我が家に赤ちゃんが産まれた | 大野純司のブログ

我が家に赤ちゃんが産まれた

夫婦ともに53歳の家庭に赤ちゃんが産まれるわけはありません。3人の子供達もまだ独身です。

実は、ある友人から、彼の知り合いの女性がハワイに1年ほど留学するので、アパートを見つけるまで、一ヶ月ほど泊めてあげて欲しいと言う依頼がありました。引き受けて、その方が来てから気がついたのですが、彼女は妊娠していたのです。相手の男性は、妊娠したことを知って、姿をくらましたそうです。この若いお母さんは、日本で産むことが恥ずかしくて、ハワイに留学して産むことを決心したのです。

ずっとここに住んでもいいよということになって、予定日を待っていたのですが、一ヶ月ほど早く破水して、私が病院に連れて行きました。家内が一晩中付き添ったのですが、赤ちゃんがまだ小さいこともあって、すぐに生まれました。私も、ずいぶん久しぶりに赤ちゃんを抱きました。よく寝ますし、おとなしくてあまり泣きません。自分にお父さんがいないことなど、まだ知るすべもありません。

この子の父親は、多分、自分がいなくなったら彼女はこの子を下ろすだろうと思っていたのでしょう。確かに、中絶が当たり前のような世の中ですが、女性にとって、それはそう簡単にできる決断ではないでしょう。そのような関係を持った彼女にも非はありますが、彼の軽はずみな行動が、この母と子の一生を変えたのです。

こういうことは、よくあることですし、この男性も、多分、そんなに極悪非道な人間ではないでしょう。しかし、私たちの小さな愛や気配りの欠如が、人生を狂わせてしまいます。私も例外ではありません。私がまだ56歳の頃、父が母に、こんな家庭環境でよくこんないい子に育ったものだと言ったのを、いまだに覚えています。そのときは何のことを言っていたのか分からなかったのですが、父は私がまだ赤ちゃんのときに離婚し、私の母は、実の母ではなかったのです。私は、父の過去を根掘り葉掘り聞くようなことはしませんが、この離婚は、私が赤ちゃんのときに生き別れになった私の兄に大きな影響を与えたようです。彼は、私が全く覚えていない私の実の母に引き取られたのですが、まだ40代の若さで、お酒の飲みすぎで急性肝炎になって家で死んでいたのを、近所の人に発見されたそうです。私が母に引き取られていたら、私も同じような道を歩んだかもしれません。

私は、加害者でもあります。家内が次男を妊娠していたとき、私は仕事が非常に忙しい時期でした。当時、私たちは函館に住んでいましたが、家内はアメリカ人で、日本語が片言しか話せませんでした。家内は、一人で産婦人科に行って、医者に、赤ちゃんが大きいと言われて喜んでいました。後で分かったことですが、医者は、赤ちゃんが大きくなってないと言っていたのでした。家内はアメリカ人の知り合いも少なく、私の仕事が忙しくて、寂しい思いをしていました。ノイローゼ気味になった家内は、妊娠中毒になり、それが原因で、赤ちゃんが大きくなっていなかったのです。

クリスマスの晩、教会のキャンドル・ライト・サービスで、家内はわずかな陣痛を感じました。まだ予定日より一ヶ月も早いし、大した痛みでもなかったので、そのまま礼拝に出ました。翌日、病院に行ったのですが、陣痛が始まると、赤ちゃんの心拍をモニターすることができなくなりました。それが何を意味するのか、医者は説明してくれませんでしたが、今すぐ出さなければいけないと言われて、帝王切開しました。生まれてきた赤ちゃんは、わずかに1,350グラム、同じ一ヶ月早く今月我が家で生まれた赤ちゃんの、約半分しかありませんでした。小さな手に刺された点滴の針が、とても痛々しく見えました。

この子は、未だに他の二人の兄弟より体が一回り小さく、軽い注意力不足障害で、毎日薬を飲んでいます。私がちゃんと家内への気配りをしていたら、こんなことにはならなかったのではないかと、いつも思わされます。家内はそんなことは関係ないと言ってくれますが、私にはそう思えて仕方がありません。

西洋は罪の社会、日本は恥の社会だとよく言われます。聖書が、すべての人間は罪人だと教えていると言っても、日本人にはピンと来ません。日本人には、罪=犯罪と言うイメージが強いのでしょう。しかし、私たちは、みんな、傷つけたり、傷つけられたりして、生きています。私たちは、みな、赦し、赦さなければならないのです。