があるのですが、記憶は定かではありません。

 

 

 

 

 

約2年前、iPhoneをApple Storeの店舗で購入する機会がありました。フレンドリーな店員さんがにこやかに対応していただき、iPhoneの「開封の儀」を演出してくれましたが、私の薄い反応を見て、何かを感じたのかもしれません。スティーブ・ジョブス亡き後、心がときめくApple製品とは、出会えていない気がします。そしてMacBookの天板は、いつの間にか光らなくなりました。技術的には、バックライトの光源が冷陰極管からLEDに変わったタイミングだと思いますが、画面を美しく仕上げることにより、天板を光らせる機能を削除しました。

 

MacのPCは、デザインだけでなく、ソフトウェアの使い心地もよかったです。何といっても、オフィスソフト、画像管理ソフト、音楽制作ソフト、動画編集ソフトなどが、最初からインストールされている点が良いです。これらは大きく仕様が変更されないので、これらソフトで作成したファイルが、比較的長く保管し続けることができるのです。20年前に撮影した写真が、簡単に引っ張り出せるのも、Macを使い続けることの恩恵です。

2004年に撮影した、子どもの写真です。今ではクラウドに写真を保存するのが通例なのかもしれませんが、ローカルフォルダーに保管しない制限は、デジタルデータを一度に消失するリスクがあると考えています。以前、Macを買い替えるたびにデータをごっそり移動させていましたが、新しい機種は必ず、ストレージ容量が増えていたので、写真やドキュメントなどを移管することに障害がありませんでした。クラウドストレージのリスクは、ストレージサービスの永続性であり、例えばエバノートやドロップボックスのサービスは、いつの間にか仕様変更を行なっていたり、いつ何時、サービスが終了するかわからないのがリスクだと思います。

 

さておき、Appleのデザインは、ハードウェア、ソフトウェアともに洗練されておりましたが、近年は輝きを失っている印象です。私がおじいちゃんになったとき、孫に「昔のMacBookは天板が光っていた」ことを伝えても、何の反応も返ってこないのかもしれません(今でもそうかもしれませんが)。人生を重ねていくと、企業、製品などの「盛者必衰」を目の当たりにする機会が増えるので、世の中の流行りを、距離を置いて眺めることができるようになったのは、少しの進歩かなと思いました。なお、私はニーサなるお金の運用は行なっていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、セブンイレブンの、プライベートブランド製のケチャップを開封しましたが、中のアルミ箔を外し、キャップを閉め、使用し始めたところで、ケチャップの中身を噴出させてしまいました。私の不注意が原因であるのですが、結構誰でも犯しやすい現象かなと思いました。

 

ケチャップを袋から開けた時の、微かな違和感は、容器のコンパクトさと柔らかさでした。キャップのスクリューを開け、中にあるアルミ箔を剥がしたところ、ケチャップの中身が容器ギリギリまで詰まっていました。その後キャップのスクリューを閉め、不意に陽気の胴体を持ったところ、ケチャップの中身が噴出しました。翌朝このケチャップの製造元を見ると、カゴメでした。カゴメのケチャップは普段よく使っているのでわかるのですが、自社で作っている製品と、セブンイレブン向けの製品は、仕様を変えて出荷しているのだと思いました。

 

ここからは私の邪推となります。仕様変更は、セブンイレブンからの要求に基づくもので、商品の輸送効率を極限まで上げること、包装資材費を下げることを目的とした、容器のコンパクト化を行なったのではないかと思いました。最近は便利な言葉が流通しており、これらは輸送にかかるCO2や原材料で使用する石油を減らす為だという「サステナブル」な名目で実施していると思います。

 

しかしながら、セブンイレブンのプライベートブランド商品は、品質優先で設計しているものも多くあります。私はよく、セブンイレブンのごま油を購入するのですが、油を使い終わった後、キャップの分別を行うときに、セブンイレブンのごま油は、簡単にキャップが取れるのです。他のごま油は、キャップの蓋のみ切れてしまうことがあり、少しイラッとすることがあります。

 

この手のエンジニアリングは、「VA」(バリュー・アナリシス:価値の分析)という古典的な解析手法を用いて、原価の低減を行なっているのでしょうが、大半のケースは、使い方を間違っていると思います。もちろん、セブンイレブンのような大量仕入れを行う組織にとっては、1円未満の原価低減の影響は、ものすごいテコが効いて効果を表すのでしょうが、やり過ぎると顧客の不評を買うというケースは、「弁当の底上げ問題」のように、炎上した事例もありました。

 

ケチャップのケースも、底上げ弁当のケースも、優秀な社員さんが、自組織の利益、あるいは自らの評価を上げるために、真摯に考え実行してきたことなのでしょうが、それら商品を消費する段階での検証が欠けてしまうと、とんでもない商品を生み出してしまうと思います。これを書いていて思い出したのは、私が昔住んでいた、某国のアパートのトイレです。トイレットペーパーをセットするホルダーが、壁に埋められているデザインのトイレを使っていたのですが、新しいトイレットペーパーをセットするだけの大きさがなく、ある程度使ってからでないと、ホルダーにセットできないのでした。私の邪推では、この某国はイスラム教徒が大半の国で、お尻を左手で拭う習慣があることから、トイレットペーパーを使うための設計思想が欠けていたのかなと、そのとき思いました。

 

