もうすでに既報なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、打撃立ち技格闘技 K-1の初代グランプリ王者であるブランコ・シカティックさんが亡くなったそうです。

 

1993年 フジテレビの深夜番組枠 LIVE UFOの企画のうちの一つとして生まれたK-1 GRAND PRIX(グランプリ)。

 

大会主催の空手団体 正道会館所属の佐竹雅昭、オランダの怪童としてその名をはせていたピーター・アーツ、20世紀最強のキックボクサーとして名高かったモーリス・スミス、黄金の左ミドルの異名を取ったムエタイ中量級の雄チャンプア・ゲッソンリットなど、強豪の立ち技格闘家をそろえて開催されました。

 

その記念すべき第1回大会で優勝したのが、当時まったく無名のブランコ・シカティックさん。

 

190cmの長身、伸びる右ストレートを武器にトーナメントを勝ち上がり、見事初代王者に輝きました。

サバットという、韓国のテコンドーに似たフランスの格闘技もベースにしていて、ハイキックや後ろ回し蹴りなどもこなす器用さもありました。

 

参戦当時、34歳という当時としては高齢だったこともあり、現役生活は短かったですが一撃KO、予想外の番狂わせといったのちにK-1の醍醐味となるスペクタクル性を体現した選手でした。

 

のちに総合格闘技PRIDEにも参戦し、同じキック出身のラルフ・ホワイトや霊長類最強の異名を誇ったマーク・ケアーとも対戦しました。

 

 

ピーター・アーツやロイド・ヴァン・ダム、ノブ・ハヤシやメルヴィン・マヌーフも育てたトム・ハーリック主宰のドージョー・チャクリキ出身。

のちに『チャクリキ』の名を冠した自身のジム『チャクリキ・タイガージム』を設立し、のちに世界最強の格闘家の一人となる、ミルコ・タイガー(のちのミルコ・クロコップ)を育てました。

 

 

現役引退後は母国クロアチアで民間警備会社『タイガー・シカティック』を設立し、働いていたようです。

 

 

現体制の新生K-1の初代ヘビー級トーナメントにも、弟子のアントニオ・プラチバットが出場し、見事優勝しました。

試合後にリングに上がり、少しふっくらした印象を持っていたのですが。。。

 

 

死因は肺血栓症の悪化。

敗血症も患っていたようです。

 

 

現役当時のあの目。

 

元軍人で本物の戦争を経験していたこともあり、その迫力はまさに本物。

 

試合に勝つとか相手を倒す、ではなく、容赦なく殺す、という殺気と緊張感を感じる選手でした。

 

 

アンディ・フグ、マイク・ベルナルドに続き、創成期のメンバーで鬼籍に入ったのは3人目。

 

哀しいですね。

 

 

偉大なる先人 伝説の拳を持つクロアチアの虎

 

今はただやすらかに