「富士の樹海へ」第三話 | My name is Benny

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しがない暇潰し

ナカタは新宿駅に着いた。
七時前か。
ちょっと前の「いつも」なら、まだ寝ている時間だった。
相変わらず人の行き来が多いが、ナカタはそれほど厭な気持ちにならなかった。
ボケッと眺めていられる。
今度のは薬が効いてるんだと思った。
そういえばまだ学生の時分に友人ら数人と酒を飲みに行き、ナカタはもうその頃には通っていなかった精神科から処方された薬を切り札にと財布に潜ませていて、それを酒で煽ってしまい、とんでもなく突き抜けたテンションになった事を思い出した。
あれがラリるって事なんだろうな。
勢い余って池袋の路上で叫んだ気がする。
何を叫んでたのか忘れたがね。
人多いJRの乗り換えのフロアーで立ち止まり、そんな一昔前の思い出に浸った。
やばい、やばい。
マジで今何にも見えてなかったよ。
ナカタは仕切り直すように思った。
緊張が体から消え去り、フワフワしてる。
それがまた心地よかった。
とりあえず時間があるにはあるのよね。
先手うって会社に欠勤の連絡しとかないとな。
シラフだと厭わしい事がスラスラ出来る。
ナカタは携帯で上長にメールを打った。
体調不良でお休みいただきます、と。
もういいだろ、こんなもんで。
今日出向いたとこで、大した仕事もないんだしよ。
普段ならいちいち立ち止まって考えてしまうような事がスラスラと片付く。
ナカタはそんな自分が頼もしく見えた。
生まれて初めての事かも知れなかった。
肝心なとこじゃそれもなりを潜めてるんだからよ、困ったもんだよな。
いつもより重たい鞄をだらしなく肩に担ぐと、煙草が吸いたかったんで、一度改札の出口へと向かった。
南東口を目指す。
そこから階段を下りたところにある広場の一画が喫煙所だった。
昔は平気でその辺で吸ってたけどな。
肩身が狭くなったもんだ。


喫煙所に来ると、結構な人数がいた。
たて灰皿から消えてない煙草の煙が流れてくる。
ナカタはそれが物凄く香ばしい匂いに思えた。
流れてくる紫煙を、鼻から思いきり吸い込んだ。
昔、煙草のCMで
「スムース」
とかいう語呂を叫んでたおっさんがいたけど、あの気持ちが何となくわかった。
CMは流行らなかったがね。
ナカタは喫煙所の隅に位置をとり、ポケットから煙草を取り出すと、早速一本に火をつけた。
ああ、旨い。
煙草のつきあわせでと、傍にある自販機で缶コーヒーを買った。
ブラックを選んだ。
そういえばブラックを飲むようになって結構経つな。
糖分を控えるようになったから痩せたのかも知れないと、閃いたかのように、それが答えだかも分からないのに、ナカタは勝手に納得を持ち寄りながら思った。
あっさりと一本が吸い終わる。
吸い足りねぇ。
ナカタはまたすぐにもう一本火をつけた。
煙をいつもより深く吸い込みながら、携帯で目的地へのルートを調べる。
基本的に出掛けた事がねぇし、地理が全然分からねぇよ。
行楽で出向くんでもねぇのに、笑っちゃうよな。
骨を埋めるとこへの行き方を検索して皮肉を思いながら、ナカタはそれが楽しかった。
そう感じるのは薬のせいだろうけど。
薬が切れた時が怖い。
だから精神科にかかると、大抵の連中は薬に依存しちまうんだろうな。
ナカタは鳴沢村に行きたかった。
樹海が臨む村だ。
車があれば早いが、持ってないもんでしょうがねぇし。
中央線で高尾まで出たら、乗り換えると大月って駅に出られるのがわかった。
じゃあ向かうかな。
煙草を灰皿に押しやると、ナカタはまたJRの改札に戻った。


新宿へ向かう人間の方が多いが、それでも中央線のホームは混んでいた。
以前大阪に出向いた時は、朝も夜も電車は座れるぐらいに空いていた。
東京は接している三県からの人間も相当数在るし、それだけにこんな有り様なんだろうな。
まぁ、いずれにしたってこんなとこからはさっさと抜け出そう。
ナカタはちょうど進入してきた高尾行きの快速電車に乗り込んだ。
新宿で大分人が降りたが、やっぱり座れねぇか。
やれやれだね。
ナカタはまたドア際に立った。
乗り込みが続いて、そこそここみ合う。
だが高尾まで行く人間はそんなにいねぇだろ。
片手はポケットに仕舞い、余った手で携帯をいじる。
2時間後には山梨県か。
意外に近いもんだと思った。
もっと時間がかかると思っていた。
早く着いたら困る事でもあるのか?
不意に自問が生まれる。
止めてくれ。
また腹がうずき出すから。
ストレスの負荷は腹にくる。
もうあれが厭なんだ。
歳を重ねりゃ消えてくもんだと思ってたけど、次から次へと、ずっと忌々しく祟ってきやがる。
そんなんだから身動きがとれなくなるんじゃねぇか。
感情が覚束ない。
さっきまでやけにリラックスしていたと思えば、急に怒りが沸き立ってきた。
お気楽がさらわれたせいだ。
楽園がおかされたのと同意だった。
もう薬が切れたのかよ。
ナカタは舌打ちした。
鞄からトレドミンを取り出す。
さっきよりちょっと大きい。
犬歯に舌をあてて、唾液の分泌を待つ。
それから錠剤をそれと一緒に飲み込んだ。
電車が走り出した。
最期なんだから邪魔すんじゃねぇよ。
ナカタはそう思った。


※上記一切は創作につきフィクションです。