セブンイレブンの弁当は、私は好きです。かつては、イトーヨーカ堂の社長さんが自ら試食をしてダメ出ししていたエピソードを見た記憶があります。底上げ弁当が炎上したのは、その社長さんが退いた後だったと思います。そこで表題の内容となるのですが、現場・現物・現実に触れないと良い製品、サービスを造れません。

 

ノースフェイス、パタゴニアの創業者が共演する映画を映画を観た記憶が有ります。彼らはロッククライミング用の釘(何と言うのか忘れました)を自分で改良して制作するところから始まって、今では巨大な衣料メーカー(?)になっていますが、アウトドアメーカーの発祥は、自分で使うものを自分で改良して製造するところから、始まっている所が多いです。「モンベル」しかり、「スノーピーク」しかり。

 

製造業、サービス業の傾向としてよくあるのが、商品やサービスを設計・製造するものが、その対象を理解していないこと。企業イメージで入社した、優秀な新人に多いのかもしれませんが、やはり泥臭くても、現場・現物・現実に触れないと良い製品、サービスを造れません。

 

生成AIは、視覚や聴覚を凌駕して、そのうち味覚、嗅覚、触覚までも、精緻に再現してしまう時代が、すぐに来るかもしれません。しかし私は、現場・現物・現実に触れた経験を持つ人は、生成AIが作ったフェイクを見抜く能力は高いと思っています。そのうち、映画「マトリックス」のように、我々はどっぷりと仮想現実の世界にひたり、現実から遮断される日が来るかもしれませんので、そうなったら私は、とても「生きづらい」人生を送るのかなと思いました。

 

旅行は、バーチャルではなく、実際に行くことに価値があると思います。もし旅行されたら、現地を全身の感覚を使って味わいましょう。スマートフォンを見ながら、スマートフォンで写真を撮りながら旅行するのではなく。

 

 

 

 

 

ミニマリストは、モノを少なく持つことで、豊かな生活を実現する人々を総称していると思いますが、この方々も、大量消費社会のターゲットになっていると思いました。


私の中の、真のミニマリストは、ウルトラライトハイキングに関する書籍に出てきたおばさんで、アメリカのロングトレイルを、ズタ袋、毛布、ポンチョ等、最小限の装備で歩ききったというエピソードを読み、この人こそ、真のミニマリストだと思いました。


ミニマリスト生活を実現するには、結構お金がかかると思います。ミニマリストの部屋の中を紹介する動画を見ると、家電は新しく、最新鋭のものが置かれています。ミニマルな生活に至るまでに、相当な検討と、家電の入れ替えを行ってきたなど、浪費家の私はすぐに気づきます。


高城剛さんもミニマリストと呼んで良いかと思いますが氏のモノ探索は半端なく、1つの髭剃りを決めるために、恐らく50個は検討したものと推定します。


私も同様な経験があり、動画撮影用の機材を探し求め、最初はiPhone 11を使用していたのですが、手ブレが激しいのでGoPro を購入し、画質や望遠にこだわりミラーレスカメラを購入し、ズーミングやフォーカシングをこだわりビデオカメラを購入し、コンパクトな携帯性にこだわりiPhone 15 Pro を購入してきた経緯があります。ネズミの嫁入りみたいなストーリーですが、本当に無駄な検討をしてきました。



なので私は、モノに関する失敗談や、モノの見極め方についてのノウハウや、エッセイをアメブロに投稿することで、皆さんのお役に立てればと考えていますし、あわよくば広告収入を得られればとも思っています。

これらの体験を踏まえ、ミニマルな生活を送る際には、出来るだけ多くの不要物を処分していく、いわゆる断捨離を進めるのがセオリーだと思いますが、有る段階まで進んだら、新規にモノを購入しなくても、良い仕組みを構築したほうが良いと思っています。この際、ミニマイズした生活を記録するのは、自分向けのみで、余り人々に公開しなくても、良いのでは無いかと思います。人に見せだしたら、見栄を張りたくなりますし。

個人的には、下着類は洗濯が追従出来る分量が必要と思いますが、残りは、出来るだけ同じデザイン、或いは同じ機能を持つモノを2つずつ所有する事を心がけています。私はファッションには疎いので、同じデザインの服を毎日着ていても気になりません。トラッドを基調とした服を選ぶので、ごまかせるのです。

同じ機能を持ったモノ、例えばスマートフォンは2台持ちして、壊れた時のバックアップにしています。鞄はかなりコダワリましたが、今は極力減らしています。最近は、海外にも行かなくなったので、リモワのキャビントロリー、ゼロハリバートンのスーツケースを手放しました。ゼロハリバートンは30年近く保有していたのですが、手放すにあたり、感情的になることは少なかったてす。

なお、モノは出来るだけ、長く持ったほうが良いと思います。自動車はトヨタのヴィッツを19年乗っています。ディーラーに整備をお任せしているのですが、整備士の方々の技術力が高いせいか、不具合は有りません。

スマートフォンやPCも、狂ったように最新機種を漁ってきましたが、大量消費のきっかけを作るデバイスは、今後壊れたら買う事にしました。バックアップを持ったうえで。

また、子どもが巣立つたびに、モノを減らしていこうかと考えています。前日も、子どもがため込んだ漫画を、段ボール1箱分引き取って貰いました。

不要物も大量に引き取って貰っていますが、引き取り価格は大体、購入価格の10分の1以外、ブランド品だと20分の1、古くて汚れたものだと100分の1になることもあり、ブランド品の、モノとしての価値は儚い事を感じます。この体験も、新しいモノを買うことの抑止力になろうかと思います。

こうして私も、ミニマリストになろうかなと思います。